トムとジュエリーの救出③
「では行く!」
ジムの先導でガレ場を進む。
「敵が居ませんから、途中まではお散歩みたいなものです」
緊張を和らげるつもりで、そう言ってくれたのは有難いが、それは違う。
戦場に於いて、同じ道など存在しない。
たとえ、まるっきり同じ道を歩いたとしても、ほんの数分違うだけで敵の居場所も変わるし、さっき行ったときは運よく地雷やトラップに掛からなかっただけなのかも知れない。
ジャングルや森の中では、ゴリラやオオカミなどの獣に出くわすこともあるだろう。
ここには居ないかも知れないが、イノシシや熊が居ないとも限らない。
だが今はそれをジムに言うのは止そう。
人間と言うものは、それ程緊張状態を長く続けることはできない。
緊張と緩和を繰り返さないと、次第に注意力が散漫になって行く。
もちろん俺も同じ。
ただ幼い頃から、戦争の真っただ中で銃を持って暮らしてきたため、普通の人間より緊張状態に慣れているというだけ。
他の人間は十代後半までは親や兄弟、それに友達に囲まれて殆ど命を晒すような緊張など味わっていない。
そういった意味で、ジムたちが羨ましく思えた。
もっとも、ジムにしても緊張を解いている訳ではないのは分かっている。
彼も気を使ってくれているのだ。
女だと分かってしまった俺のために……。
「いい道だ、これなら本当に散歩になるかも知れないな」
俺は、ジムの言葉に明るく同意した。
18時00分。
あたりも急に暗くなって来た。
特に、この谷は山の影になり、暗い。
まだ敵があの山の稜線に居るとしたら目に入る明るさの違いで、この谷は俺たちが感じる以上に暗く見えるはず。
だから彼らが、俺たちを発見するのは困難だろう。
それよりも問題なのは茂みに潜んでいるジェリー伍長たちだ。
彼らは確実に俺たちの足音に気が付くはず。
間違えて撃たれでもしたら堪らないし、それが稜線に潜む敵に察知されると、担架を担いで悠々と谷を下るなんてことは難しくなる。
「ジム、歌は歌えるか?」
「歌は好きですが、なにか?」
「小さな声で歌ってくれ」
ジムは驚いた顔を見せた。
「敵に聞こえてしまうんじゃ……」
「聞こえたら、撃ってくれるだろう。担架を担いで反撃できない状況になってから撃たれるのはマズイ」
「崖の上の敵?」
ジムが正面の頂を見上げた。
「特に調子に乗って大声で歌わない限り、崖の上には聞こえない」
「それは、この風向きですか?」
確かに風は山から谷の下に向かって降りている。
しかしジムに歌ってもらうのは、違い意味もある。
それは男性特有の低い声。
「音は高低により届く距離が異なる。同じ音量なら、高い音は遠くまで飛び、引くい音は周囲に広がる。ジムの声は俺の声よりも低く出せるから、遠くまで飛ばずに周囲に広がる。万が一ジェリーたちが移動したとしても聞き取れる可能性は高い」
ジムは少し考えて、それが茂みに潜むジェリーとトムへの迎えに来た合図だと悟り、小さな声で『聖者の行進』を歌い始めた。
体に似合わずナカナカ歌が上手い。
だがジムには申し訳ないが、その歌を聞いている余裕なんてない。
谷に降りた敵兵は全て排除したつもりだが、答え合わせまではしていないので、音のするものなら蝶の羽の音、動くものなら蟻でさえ見逃さないように辺りを警戒して進む。
もう少しで茂みと言うところで、何かの音に気が付いてジムの歌を止めさせて耳を澄ますと、微かに聞こえて来たのは『アメージンググレイス』
屹度この歌はジェリー伍長だ。
そう思ったが、警戒を解かないで茂みに進む。
そーっと茂みに近付くと、やはり警戒して銃を構えていたジェリー伍長が居た。
「救出に来た。怪我は?」
「トムは骨盤と胸をやられていて動けない。俺は足首を捻挫しているが何とか歩けないことは無い」
「みせてみろ」
ブーツを脱がして足首を見る。
内出血で腫れた足首をそっと動かすと、ポキポキと引っ掛かりのある音がした。
捻挫ではない。
恐らく崖から落ちたトムを助けるために飛び降りた際に、その衝撃で粉砕骨折をしている。
無理に歩かせると、神経をやられて後遺症が残るレベルだ。
「いいか、良く聞け。担架を持ってきているから、先ずはトムを連れて行く。その間お前はここに残れ。トムを運び終わったらまた戻って来る」
「いや、歩けるから一緒に行く。またここへ戻って来るのは、今回のように安全ではないかも知れない」
平地なら俺たちの肩に摘まらせて帰るという手もあったが、ガレ場の下り斜面では無理だろうし、そもそもたかがバランスをとるためだけと言っても粉砕骨折の足を地面に触れさせることは出来ない。
「駄目だ。君の足は折れている。無理に歩けば国に帰ったあとに、後遺症が残る可能性がある」
「しかし……」
「戦場で戦う事が君の人生の全てではないだろう。一時の気持ちに惑わされず、自分のこれから先の人生をよく考えろ」
「でも……」
「俺たちは、いま君たちの一瞬を助けに来たのではない。君たちのこれからを助けるために来たんだ」
ジェリーは渋々「分かりました」と言った。
トムを担架に乗せて持ち上げた。
「直ぐに迎えに来る。もしも敵が崖から降りて接近して来ても銃はなるべく使うな。銃口から出る火花で場所がバレる」
「では。どうやって……」
「なるべく横方向の遠くに、手榴弾を投げろ。手榴弾ならこの暗さでは、そうそう場所も特定できないし、敵は先ず手榴弾の爆発地点近辺を探すはずだ」
「分かりました」
「また迎えに来る」
最後にもう一度そう言って、ジムと担架を持ち上げた。




