隠れ家②
真夜中の岩場を進むこと5時間、微かに空気の中に煙草の匂いを感じた。
ザリバンの見張りだ。
風の向きを確認し、用心深く匂いの元を探す。
“居た!”
サオリならターニャとして認識されているはずだから、声を掛けて姿を見せれば相手も分かるだろうが、俺ではそうはいかない。
声を掛けた途端に発砲されるかも知れない。
そうなれば近付くことは困難になるばかりか、ここに隠れ家がある事を周囲に居る者に知らせることになる。
もちろんこんな山奥に普通は誰も来ない。
だが、あの検問所の偽警官ばかりでなく、おそらく何人かは隠れ家を特定するために、どこかで見張っていたに違いない。
焦らずに、しばらくは見張りを観察した。
手に持っているのはAK-47自動小銃。
見張りは一人ではなく、2人。
2人の見張りが居る少し上の岩陰にも、もう1人の見張りが隠れているのが分かった。
おそらく2人の死角をカバーするための見張りだろう。
そして、その上にも1人。
見張り全員が、赤外線探査から逃れるために岩場の穴の中に隠れていた。
上から順番に片付けていくか、それとも……。
あと2時間ほどで日が昇る。
俺は岩場から立ち上がり、二人の見張りが隠れている穴に向かって歩いた。
「من ناتو هستم من بعد از شاهین به نام کودک P به اینجا آمدم(俺はナトー、P子と言う鷹を追ってここに来た)」
目の前に現れた不穏な人物に驚いた4丁の銃口が、真直ぐに俺に狙いを定め、歩を止めた。
無用な緊張は避けた方が良い。
だからヤザの名前を出した。
「من دختر یازا هستم می خواهم یازا را ببینم.(俺はヤザの娘、ヤザに会いたい)」
あえてアサムの名は避けた。
男たちの銃口が揺れ、やがて見えなくなると、しばらくすると手が出てきて“来い、来い”と俺を呼ぶ。
言われるままに近付くと、見張りの2人が「ناتو! ناتو!(ナトー!ナトー!)」と俺の名前を呼び肩を叩いて喜んでくれた。
見張りの1人に連れられて洞窟の奥へと入って行くと、そこにはヤザが居た。
「ナトー、どうしてこんな所へ来た」
ヤザの顔には疲れと、娘を心配する様子が伺い取れた。
「それよりも、どうしてこんな所に潜んでいる」
アサムを連れて隠れるのであれば、こんな街から左程離れていない標高の低い山ではなく、もっと奥深い山の中に居る必要があるはず。
米軍基地からも近いばかりでなく、名の者か分からない連中に直ぐ近くで非常線を張られている様では、この場所が見つかるのも時間の問題だ。
俺の言葉にヤザの表情が曇ったのが分かった。
“何か分けがある”
「アサムは? 居るんだろう?」
「ああ」
「会える状態なのか?」
「一応……」
“やはり”
ヤザに連れられてアサムの所へ向かう。
狭い洞窟。
しかも司令部を置くには脆弱過ぎる。
どう見ても敵側の様子を確認するだけの物見用の出城で、俺たちが苦労してようやく潰したザリバン本部の地下司令の造りとは比べ物にもならない。
こんな場所に潜んでいる――いや、こんな場所に潜まなくてはならなくなった理由はひとつ。
敵に襲撃されて、逃げ延びたに違いない。
防御力のないストレートな洞窟を少し進むと、そこにアサムが横たわっていた。
「アサム!」
「ようナトーじゃないか。元気でやっているか」
俺の心配を他所に、老人は笑みを見せて意外に元気そうな声で言った。
しかし姿勢は寝ころんだまま。
腐敗臭もする。
「怪我をしたのか?」
「ああ、迂闊にもな」
「怪我を見せろ」
