ハンス①
しばらく、そこで待っているとジープに乗ったハンスがやって来た。
「乗れ」
「合格か?」
「いや、次のミッションに進めるだけで、まだ合否の判定は出ない」
俺がジープに乗ると、ハンスはゆっくりと車を発進させ、そして俺に聞いて来た。
「なあ、聞いてもいいか?」
「いいけど……何?」
「どうして、爺さんのハンマーを撃った?」
「あのタイミングで大工道具を出すのは不自然だし、ハンマーでも当たれば負傷するから」
「では、なぜ殺さなかった?」
「ハンマーで危害を加えると言う発想は、俺の思い込みかも知れないからだ」
「なるほど……では、親子三人に襲われたとき、どうしてマシンガンを使わずに拳銃を使った?そして何故子供にその銃を投げた?」
「拳銃の残り弾数が2発だったからだ。子供なら僅か1キロ程度の拳銃だと言っても鉄の塊は相当な武器になるから投げた。ヒントはお前たちのレイアウトに隠されていただろ?」
「老人のハンマーの仕返し、か?」
俺が「そうだ」と答えると、ハンスは愉快そうに笑った。
「最後に、何故教会の鐘が鳴り出した後に出て来た屋根の上の敵を撃った。いや、撃てた?」
「それは、君が仕掛けた罠だろ?」
「罠?」
「ゲームの最初に言っただろ“終了の合図はこの街の鐘の音だ”と。その言葉には、鐘が鳴り始めたときなのか鳴り終わったときなのかと言う肝心の言葉が抜けていた」
「そうだったか?」
「とぼけるな!」
そう言うと、愉快そうにハンスが笑い出したので、俺も笑った。
「なぁ君、多国籍軍の兵士を盾にした民兵を撃っただろ。あれは実際の経験に基づいて俺が作らせたんだぜ。よく気が付いたな」
「しかし、持たされた弾薬を使い切ってしまうゲームなんて厳し過ぎる」
「ああ、それは今日だけだ。通常はその三倍持たせているが、それでも弾を切らしてしまう奴が大勢いるのに、よくやった。あの弾数でクリアできたのは俺の他には、過去に一人しかいなかった。しかも俺がクリアしたのは何度か挑戦したあとだ」
「もう一人は誰? あのモヒカン? それとも黒い人??」
「どちらでもないし、この部隊員じゃなければ、どこかの兵士でもない普通の小柄な女性」
「民間人? それともスパイ?」
「分からない。その女性とは会った事も無い」
「しかし過去2人しかクリアしていない条件で新米にゲームをさせるなんて酷い試験もあったものだな。確実に俺を落すつもりじゃねーか」
「まったく、誰の指図やら……」
「ハンスの独断じゃなかったのか?」
「俺はそんなに意地悪じゃない」
「――まあ、そう言うことにしておいてやろう」
そういう会話をしながら二人で笑っていた。
車の中、風に打たれながら思った。
こうして笑うのは、サオリたちと暮らしていた頃以来、久し振りだと。
そして、太陽が西に傾く中、いつまでもこのドライブを楽しみたいと。
「今日は、ここに泊まれ」
案内されたのは守衛室の二階。
そこには無線室と宿直室があった。
ハンスが案内をしてくれた。
無線室へは予め登録されている者しか入れない。
セキュリティーはカメラによる本人確認と、センサーによる生命個体判別の二つ。
死んだ状態ではドアは開かない。
無線室では非常時以外は、主に各国へ派遣されている部隊からの定時報告を受ける役割で、非常時にはこの宿直室が全部埋まる。
宿直室は六部屋あるが、通常時は一部屋しか使っていない。
今は、通常時だから平和と言うわけだ。
基本的には一部屋を二人で使うことになっているから、ベッドは硬い二段ベッド。
君の場合は、ひとりで使っていい。
シャワー室は、奥に一つだけ。
もちろん女性用はない。
そしてトイレは、ここ。
これも同じで女性用はない。
洗面所はこのトイレにある手洗いを使う。
化粧の最中に、誰かが小便しに来ても気にせず化粧を続ければいい。
食事は、朝と夜この食堂で食べる。
そして、この食堂は守衛のミーティングにも使われるから、ここで寛げるのは朝と夜のだけだ。
そしてお前が使う部屋は、ここ。
開けられたドアの先には二段ベッドと一組のテーブルと椅子が備えられた簡素な部屋だった。
クローゼットはないが、その代りハンガーが有るから、服はそれに掛けろ。
電話は備え付けのこれを使う。
二階のスペースでは電波が遮断されているから携帯電話やトランシーバーは使用できない。
「なにか質問は?」
この赤いランプはなんだ?
ベッドの上に設置されているライトが気になって聞いてみた。
これは無線室と連動していて、無線連絡が入る度に点灯する。
ただ泊まるだけの君には、厄介な代物だろうが、切ることはできないので我慢してくれ。
他には?
ハンスの説明は分かりやすかったから、このスペースに関する質問はなかった。
ただ、入隊試験の結果がいつ出るのかだけが気になった。
「結果はいつ出る?」
「まだ出ない」
ハンスは少しだけ困った顔をしたような気がした。
「明日から筆記試験だ」
「明日から?」
「そう。これは食事の時に改めて話す。結果は旨く行けば一週間後。それまでは、ここがお前の宿舎だ」
ハンスは腕時計を見て、一旦部隊に戻ると言った。
そして18時10分に下に車をまわすから、外出できるようにしろと言って出て行った。
ハンスが出て行って、マズイことに気が付く。
いままで野宿やネットカフェで暮らしていたので、寝間着を持っていない。
共用のスペースがあるということは、他の人間と出くわすということ。
下着姿でノコノコと歩いていて、欲情した男が襲ってきて怪我をさせてしまっては元も子もない。
でも、考えても仕方がない。
このために寝間着を買う程のお金の余裕など残っていないのだから。
とりあえずバッグを開き、写真を取り出して机に置いた。
サオリとミランと一緒に撮った、思い出の写真。
写真に写るサオリの顔を指でなぞり、しばらく見つめて、それからベッドに横になる。
ここに入隊して、お金をためて日本に行く。
そして……。