バグラム空軍基地③
何本も角を曲がったが意外なほど病院は近かくて、3分ほど走ると直ぐに病院の入り口に着いた。
「じゃあ私は車の手配をしておくから」
「ありがとうユリア」
病院の前でユリアと別れ、玄関に向かう。
入り口にはMP(Military police=軍警察もしくは憲兵)が見張っていて物々しいが、入り口で身分証明書とボディーチェックを受けるだけで意外に簡単に中に入ることが出来た。
俺を通すとき、MPの一人が出入り口に設置してある電話を取り「フランス外人部隊LéMAT所属ナトー1等軍曹、通します」と小声で連絡しているのが聞こえた。
誰が来たかと言うことを、一々中の者に知らせる必要があるのだろう。
病院のロビーに入ると、入り口の両側に居たMPに敬礼された。
こんなライダーズジャケットの時に敬礼されるのは気まずかったが、一応こちらからも敬礼を返して前に進むと、ロビー中央に居る憲兵も直立不動の体勢で敬礼して出迎えてくれた。
肩の階級章を見ると軍曹の階級章より下の線が1本多く、真ん中にマークが入っているから専任曹長。
管理職だ。
軍服は着用していないといっても、外のMPが俺の所属と階級を中に知らせているはずなので、本来なら俺の方が先に敬礼するべきなので慌てて敬礼を返す。
専任曹長は何故か敬礼の姿勢を崩すことなく俺が通り過ぎるのを見守っているので俺も敬礼のために上げた腕を降ろしにくかったが、まさか専任曹長に正対したまま後ろ向きに歩くわけも行かないし、かと言って通り過ぎたまま誰に向けているとも分からないヘンテコな敬礼を続けるわけにもいかないので通り過ぎた時に上げていた腕を降ろした。
“一体何なんだ、俺が変な恰好で来たので揶揄っているのか?”
尚も後ろで敬礼を続けたままでいる雰囲気を感じていると、丁度目の前にある階段を急いで降りてくる白衣の中年男性に声を掛けられた。
「やあ、ナトー軍曹。ようこそ、いらっしゃいました」
軍医らしいその中年の男は、階段を下りて来るなり俺の手を握った。
「キム一等兵は君の見立て通り“急性硬膜外血腫”だったよ。開頭手術をして血種を取り除き安定していますよ。それに君があの医療器材の無い中で応急処置を施した兵士たちも、誰一人として症状が悪化することなく回復に向かっています」
「……はい。あのぉ……」
共に戦った皆が回復しているのは嬉しいが、知らない人に手を握られたままと言うのが何か気持ちが悪くて戸惑ってしまった。
「アッ申し訳ない。私は軍医のライス大佐だ。ここの医務長を務めています」
ライス大佐は、そう言うと漸く手を離してくれた。
「まあ、ひとまず病棟に行って皆に会ってくれたまえ。レイ伍長とゴンザレス君はもう退院してそれぞれの国に帰っているが、君が来たら宜しく伝えてほしいと手紙を預かっている」
話しながら、さっき降りて来た階段を再び上がり始める。
「いやナトー軍曹。君が立派な兵士、いや戦士だと言うことは十分に分かっているが、どうだね医学の勉強も本気でやってみては。命を奪う事よりも、奪われ掛けた命を治す方が難しい。特に後遺症が残らないようにしてやるのは、天性の気遣いを持った者だけが出来る技だ。キム君もそうだが、フジワラ君も君の処置のおかげで後遺症なしで退院できそうだ。いったいどこで覚えたんだね、これ程までに的確な初期治療は現場で見たことがない」
ライス大佐の話は止まらないまま病棟に到着した。
「ナトー軍曹!」
部屋に入るなりフジワラ伍長が俺を見つけて声を上げた。
他の負傷兵たちも一斉に振り向き、同じように「ナトー軍曹!」と言い歓迎してくれた。
後ろからも同じ声が聞こえたかと思うと、廊下には車椅子に座ったり松葉杖を突いたり、手を三角巾で吊った負傷兵たちで溢れていた。
皆が口々にありがとうと言ってくれる。
通路に出来た人の塊が左右に割れた。
どうしたのかと思ったら、やって来たのはナースに車椅子を押してもらいながら出て来たキムの姿があった。
点滴のチューブを付け、手術のために髪を剃り落とした頭が痛々しい。
「軍曹、俺たちのために戦ってくれてありがとう。おかげで、これからも生きて行くことが出来る」
キムの言葉に皆が歓声を上げた。
「さあさあ、今日はここまで。ナトー軍曹は今帰って来たばかりで、これから基地司令に合わねばならん。なにせ皆を救った英雄だから忙しい」
ライス大佐が皆に解散を促す。
「どうして、それを?」
「ああ、さっきDGSEのエマ少佐から連絡が入ってな、ナトー軍曹は私たちが止めても絶対に聞かないでここを訪れるだろうが、切りのいい所で早めに返すようにと。なに、今日明日にも帰るわけでもあるまい。暇なときにゆっくりと皆の話を聞いてやってくれたまえ」
そう言うとライス大佐は俺の背中を押すように、来た道を引き返す。
「どうかな?真剣に勉強して軍医にならないか?」
「いや。確かに大佐の言う通り、命を奪う事よりも奪われ掛けた命を治す方が難しい事も、その大切さも分かった」
「だったら」
「ここに来て、もう一つハッキリと分かったことがある。それは……」
「それは?」
「彼らの他にも墜落時に生きることを願っていた者たちが居た。そして俺はそれを見捨てた」
「だが、それは助けようのない命だったのだろう?救急救命医や軍医にとって助けられるかどうか見極めるのは辛い仕事だが避けては通れん。それは悔やんでも仕方がないことだ」
「ありがとう。確かに命の仕分け作業は重要だと思っている。だけどもし、輸送機が落ちる前に何かできたなら。いや、この出撃を止められるくらいの力があれば、彼らは死なずに済んだだろうし、ここに居て俺が来たことを喜んでくれた仲間も負傷せずに済んだ」
「確かに、それはそうだろうが、個人の力では戦争は止められん」
「だけど、俺は……おれは、それを止めたいんです――」
「出来るさ、君なら今は出来なくても、いつかきっとそのようなことが出来るようになる」
「そんな慰めを……」
「慰めではない。私は今ハッキリと、それを感じた。おそらく君はそれをするために今まで苦労を重ねて来たのだと」
俺をなだめる様に大佐は肩をポンポンと叩く。
階段を下りた時、急に悲しみが込み上げてきて胸が苦しくなった。
だけど俺が来たことを喜んで見送ってくれている皆に、悲しい顔なんて見せられやしない。
「ほら、ナトー君。皆が見送りに階段の上に集まっていますよ」
俺は階段の方に振り向いて敬礼をした。
階段の上で騒いでいた仲間たちも、俺を見て急に静かになり、そして敬礼を返してくれた。
お互いに長い敬礼を交し合う。
言葉はない。
そして、思う事は同じ。
だけど、それを言葉で表す事なんて誰も出来やしない。




