アサムの隠れ家①
目を開けると、そこには白い天井があった。
洞窟に居たはずなのに……。
“夢?”
犬の鳴き声と、時折近くの道を通る人の足音だけが聞こえる。
“ここは、どこ?”
風が入ってくる方に顔を向けると、白いカーテンが揺れていた。
「起きたのか」
聞き覚えのある、好きな声の方に振り向くと、俺のベッドに腰かけて俺の顔をのぞき込むハンスの顔が心配そうに微笑んでいた。
「ハンス、俺たちは一体」
「虜さ」
「虜?」
「そう。ここはどうやらアサムの隠れ家らしい」
「俺は一体」
起き上がろうとすると、体の節々に痛みが走る。
「無理をするな。丸二日間、ろくに寝もせずに激戦を戦い抜いて来たんだ。3日間眠ったところで疲れは簡単に取れやしない」
「3日間?」
「そうだ。お前はターニャに締め技を喰らい、失神して、そのまま今日まで眠っていた」
「ハンスは大丈夫なのか?確か右足が」
「ああ、捻挫だと思っていたら、どうやらヒビが入っていたらしい。おかげで、この通り」
ハンスが持ち上げた足には、天井の色と同じ白いギブスが巻かれてあった。
「治療して貰ったのか?」
「ああ、あのターニャと言う女にな」
“ターニャ”
あの時、タカの攻撃を避けなければ俺はターニャの射程に入ることは無かったのかも知れないし、そもそも襲ってくるタカを叩き落とせば何事もなくターニャには勝っていただろう。
しかし、それは出来なかった。
“何故?”
襲ってくる敵兵を躊躇なく殺してきたこの俺が、グリムリーパーと呼ばれた残虐な俺が、何故タカ一匹の命を尊んだのか。
「死神について考えた事がある」
“死神……やはりハンスは気が付いている”
「俺が思う死神は、殺人鬼とは違う」
「殺人鬼じゃない?」
「そう。死神とは、死ぬ運命にあるものを、迎えに来る神の使い」
「じゃあ、殺人鬼は?」
「殺人鬼は、死ぬ運命にないものの命を無理やり奪い取るもの」
「でも、運命なんて誰にも分からないだろう?他人の命を奪うのは同じ事だろ」
「違う。殺人鬼ならターニャをなぶり殺しただろうし、タカも躊躇なく殺しただろう」
“!”
「そ、それって」
「そう。君は知らないだろうが、俺の兄は優秀な狙撃手だった。だけど戦場に出るものには、いつか死の順番が訪れて当然だろ。それが嫌ならベルのように特殊警察の狙撃手になればいい。だけど、一方的に犯人の命を奪うベルも罪の意識に苛まれて悩んでいたよね」
「じゃあ……」
「もしも……もしもナトーが、あの伝説の狙撃手『グリムリーパー』みたいに凄腕の狙撃手だったとしても、誰も君を責めることは出来ない。何故ならそれは戦争だから。殺さなければ殺される。俺の兄はあの時、敵の狙撃手が子供だと言うことに気が付いて撃とうとした。まるで何かに怯えて狂ったように。いつも冷静な兄が戦場で取り乱したのを俺は初めて見た。俺は通信士として付いていたからスコープも双眼鏡も覗いて確認しているわけではない。だから、その子がグリムリーパーなのか、その子の後ろにグリムリーパーが居たのかは分からない。だけど、これだけは言える。もしもあの時、兄が『グリムリーパー』よりも先に撃っていて、その子の命を奪っていたなら屹度兄は罪の意識に苛まれて気が狂っていただろう。そして俺も兄を軽蔑していたと思う」
「でも俺は――」
ハンスは俺の言葉を制止するように続けた。
「俺はあの日、兄に代わって『グリムリーパー』を仕留めた。自分の手を汚さずに戦争と言う力を借りて、相手が何者なのかも知らないまま正確な座標を無線で伝え、彼を瓦礫の底に沈めたのさ」
「でも……」
「ナトー……俺はお前の過去など知らない。俺が知っているのは少し焦げた窮屈そうな革ジャンを羽織り、偽の紹介状を持って外人部隊の事務所を訪れたヘンテコな女。だけど人一倍根性があり、人一倍頑張り屋で、人一倍純真な尊敬できる女性。それに誰よりも美人で魅力的な女性」
どうしたというのだ?
部隊では俺が女性だと言うことは御法度だというのに、ハンスは俺の事をハッキリと女性として認めている。
「人は変われる。たとえ心に傷を持つような辛い過去があったとしても、それを理解してくれる人が傍にいて見守っていたら、変わらなければいけない」
“ハンス!”
もう、声にならなくて涙が溢れて来た。
気が付けば、まるで子供みたいに、ハンスの胸に飛び込んで泣きじゃくっていた。
胸に飛び込んだ俺の頭を優しくなでてくれるハンス。
今まで気付かなかったけれど、なんて広くて温かい胸なのだろう。
「ごめん。なんか、変なこと言って」
俺の行動に戸惑っているハンスが謝る。
「いいの。しばらく、このままでいさせて」
カーテンを揺らす風が火照った頬を心地よく撫でる。
“もう俺はグリムリーパーではない”
ハンスの言う様に、なんだかそう思える日が来る気がした。
いや。
支えてくれる人のためにも、そう思う日が来なけれんばならない。
だけど……。
だけど今は、ハンスの温かい胸の中で、思いっきり泣きたかった。




