ヤザ
「よく俺だとわかったな……」
「子供の成長した姿くらい合わなくても想像できる。良いように成長した姿、悪いように成長した姿――だが今回は少々たまげたぜ、良過ぎるように成長した姿までは予想できなかったからな。それに銀髪で右目にアウイナイト、左目にエメラルドを付けたオッドアイなんていうのはそうそう居ないからな」
(※アウイナイト:英名ではラピスラズリと言われる宝石、ネオンブルーのとても綺麗な発色をします。 エメラルド:三大宝石の一つ。古代から多くの女性たちを虜にし、あのクレオパトラも愛用していたと言われています)
「ところで、神聖な滝って何のこと?」
さっきのバラクとの会話で出て来た名前が気になって聞いた。
人の名前なのか、地名なのか……
「俺はもう直ぐ、この国を出る。ナトーも一緒に付いて来い」
「いやだ!」
さっきはバラクに、もう殺しはさせないと言いながら、ついて来いと言う。
「お前、まさか難民キャンプ……」
何故難民キャンプの名前が出て来るのか妙に感じたが「居たらどうする」と、答えた。
「居るのか」
そう言うとヤザは煙草に火を付けた。
ヤザは余り煙草を吸わない。
俺の知る限り、ヤザが煙草を吸うのは、困ったときだけだ。
「何かあるのか?」
「いや、なにもない……たしかあの難民キャンプには気立ての好い日本人スタッフが一人居るだろう」
「さあ――」
サオリの事だと分かったが、迷惑が掛かったらいけないので知らないふりをした。
「日本人は親切で優しいから、お前のような奴をみたら屹度親切にしてくれるだろう」
「そうかもな」
「だが、お前が昔GrimReaperと呼ばれた狙撃手と分かったらどうだ? 子供だったお前は知らないかも知れないが、軽く200人以上の多国籍軍兵士を狙撃で殺したお前には向こう側で懸賞金が掛けられるほど恐れられていた悪魔だ」
「昔の話だ、それに俺はもう狙撃などしてはいない」
「だが、その日本人が昔のお前の事を知ったら、どうなる?狙撃では200人以上だが、本当はもっと沢山の敵を殺しているし、俺と一緒に罪もないただの酔っ払いに爆弾を巻き付けて爆発させた。えっ?! 心優しい赤十字の日本人女性が、それを受け入れて今まで通り接してくれると思うか?俺がばらさなくても、いつかは分かってしまう。お前の過去を知った後、誰がお前を守ってくれる?人を殺したことがない人間には、人を殺した人間の気持ちなんて分かりはしない。たとえどんな理由がどうであろうと、平和に暮らしている人間から見れば、お前は立派な人殺しだ」
「……」
「それに、難民キャンプを守っている多国籍軍がそれを知ったら、お前は処刑されるだろう。だから、黙って今直ぐ俺に付いて来い」
「難民キャンプなど知らない。俺はたまたま旅行で故郷に戻っただけだ」
「嘘を言うな」
「嘘じゃない!俺はもう昔のような貧乏で哀れな子供じゃない!」
そう言って腕時計を巻いた手を突き出した。
“はったり”
サオリに借りたこの腕時計が安物なら嘘は直ぐバレる。
しかし、ブランド物の高級品ならヤザも納得するだろう。
ヤザは俺の手を取って、その時計を暫く見て諦めたように肩を落として「そうか……」と一言だけ言った。
丁度その時、サオリとミランが通りを歩いて行くのが見えた。
“まずい”
俺は咄嗟にヤザにそれを見られないように、視界を遮り、手を取って話した。
「幼い俺を拾って育ててくれた恩は忘れない。だからヤザも反政府活動など辞めて、普通の暮らしをしてくれ」
「無理だ……出会うのが遅すぎた。俺はもう直ぐここを出る」
「国を離れて何をする」
「似たようなことさ、もう俺は辞められない。辞めた時点で殺されてしまう」
「誰に?」
「仲間に、だ」
「仲間とは誰だ?」
「お前には関係ない。達者でな」
そう言ってヤザは俺の肩をポンと叩いた。
「ヤザ!」