「なぁに大した怪我ではない。年寄りじゃから、少しの怪我でも直ぐに動けなくなるだけじゃ。担いで移動しろと言うのに、お前の親父が大そうに考えて、こんな所で足止めを食らっておる」
「米軍との和平交渉が旨く行っていないのか?」
「心配は要らん。そっちは結構旨く進んでいるさ、このまえも相手側の国防事務次官と秘密裏に詰めの交渉をしたばかりじゃ」
「誰にやられた?米軍か?」
「いや。分らんが、パリッとした奴らが待ち伏せしていた」
「パリッとした奴ら?」
「服装のことじゃよ。我々は見ての通りボロ布を纏ったような恰好。米軍の服装は埃だらけ。じゃから、そのどちらでもないパリッとした格好の奴らじゃ」
「人種は?」
「地元の様な顔つきの奴らも居ったが、中には白人も居った」
「そいつらが、秘密の会談から帰る我々の車を襲った」
POCに間違いない。
話しながらアサムの衣服を脱がし、傷口を診た。
傷は腰の下。
大腿骨上部にある大転子に銃弾が貫通して破壊されている。
関節駆動部ではないが、これでは歩けない。
患部には包帯も巻かれていなくて、汚れた布をあてがわれてあるだけ。
布は湿っていて、そこから腐敗臭がする。
「開くぞ。少し痛いが我慢してくれ」
患部に張り付いた布を捲ると、はやり化膿していた。
「アルコールは?」
後ろに立っているヤザに声を掛けると「ない」と返事が返って来た。
衛生兵も居ないテロ組織。しかもイスラム教では飲酒は禁じられているから、アルコールの代用になるキツイ酒もない。
「水は」
「井戸水があるから取って来る」
ヤザが水を取りに行っている間に服を脱いで、下着を破った。
水が来ると、先ず綺麗な水で患部を洗い爛れた所を綺麗にして、少しか乾かしてから下着を包帯代わりに巻いた。
包帯は毎日替える必要があるし、雑菌が付着しないようにアルコールも要るが、ここにはそのどちらもない。
しかも熱もある。
放って置けば敗血症になる可能性もある。
サオリに連絡しようと思って携帯を取り出した。
幸いな事に近くに基地局があるらしく、通話できる状態だ。
通話ボタンを押そうとして、止めた。
「ヤザ、ここは携帯の通信圏内なのか?」
「まさか、いくら町が近いといっても、アフガニスタンには基地局は少ないよ。まして何もない山の中だから携帯は使えない。もし使えるなら、とっくに味方に連絡している」
そう言うヤザに携帯を見せた。
「通話が出来るようになったのか!?」
「驚いていると言う事は、ここに来た時に仲間との連絡を図った。と、いう事か?」
「ああ。確かに、その時は誰の携帯も通信出来なかった」
“今なら出来る”
と、言うことは、誰かが基地局を作ったと言う事。
何の目的?
利用者へのサービスでは無いことは確か。
つまり発信源を探す事が目的だ。
「ヤザ!」
「分っている。これは俺たちを襲った奴らの罠だな」
「ああ、だから携帯は使うな」
ヤザはフッと笑みを漏らし「俺たちの携帯は、とっくに電池切れだ」と言った。
「P子は!?」
「P子?」
「ターニャの飼っていた鷹」
「ああ、あの鷹は昨日来たが、またどこかに行った」
出て行ったと言う事は、おそらくサオリはP子に周囲の状況を探らせているのだろう。
「地図はあるか?」
「ああ。だが、どうするつもりだ?」
「麓に戻って、医療品を持ってくる」
「止めろ!敵に見つかるぞ」
「だがジッとしている訳にもいかんだろう。このままだとアサムの命が危ない」
止めようとするヤザを説得して、隠れ家から出た。
出発するときに、心配したヤザが自分の拳銃を俺に渡してくれた。
トカレフ TT-33。
大幹部になったと言うのに、相変わらず、おしゃれっ気がない。




