アサムの隠れ家④
目が覚めた時、俺の目の前には心配そうなヤザの顔があった。
ここはアサムの部屋。
だけどもうこの部屋には何もない。
「ターニャに薬を打たせたな」
「心配するな。お前に打った薬はホンの僅かなものじゃ」
「俺に打った薬……と言う事はハンスにも打ったのか?!」
「そうじゃ。あっちには少し長めに寝ていてもらわんと困るからな」
「逃げるつもりだな。ターニャは何所だ!あいつの正体は――」
そこまで言った時、ヤザに口を塞がれた。
「いいか、ターニャに正体は無い。ターニャが誰であろうが、彼女は彼女以外の何物でもなく、彼女自体この世に存在しない」
“一体ヤザは何を言っているのだろう?”
ターニャはターニャ以外の何物でもなく、しかもこの世に存在しないとは……。
「悪いがヤザ、席を外してくれんか。2人で話がしたい」
「わかりました」
そう言ってヤザは退席するときに、小さな声で「くれぐれも失礼のないように」と釘を刺して出て行った。
「さて、ターニャの事が気になるようじゃが、それは最後に話すとしよう」
「いったい何の話だ!それにハンスは無事か」
「ああ、ハンス大尉なら、今頃はまだ夢の中じゃ」
ターニャに俺に眠らせるように言い、ここに連れて来たのはアサムだろう。
何を企んでいるかは分からないが、無性に腹が立った。
「実はな、戦争を止めようと思う」
「戦争を、止める……?」
「どうじゃ、良い知らせじゃろう」
「確かに良い知らせだが、降伏するなんて、唐突にどうした?」
「降伏は、せんよ」
「降伏しないで戦争を止める?」
アサムの言葉が理解できないでいた。
そもそも、今回の作戦で劣勢に立たされたはずのザリバンが、降伏もしないで戦争を止める調停のテーブルに立てるはずはない。
「確かに無茶かも知れん。今回の戦いでは長年アジトとしていた基地を追われた上の敗北じゃ。敵ながらアッパレじゃ、ナトーよ。しかし我々もまた善戦し、お前たちに並々ならぬ被害を出させた。違うかの?」
アサムの言う通り、テロとは違う直接対決で俺たちはたった2日間の戦闘で400人近い死傷者を出しているはず。
だがしかし、それで停戦に持って行けるほど多国籍軍は……いや、アメリカは甘くない。
「ナトーよ。あれだけワシ等の仲間を殺したお前が、何故ワシの首を取らん?」
「俺は人殺しではない。俺を殺そうとしない人間を好き好んで殺したりはしない」
「それでもワシはザリバンの首領じゃ、捕らえて軍に持ち帰れば、みんな喜ぶのと違うか?」
「見せかけを言うな。確かにアンタはザリバンの首領だろう。だが、アンタを捕らえたとしても誰かがアンタの代わりをする。そして捕らえたアンタを処刑しようものなら、新たな恨みが芽生えるはず。そしてこの戦争は更に泥沼に陥る」
「さすが、ターニャ……いや、サオリが見込んだだけの事はある」
「知っていたのか!?」
「ああ、赤十字に居た時からな」
「サオリは、お前たちの味方なのか」
「さあ、それは分からん。ワシ等がメヒアのように殺人を好めば敵になるじゃろう」
「じゃあ今は味方なのか?」
「敵ではあっても味方にはならない。彼女は言うなれば“交渉人”」
「交渉人?」
「そう。戦っているお互いの間を行き来し、和平に向けた交渉を進める者じゃ」
「サオリが、そんなことを」
「赤十字の中には色んな人間がいる。純粋に医者もいればスパイもいるし、サオリの様なものもいれば、ナトーの様なものもいる」
「俺の様なもの?」
「そう。お前のせいでワシは交渉のテーブルに着くことを決めた。正直戦いが長すぎて疲れたわい。なにせ少年兵から始めて40年以上もじゃからのう」
「なぜ戦いを止めない。どこの国も東か西に着くものだろ?なのに何故、どちらの支援も受け入れて、どちらとも戦う?」
「資本主義も社会主義も、政治の問題じゃ。ワシは政治には興味がない」
「政治に興味がないのに何故戦う?!まさか単に戦場が好きだと言う訳でもあるまい」
アサムは愉快そうに笑った。
その笑いは決して俺を馬鹿にしたり、何かを誤魔化そうとしたりしようとする笑いではなく、純粋に楽しそうに思えた。
「ナトー、お前は何のために戦っている?」
「俺?……俺は」
最初は、サオリを殺された復讐のためだった。
でも今は……。
「仲間を守るためだ」
「仲間を守るため? ただそれだけか?」
「そうだ」
「それなら戦わなくて済むように、仲間を変えればいいな」
「それは出来ない」
「何故出来ん?」
「そ、それは、仲間だからだ。お前こそ、そんなに長い間、何故戦っている」
「ワシは家族のためじゃ」
「馬鹿な。家族なら普通、戦いから足を洗うように言うはずだ」
「ところが家族はワシの顔を知らん。そしてこのワシもまた同じ」
「民族主義か……」
「さすがに勘が良い。イスラムと言う一つの民族のためにワシは戦って居る」
ザリバンの歴史。
それは侵略政権との闘いの歴史だ。
先ずロシアが、新たに生まれた親米派政権打倒のため特殊部隊を送り込み、首相や閣僚を暗殺し界隈政権を樹立する。
内政に干渉されたことと、ロシアが界隈政権を守るために軍隊を送り込んだことに住民の不満が爆発し、ここでザリバンが生まれる。
ザリバンはアメリカの援護を受け、主に武器供与を受け、長い泥沼の戦いの中でついに界隈政権とロシア軍を国外に追い出すことに成功した。
ところが今度はアメリカ側に傾いた界隈政権が生まれ、それに反発したザリバンを抑えるため界隈政権の代わりに米軍がこの地へ駐屯するようになると、今度はロシアがザリバンに武器供与をすることになる。
この時代からアメリカによるイスラム教国家への攻勢が始まり、ザリバンも又自国を守ることから、イスラム教を守る戦いへと様変わりを始めた。
やがてイスラム原理主義国の支援も取り付け戦力は巨大化し、自国のほかにもイラク、リビア、シリアと戦いの場も広げることになった。
これだけ戦場が広大化した状態で、どうやって戦争を終わらせると言うのだろう?
戦争を始めるのは簡単だが終わらせるのは双方の合意が必要になるため難しく、結局第二次世界大戦のドイツや日本のように本土を占領されるか壊滅的な打撃を受けるところまで戦争は終わらない。
無論ドイツも日本も、そうなる前に何とか終戦に持ち込みたくて水面下で交渉は続けていたものの、連合国同士の利害関係もあり途中での終戦には至らなかった。
つまり戦争は何らかの利害関係のバランスにより、始まりも終わりも左右される。
一旦戦争になれば、そう易々と終わらせることの出来ない力がはたらく。
イランでもリビアでも、それは独裁政権君主の殺害という形で終わった。
しかし、本当の所は政治体制の崩壊。
君主の殺害は、それを誤魔化したに過ぎない。
両国とも、政治体制を骨抜きにされ、海外資本の侵入を大幅に受け入れることになった。
つまり外資系企業からの口出しを認めざる負えない体勢になったと言うことだ。
……さて、国を持っていないザリバンが降伏しないで和平に持ち込むための条件とは一体何だろう?