反射的にヤザを止めようとして抱きついていた。
ヤザは俺の頭を軽くコツンと叩いたあと、肩に手を掛けて体を離し「折角の綺麗なドレスが汚れるぞ」と、そう言って裏通りを奥に進んで行った。
「サオリ」
私を探して、大通りでキョロキョロしていたその後ろ姿に声を掛けた。
振り返ったサオリが驚いたように声を上げる。
「ナトちゃん?あなた本当にナトちゃんなのね!」
なにを今更言っているのだろうと思っていると、キャンプ地での姿が見慣れていて、髪を整えてお化粧をしてもらった今の姿がまるで別人のようだと言い、私の両手を持って喜んでくれた。
不思議だ。
ヤザはどんなに化けても直ぐ分かると言い、サオリはまるで別人のようだと喜ぶ。
他人から見た今の私は、一体どっちなのだろう。
「あれ?ナトちゃん、なにかあった?」
サオリが顔を覗き込んで聞く。
「別に、なにもないよ。どうして?」
「なんだか、いつもより表情が硬い気がする」
ヤザと出会ったことが影響していることは直ぐに分かった。
でも、それをサオリに話すわけにはいかないから、化粧のせいにして誤魔化すと「急に大人っぽくなったから、そう見えるのかもね」って納得してくれた。
「それより、どうしたのその革ジャン」
私がキャンプを出たときには着ていなかった黒い革ジャン。
屹度、私がヘアサロンに入っている間に、どこかで買ったのだろう。
でも、この時期に革ジャンだなんて。
それを、言おうかどうしようかと迷いながら見ていると、急にサオリが腕組みをして射に構えニヤッと笑って口を開いた。
「どう、ワイルドだろ♪」と。
そう言って何故か一人でキャッキャと笑って、私とミランは何のことかさっぱり分からなくて目を丸くしてそれを見ていた。
「なにそれ?」
意味が分からなくて聞くと「自慢したいときに使うジャパニーズ・ジョーク」だと教えてくれたので、他には、どんなのがあるのか聞くと、いきなりジェスチャーを始めた。
それは、両方の手の指で人を指さすように窮屈に胸の前で構え「ゲッツ」と言ったあと、片手で人を紹介するように広げ、もう片方の手を腰の位置、手を伸ばした方に体を傾けて後ずさりしていく。
なにかを披露してくれるのかと思っていた私は、その意外な結末に噴き出してしまった。
「ねえねえ、このジャパニーズ・ジョークは、いったいどんな時に使うの?」
笑いながら聞くと、物事が無事終わり舞台から退くときにやるジョークだと言って、もう一度やって見せてくれ、私はまた大笑いした。
笑い過ぎて、涙が出る。
「ナトちゃんも、やってみて」
手ほどきを受けて、私がやって見せると、今度はサオリが涙を流しながら笑う。
あんまりサオリが笑うので「もうヤダ」と言って止めたけれど、笑ってはいるものの難民キャンプにやって来てからサオリが涙を流すのを初めて見て、なんだか不思議な哀しささが胸を覆った。
「それにしても、俺は腹が減ったぞ」
私たちの長いやり取りを見守っていたミランが業を煮やして言った。
「ゴメンね、買い物に付き合わせたあと、ジョーク合戦に付き合わせてしまって」
ミランの手にはお店の袋が二つ。
「カフェでランチにしましょ」
そして、近くのカフェに入ってランチを食べた。
「やっぱ、暑いは、コレ」
そう言って、サオリが革ジャンを脱ぎ、私に渡した。
「えっ!くれるの?」
冗談で言うと、私だと思って着ても良いのよと変なことを言うので“変な冗談は止めなさい”と、たしなめる。
ペロッと舌を出して、悪戯がバレた子供みたいな表情を見せるサオリ。
帰国が近いせいなのか、なんだかいつもよりハイになっている。
バーガーを食べ、食後に紅茶を飲む。
こうして落ち着くと、忘れかけていたヤザの言った二つの言葉が、頭の中で繰り返される。
“お前の過去を知ったとき、誰がお前を守ってくれる?”
“平和に暮らしている人間から見れば、お前は立派な人殺しだ”