テロ①
治療が終わると、あらためたようにヤザがサオリに例を言ってくれた。
「助かりました。有り難うございます」
「いえ。医者ですから」
言い終わったサオリが、俺を振り返ってニコッと笑う。
「これで、もう大丈夫なのですか?」
「おそらくは……麻酔が切れたあと、かなり痛がると思いますが、その時は点滴に鎮痛剤を足して対応します」
「命の方は……」
「大丈夫ですよ。娘さんが怪我の状況を詳しく教えてくれましたので、必要な物は全て整える事ができましたから」
「有り難うございます」
「あら、二度もお礼を言ってもらえるなんて嬉しいわ。でも私は医者として当然の事をしたまでです。礼を言うならナトちゃんに言って下さい」
ヤザは少し照れていたが、俺にありがとうと言ってくれたあと、またサオリの方に向き直った。
「イラクの赤十字難民キャンプでは、娘が大変お世話になりました」
「知っていたのですか?」
「知っていました」
「知っていて何故、連れ戻そうとしなかったのです?」
「連れて帰りたいのはヤマヤマだったのですが、連れて帰れば幼いナトーをまた戦場に駆り出す事になるので、ご行為に甘えっぱなしで申し訳なく思っています」
「いえ、私の方こそ貴方に謝らなくてはなりません。私が爆弾テロに見せかけて失踪したばかりに、娘さんが貴方の命を狙う事になってしまって」
「いいんですよ、そんなこと」
「でも……」
「現に私は生きているし、もう娘も私の命は狙わない。そうだろうナトー」
四つの目に見つめられた俺は、急に恥ずかしくなって俯いた。
「ところで、早急にここから脱出を図りたいのですが、アサム様は何日くらいで動けるようになりますか?」
「通常、大腿骨の骨折では、少なくとも6週間は安静にしなければなりません。しかし今回の骨折箇所は大腿骨の中でも直接体重を支える部位ではないので無理をしなければ3週間程度で動かす事は可能でしょう。ですが、体重を掛けて歩くのは、しばらく無理です」
「担いで移動するのも無理ですか?」
「担架や背負子に乗せれば大丈夫ですが、それも術後の容態次第です。安定した状態になるのには少なくとも3日から1週間は様子を診なければ何とも言えませんし、移動で傷口が開かないようにしなければなりません……急ぐのですか?」
「ああ、先に会談を行った事務次官と、2週間後にまた打ち合わせを行う手筈になっている」
「それは、いつですか?」
「7日後です」
当分は此処から移動することは出来ません。食料は大丈夫ですか?」
「……」
「ここには一体何人居るのです?」
「6人だけです」
「他には?」
「他の者達は、負傷したアサム様を守るために……」
「……そうですか」
「しかし秘密会談だったのではなかったのか?」
「もちろん秘密の会談のはずだった。だがアメリカは裏切って我々を罠にかけたのだ!もしもこれでアサム様の命が奪われたなら俺は……いや、俺たちは死を覚悟で復讐してやる!」
俺の質問に、ヤザは顔色を変えて物凄い剣幕で怒りをあらわにした。
「ちょっと待ってください。今アサムを殺して誰が得をするのですか?」
「もちろんアメリカ政府に決まっている。なにせ彼らは我々をアメリカ人の敵だと思っているからな」
「しかしアサムは、アメリカのポーカー大統領と和平交渉のテーブルに着いていた。その交渉のために私はターニャと名乗ってお手伝いをしていました」
「じゃあ、アンタも騙されたんだ。アメリカにな」
「ヤザ」
「ん?」
「さっき死を覚悟で復讐すると言っていたが、こんな山奥に隠れて居て、どうやって復讐をするつもりだ。自動小銃や爆弾だけではバグラム空軍基地だって落とせやしない。それはザリバン高原での敗北で思い知っただろう」
「そうさ。しかし、あの時に武器商人から買った地対空ミサイルの威力を俺たちは知っている。RPGでは届きもしない高度で飛び、しかもヘリコプターの様に遅い目標ではない大型の航空機を自動で追いかけて1発で仕留める、あの威力を」
「それを購入して、バグラム空軍基地の飛行機を落とすつもりか?!」
「いいや。俺たちも馬鹿じゃない。1機か2機は落とすことは出来るだろうが、ナトー、お前も知っている通り、その後はボコボコにやられてしまう」
「じゃあ、どうやってアメリカに復讐するつもりだ……まさか、ヤザ!」
「ナトー。お前に隠しても無駄な事は分かっている。だから俺は、俺の決意として話す。テロの原則は“やられたら、やり返す”しかも軍・民問わず倍返しだ!」
ヤザの目に、復讐の火が灯る。
こんなに激しく復讐心を抱くヤザの目を見るのは久しい。
俺にとって義母にあたるヤザの妻、ハイファを多国籍軍の空爆で亡くした後、テロ組織“ザリバン”に入り狂ったように殺戮を繰り返していた頃の目に似ている。
“まさか、ヤザ!”
