スカウト③
慌てて外に向かって走る。
もう直ぐ出口に差し掛かった時、あの車が悠々と俺の前を通り過ぎて行く。
そう、デパートの駐車場にいたスモークガラスの黒いスポーツカー。
走れば追えなくもないスピード。
だが走れば向こうもスピードを上げるだろう。
人間の走力では、到底車には勝てない。
「ナトちゃん!」
背後からエマの声がした。
エマは倒れている男たちを用心深く避けながら近づいて来た。
殴り倒しただけだから、直に起き上がる。
「ミヤン君は」
「奴はミヤンじゃない」
「じゃあ誰なの?」
「分からない」
「なにか心当たりはないの?」
「心当たり……なんの?」
「命を狙われるような心当たり」
「心当たりと言えば、俺のコードネームがDark Angelって事くらいかな……」
エマの血色のいい顔が青ざめていて、心の底から心配してくれているのがよく分かった。
「どうして、それを……」
「奴から直接聞いた。エマは、その事を隠していたんだろ?」
エマが俺を心配して泣きそうな顔をした。
だけど、可笑しくて笑ってしまった。
「なんで笑うのよ!」
俺とは逆に怒った顔のエマ。
「だって、そうじゃないか。命を狙うのならデパートの時は爆弾だっただろうし、今回だって敵は銃を使っていただろう」
「あら、そう言えば、そうね……」
ホッと胸を撫で下ろすエマが可愛くて抱き寄せた。
「あら……」
そして唇を合わせる。
エマが俺の体を強く抱く。
これほどまでに心配してくれていた事が嬉しくて、そして申し訳なくて堪らない。
それなのに、後ろから近づいてくるオジャマ虫君は、あの巨体のロシア人。
さすがに柔道家だけあって、タフだ。
ドスッン!
「あら、なに??」
「なんでもない」
オジャマ虫君は、俺の後ろ蹴りであえなくdown!
「またまた派手にやったもんだな」
狭い道路を塞ぐほどのパトカーを連れて現場にやって来たのは、またしてもパリ警察のミューレ刑事部長。
「今度は鉄パイプに脚立にヌンチャクかー……またナトーひとりで片付けたのか?」
「失礼しちゃうわっ、前回は私も1人片付けました」
「前回は、って言うことは、今回こそナトー1人か」
「今回こそ。って、アンタそんなにナトちゃんの活躍を楽しみにしているの?!」
「ったりめーだろうが!俺はナトーの親衛隊で、その親衛隊の中で唯一この巨乳を揉ん――……」
俺は慌ててミューレの口を塞いだ。
興味津々に俺の胸を見るエマに「あれは不可抗力だ」と大声を上げて知らん振りを決める。
そう。あれはパリのテロを鎮圧した時、テロ側の指揮官メヒアとの対決の際にミューレは肺を撃たれて倒れた。
昔、事件現場で犯人に撃たれて大怪我をして片方の肺が駄目になり取り除いていたミューレにとって、残っている方の肺を撃たれるのは命に係る。
そしてそのミューレが消えそうな息の中で、胸を触りたいと言うのを真に受けた俺は自らの手でミューレの手を取り自分の胸に当てて揉ませた。
しかしそれはミューレの策略で、実際に残っている方の肺は撃たれたものの、彼は防弾チョッキの下に鉄板を隠していて無傷だったのだ。
俺にとって唯一の汚点。
それまでハンス以外の誰一人として男には触らせたことが無かったのに、このエロおやじが触った。
ミューレに遅れてRAID(フランス国家警察特別介入部隊)のベルが愛用のブレイザーR93を肩に引っかけてノコノコやって来た。
「ようナトー、昨日に続いて今日もまた襲われたのか。いったい相手は何者だ?」
「知るわけが無いだろう。それを聞くならミューレに聞け。俺も知りたい」
エマとベル、それに俺の3人が一斉に振り返ると、ミューレはワザとらしく咳払いをして見せてから取り調べの状況を話してくれた。
「昨日の事件で逮捕した10人の取り調べだが、共通して言えるのは、彼らはお互い何の関係もない赤の他人の寄せ集めだ」
「ザリバンの回し者じゃないのか?」
ベルが驚いた顔で口を挟む。
「彼らとザリバンの接点についてはDGSI(国内治安総局)の方で詳しく調査しているが、昼にリズから連絡があったが、恐らく係り合いは無いだろうと言う事だった」
偽ミヤンの話しぶりで、それは分かっていた。
俺を助け、そして何事もなく逃がしてくれたザリバンの首領アサムが、今更俺をスカウトするはずが無いし、気が変わったのなら義父のヤザを使いに寄こすはず。
「まだウラは取れていないが、彼らに共通して言えるのは、全員がボクシングや空手のジムに通っていたこと。そして全員が何者かに拉致され、家族や恋人に危害を加えられたくなければ指示道りに動く様に脅されていた」
「指示と言うのは、俺を襲う事か」
「その通り」
倒した奴らが連行されて行く方を振り向く。
「じゃあ、この人たちも」
「おそらくは、前の奴らと同じ犠牲者だろうな」
「敵のボスに関する情報はねえのか?いや、ボスじゃなくてもいい下っ端でもかまわねえ」
「残念ながら何もない」
「それぞれ襲われた時間と、彼らを襲った人数は?」
「さすがナトー。アル中寸前だったベルとは違うな」
ミューレが言うのは、一旦退役していたミューレの酒場に、入りびたりだったベルの事。
ベルは警察の狙撃手として一方的に犯人を狙撃して殺すという任務の重圧に耐えかねて、酒と女に溺れていた。
もっとも“女に溺れる”と言うのは間違いかも知れない。
ベルは手あたり次第、娼婦に手を出していた訳ではなく、エマとのエッチに溺れていたのだから……。
考えながら“見てはいけない”と思いつつ、ついエマの顔を見てしまうとエマも俺の顔を見ていて目と目が合ってしまい急に恥ずかしくなる。
「どうしたのナトちゃん……??」
「いや、なんでもない」




