戻ってきた平和②
お店を探しながら、エマと着替えてから病院にお見舞いに行くか、そのまま着替えずに行くか話していた。
エマは何日も着古した埃まみれの軍服で病院に入るのは衛生上好ましくないから、服を買ったら着替えて行くように俺に進めたが、俺はエマの魂胆が分かっていたから却下した。
エマは屹度、俺が着替えているところを襲うつもりなのだ。
それに着古したとはいえ、今着ている服は洗って乾いたものと、今朝替えたばかりなのでそんなに汚くはない。
もっとも洗ったと言っても、あの珈琲色の川で洗剤も使っていないから、きれいだとは言えない。
ワリカレで俺とハンスとブラーム、そしてトーニの服とズボンを買い、俺はついでにモトリに染みを付けられてしまったブラを取り換えようと思ったが、合うサイズが無かったのでそのまま店を出た。
足にギブスを巻いているトーニの分だけ、二つほどサイズの大きなブカブカの短パンにして車に乗る。
「あーやっぱ無理!」
車を出して暫くすると、エマが”もう我慢できない”と言う様な声を上げて言った。
「なにが?」
「無理ったら、無理なの!」
エマはそう言ったきり話をしようとしないで、病院に向かうはずの車も道を逸れて森の中に入って行った。
“トイレなのかな……?”
人通りのない森の中に車を突っ込むと、エマは俺に「着替えて頂戴!」と言ってきた。
「なんで!?その話は、お店に入る前にチャンとしたでしょう?」
そう。
俺は着替えて行くことを却下して、それで話は終わった。
「状況が変わったのよ!」
「状況が変わった?なんで?意味わかんない」
「いい?状況を変えてしまったのはナトちゃん、貴女自身よ。だから言うことを聞いて着替えなさい」
「俺が?なんで?」
「アンタがお店でブラを合わせるために胸を露出するから、もう私の心はムラムラなの!さあ観念して脱ぎなさい!」
エマを挑発するつもりは毛頭無かった。
だけどお店の奥でチョットだけ隠れて、ブラを合わせたことでエマを刺激してしまうのに、そのことを考えもしなかった俺がいけない。
まあ俺の頼みに快く応じてコンゴまで来てくれたのだから、我儘の一つや二つはチャンと聞いてあげないと罰が当たりそうなので、おとなしく服を着替えることにした。
案の定、着替えるために服を脱ぐと、エマが俺の体に覆い被さるようにして唇を重ねてきたので、俺は素直にそれを受け入れた。
「おぉ―っ、急に部屋が明るくなったと思ったら、ナトー!今日は戦いの女神アテナじゃなくてビューティフルルックのヴィーナスじゃないか!」
病院に着いて2人が入院している部屋に入ると、いきなりトーニが素っ頓狂な声を上げて迎えてくれた。
入るなり、服装が違う事に気が付いて、それを褒めてくれるのが嬉しい。
「調子はどうだ?」
トーニの顔を覗くと、逆に強烈に覗き返された。
「どうした?」
「ナトー、今日はいつにも増して、肌の艶が良いな」
カァーっと体のマグマが一気に頭に上って来るように、顔が火照るのが分かった。
油断していた。
女性の心を射るような観察眼を備えている、この女性専用高性能イタリア人の事を。
俺は枕を取り上げて、二三回それでトーニの顔を打ち付けて、ブラームの方に向かった。
「一体何なんだ?ナトーのヤツ??」
「アンタが見事に見抜いてしまったからよ」
「よう、エマ。見抜いたって、ヴィーナスの事か?」
「……違うと思う。 ところで私のお肌の艶は、どうかしら?」
「――ん~……、歳の割には好い方じゃないか」
ブラームと話をしていたら、急にパルスオキシメータが鳴りSPO₂(経皮的動脈血酸素飽和度)の異常を知らせた。振り向くとトーニのベッドには、他の空きベッドのマットが山積みになっていて呼吸が出来ない状態だったので、慌ててやって来た看護師さんとそれを外した。
「ふーっ。まったく死ぬところだったぜ。ナトー有り難う。マルガリータもサンキュウ―な!」
そう言った途端、トーニはマルガリータと呼んだ黒人看護師のお尻をペロンと触る。
彼女は「キャッ♡」と可愛らしい悲鳴を上げ、逃げるように部屋を出て行った。
俺はマルガリータの悲鳴の中に、小さなハートマークが隠されていたのを見逃さない。
“バスンッ”
トーニの顔を目掛けて、再び枕を打ち付けた。
「もー何なんだあのトーニと言う奴は、入院してから女性が居るものだから、たるみ切っている」
ブラームに愚痴を言う。
「しかもマルガリータなんて、あの娘何?」
「まあ、そう言うなよ、あの娘の名はンペンワでまだ15歳だ。マルガリータと言うのはトーニが、彼女の肌がとても綺麗だと言って授けたニックネーム。あの娘も気に入っている」
ンペンワはスワヒリ語で“愛しい”と言う意味。
そしてマルガリータはラテン語で真珠。
肌の誉め言葉でこれを引用するとは、油断ならないヤツ。
「トーニは口だけで娘に手を出しはしない」
「さっき、お尻を触っていたぞ」
「あいさつ代わりだから、心配するな」
「なにも、俺は心配などしていない。……いや、心配はしている。それは我々外人部隊が節操のない野蛮な軍隊だと思われてしまうことだ」
「大丈夫だよ」
「大丈夫なもんか!ブラームの前で言うのは悪いけれど、君も知っている通りトーニは隊内いちの有色人種嫌いだ。そのトーニがコンゴ娘のお尻を触って親しそうにするなんて由々しき事態だ」
「気にならなくなったんじゃないか?」
「どうして? 反政府軍や司令部を拘束した奴らも全員黒人だったんだぞ」
「1人いたじゃないか、お気に入りの黒真珠に変装したヴィーナスが、そいつがトーニを変えさせたんじゃないのか?」
カーっとまた体が熱くなった。
足を骨折したトーニを救出した後の事。
俺は悪路を猛スピードで走り、揺れるトラックの中で痛がるトーニを介抱するために膝の上に抱いていた。
その時のトーニは痛さに苦しみながら、ブラームが居ると言うのに沢山黒人に対する悪態をついていた。
フェイスペイントを体中に塗っていた俺が、今は俺も黒人だと言うと、それは黒くしてあるからだと応えた。
真っ暗な夜の道を走るトラックに荷台には光は入らない。
だから俺から見れば俺も他の皆も、皆黒人に見えると言った。
太陽の光がもしも黒い光だったとしたら、昼でも夜でも皆黒く見えるとも。
そして、もし俺が黒人だったとしたら好きになったかと聞いた。
トーニは、それっきり悪態をつくのを止めて黙った。
 