ヤザが何を企てようとしているのか分かり、ハッとしてその復讐心に燃えている目を見つめ返す。
すると急に……、まるで息を吹きかけられた蝋燭の様に復讐の灯は消えて、寂し気な目で俺の目を見つめ返していた。
具体的な所までは分からない。だけどヤザは命と引き換えにして、最高……いや最悪の結果を生み出そうとしている。
アメリカ人にとって最悪の結果。
それは、ここアフガニスタンでのテロではない。
アフガニスタンでアメリカ人が何人死のうとも、死亡した身内にとっては一生残る心の傷となるだろうが、その他の大多数の人間にとっては一時的なニュースに他ならない。
事件が終わり数週間も経てば、次々に起こる事件や事故のニュースと一緒に埋もれてしまう。
アメリカ人の心に傷を付ける様なテロとは、つまりアメリカ本国で行われるテロを指す。
事前に話していた言葉から、ターゲットは航空機だろう。
広い国土に点在する各都市間を結ぶ交通の要は、旅客機。
1機堕とされただけで乗客はほぼ全員死ぬ。
人気路線ともなれば、その数は多い時には500人にも上る。
もしも、それが大都市に墜落したら。
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件。
このテロでは4機の旅客機が、ほぼ同時刻にハイジャックされ、2,977人が死亡し25,000人以上が負傷した。
4機のうち1機は、ハイジャックがテロ攻撃である事に気が付いた乗客たちの勇気ある行動により単独で墜落し、もう1機はペンタゴンに突っ込み旅客機の乗員乗客(テロリストも含む)とペンタゴンに居た軍・民合わせて189名の死者と多数の負傷者を出した。
最も被害の大きかったのは2機の旅客機によるビルへの突入で、2機は、ニューヨークにあった110階建ての2つのビルディングに、それぞれ突っ込み、この同時多発テロの死亡者2,977人のうち実に79%を占めている。
人的被害もさることながら、2棟の高層ビルの崩壊などによるアメリカが受けた経済的な損失は少なくとも100億ドル以上とされている。
もしも大都市上空を飛ぶ旅客機に向けて地対空ミサイルを放ったなら……。
しかしそんな事、出来るはずもない。
地対空ミサイルならPOCから買えば手に入るだろうし、彼等はそれを既に使用した実績もある。
問題は、それをどうやって見つからないようにアメリカまで運ぶかだが、普通に考えれば不可能だ。
だが、ヤザは昔から全く不可能な絵空事は言わないから、伝手が有ると言う事なのだろう。
「POCか?」
俺の言葉に、ヤザの目が微かに曇るのを感じた。
既に、最悪の事態になった場合の対応策をPOCから吹き込まれているに違いない。
アメリカ本土における大規模なテロが起こった場合、物流などを中心とする経済活動は大打撃を受けるだろう。
一時的だが、株価も大幅に値下がりする。
もしも、この事を事前に知っていれば、値下がりする前に株を売り払い、下げ止まりを見越して新たに買いなおす事により大きな利益を得る事が出来るのは株などに手を出した事のない俺にだって分る。
どの株が真っ先に上がるかも。
POCの後ろ盾となっているのは、金融財閥だ。
つまりテロリストたちへ武器を売りさばいても、儲かる金額はたかが知れている。
確かにテロ組織の支援者たちの中にも大きな金を動かせる奴らはいるが、彼らは高価なミサイル防衛システムはおろか戦車さえも買わない。
買うのはAK-47やRPG7などの歩兵戦闘装備が主体となる。
では何故彼等テロ組織が、そう言った貧弱な武装しか装備しようとしないのか?
それは彼らが行っているのは戦争ではなく、支配者への抵抗だからだ。
ここアフガニスタンに拠点を置き、中東地域のイスラム原理主義への弾圧に対する抵抗を続けているザリバンも、そこの所はキチンとわきまえているという事になる。




