ヤザとの対決④
“ハイファ姉さんなら、直ぐそこに居るよ”
バラクの指さす方を見ると、今にも崩れそうな吊り橋を飛ぶようにこっちに向かってくるハイファの姿が空に浮かんで見えた。
いや、向かってきているのはナトーのはず。
眼を擦ってもう一度よく見ると、走って来るナトーの姿に重なるようにしてハイファの姿があった。
その姿は、まるで女神そのもの。
“負けたよ”
所詮どう意地になってみたところで、俺にナトーを殺せるわけがない。
この戦の不備を黒覆面の男のせいにしてきたが、ボロボロになりながら不時着したあの輸送機をナトーが守っている事を知った時から、俺の負けは決まっていた。
あの森の中からナトーが居なくなった後に俺がこの手で鍛え上げた若い狙撃手に、ナトーを狙撃するように命じた時も、返り討ちされることなど最初から分かっていた。
最後の狙撃の後、多国籍軍の砲撃に会い、ナトーの居たアパートは木っ端微塵に壊された。
まだ残っている敵の狙撃手に撃たれる危険があるなんて考えもせず、ただひたすら崩れたアパートに向かっていた。
そしてそこで見たのは、あのサオリと言う女がナトーの体を抱き上げて帰る姿だった。
俺は慌てて追おうとしたが、何者かが俺の周りに催涙弾の弾幕を張り、前に進むことも出来ずに見失ってしまう。
次に見かけたのは3年後。
偶然通りかかった赤十字難民キャンプで、新しい仲間に大切に育てられているナトーの姿を見つけた。
連れて帰りたかったが、あのサオリと言う女に笑顔を見せるナトーの顔を見て思い留まった。
あの顔こそ、まだハイファが生きていた頃の笑顔。
今では考えられないほど平和だったあの頃のことを、ナトーの笑顔が思い出させてくれた。
忘れてしまうはずだった、愛しい家族と暮らした日々。
もしも俺がまた引き取れば、もうあの笑顔は二度と見られないだろう。
あのサオリという女の正体は分からない。
何故赤十字の医者が戦場の真っただ中、しかも今爆撃のあった現場に誰よりも早く駆け付け、怪我をしたナトーを救えたのか。
何故俺を寄せ付けないように、護衛する者たちまで連れていたのか。
その事を考えると、不安で堪らなかったが、赤十字難民キャンプで楽しそうに振る舞うナトーを見ていて分かった事が一つだけあった。
今は俺の出る幕じゃないこと。
だから、暇があれば赤十字難民キャンプの傍に立ち寄り、遠くから気付かれないようにナトーを見守っていた。
イラクを出て、ザリバンの本部があるアフガニスタンに着いた時、そのサオリが爆弾テロで死んだニュースを見た。
ナトーは大丈夫だろうか?
今度こそナトーを引き取るタイミングだったのに、なんて間の悪さだ。
あの時、強引に連れて行くことも出来たかも知れないのに。
居ても立ってもいられなかったが、本部の連中が俺を迎えに来ていた。
ここで帰ると言い出せば、確実に裏切り者だと思われるだろう。
裏切りは“死“
別に命が惜しいと思ったわけじゃない。
ただナトーのことが心配だった。
死んでしまえば二度と会う事は出来ない。
“ナトーにその思いを伝えろ、屹度ナトーなら分かってくれる”
「馬鹿な、俺はナトーの人生を狂わせてしまった馬鹿な義父だ」
“その馬鹿な義父が居たから、あの子は生きているんだ”
そう言ってバラクは消えた。
“ナトー、駄目よ。ヤザを恨んじゃ”
「義母さん!!」
ヤザに照準を合わせて突進する俺の心に中に、今は亡き義母ハイファの声が届く。
子供のころに亡くなり、その顔さえもうる覚えの母ハイファ。
でも毎晩寝る前にお話を聞かせてくれたその声だけは、今でもハッキリと覚えている。
“義母さん、止めないで!ヤザは俺を大切に育ててくれたサオリを殺したんだ!それに……」
“それに?”
「義母さんが死んで、ヤザは家も仕事も捨てて人殺しになり、俺にもそういう道を歩ませた」
“お父さんには、それしか道がなかったの。幼いお前を抱えてあの戦争の中、2人が生き延びるためには”
「生き延びたくはなかった。俺は人を殺すことなど求めてはいない。できるなら幸せなまま、お義母さんの傍に行きたかった」
“駄目よ!お前は赤ん坊の時に瓦礫の下で一所懸命生きるために声をからして泣いていたじゃない。だから私たちは重い瓦礫を掻き分けて、貴女を救った。もう決して死なせないために”
「でも……」
“お父さんは不器用で口下手な職人たったから、他に道がなかったの。確かに可愛いナトーを戦士に育てようとしたのはいけないことよ。だけどお父さんは心を鬼にして、決して死なない戦士に貴女を育てたの”
「そのせいで、何人の人が死んだと思う!?彼らにも家族や恋人は居ただろう。それを俺は……俺は迷うことなく殺していった」
“その人たちは、貴女が殺さなくてもいずれは死ぬ運命にあった人たち。そしてその人たちに殺される人たちを貴女は救ったのよ”
「そんなのは、ただの都合のいい言い訳だ!」
“じゃあ何故、あの輸送機やトーチカを守ったの? 貴女たちはたったの数十人、そして貴女たちを襲ったのは数百人もいたのに”
「そ、それは……仲間を守るため」
“そう。それが戦場よ。ナトー、貴女は立派に仲間を守ったの”
「でも……」
“サオリさんの事ね”
「うん」
“ナトーは、本当にお父さんがサオリさんを殺したと思っているのね”
「だって、ヤザはサオリの事を知っていた。だからサオリが邪魔になったから殺したんだ」
“お父さんにとって、何故サオリさんが邪魔になるのか考えたの?”
「そ、それは、俺をまた狙撃手として使うため……」
“お父さんが、そういったの?」
「……」
違う。
そう、あの日ヤザは本部に行くことになり、バラクにそのことを伝えに来ていた。
そしてバラクの手下に囲まれた俺を助けてくれた。
付いて来いとは言わなかったし、連れて行こうともしないでそのまま分かれた。
「じゃあ……」
“さあ、それはもう死んでしまった私には分かりません。生きているうちにお互い話し合って解決することです。賢いナトーの事だから、お父さんと屹度上手く話し合えることでしょう”
スーッとハイファの声が離れていくのが分かった。
「義母さん!ハイファ義母さん!!」
慌てて呼び止めたけれど、それはもう届かない。
生きている者と、死んだ者。
二つの世界に分かれてしまえば、どんなに努力してみても、もう会えない。




