母ゴリラの死
「ナトー軍曹……」
「なにを突っ立っている。早く治療をしてやってくれ」
「でも……」
「でも、なんだ。マウンテンゴリラを助けるのは駄目なのか?」
「いいえ、やってみます」
「たのむ」
余程傷が痛むのだろう、額からの汗が止まらない。
「ブラーム。悪いが水を飲ませてやってほしい」
「分かりました」
俺は何度も何度も、その大きな手を取り、額の汗を拭っていた。
息が荒い。
ゴリラの手に力が入り、俺を顔に近づけようとしている気がした。
「どうした。何か気になる事でもあるのか?」
むろんゴリラは話せない。
だが、しきりに俺の耳に息を掛けて、何か伝えようとしている。
俺にはそれが分からなくて悲しい。
「メスのゴリラですから、子供がいるのかも知れません」
メントスが、教えてくれた。
「子供が一緒だったのか? 心配するな。子供は俺たちが直ぐに見つけてあげる」
ゴリラが俺の目を見て笑った気がした。
そして目から涙が零れ落ちたかと思うと、深く溜息をつくように息を吐き、呼吸が止まる。
「馬鹿! 死ぬな!」
俺は慌てて人工呼吸と心臓マッサージをした。
「生きろ! 生きて子供に会ってやれ!」
生き返らせるため、必死だった。
滝のように流れる汗が、ゴリラの黒い胸板に零れ落ちる。
止めようとしてハンスが俺の手を掴んだので、その手を振り解くと「もう止せ!」と打たれて、死んだ母ゴリラの胸にうずくまり泣いた。
「ミヤン、写真を撮ってモンタナに付いてトーニと北へ向かえ。近くに道路がある。急げ!」
「了解!捕獲した奴は、どうします?」
「俺たちに拘束までする権利はないが、危険地帯だからおとなしく同行するなら身の安全は保障すると伝えろ。あとは証拠写真と、奴らが捕獲したものを連れて戻って来い」
「同行を渋ったら?」
「俺たちは警察じゃない。証拠写真をキースに運ばせて、あとで罰を受けさせる。パスポートの写真も忘れるな」
「了解しました!」
「母ゴリラは、ここで埋葬する」
「でも、子供に……」
「馬鹿、そんな可哀そうなことが出来るか。母親は傷を負ったが逃げ遂せた。それでいい」
「分かった」
死んだ母ゴリラの目を閉じてやり、傍に大きな穴を掘って埋め、十字架を作って立てた。
「おいトーニ、そんなに走るな! もし敵に遭遇したら、どうする!」
後ろからモンタナの声がするが、構っちゃいられねぇ。
リビアでバラクが死んだときも、ナトーは1人で立っていられないほど泣いたと聞いたが、俺はそれを見てねぇ。
あとになって伝え聞いただけだ。
その時は俺が居たら慰めてやれたのにと思ったけれど、今回実際に目の前で母ゴリラが死んだとき、泣き叫ぶナトーを見ているだけで何も出来なかった。
ハンス隊長が殴った時も、酷えと思っただけで、ただそれを見ていた。
結果的に隊長の判断は正しくて、それでナトーは正気に戻った。
情けねぇ。
しかし今度は違う。
犯人をこの手で吊るし上げてやる。
ナトーを悲しませた罪は重いってことを、後悔させてやる。
入隊以来、こんなに真面目に走ったことはねぇ。
しばらく走ると道に出た。
どっちだ?!
「馬鹿やろう。いきなり道に飛び出す奴があるか! 敵がいたらどうするつもりだ!」
モンタナに怒られた。
でも、時間との勝負だ。
どのみち奴らは車で来ているはず。
逃げられたら、いつものようにただのお調子者で終わってしまう。
「どっちだ?! 右か左か?」
「よし。じゃあトーニは右。俺は左に走る。ミヤンはここで待機して見つけ次第呼ぶ。5分走って見つからなかったら、直ぐここに戻る。いいな」
「OK!」
俺は右に走った。
額から汗が止めどなく流れ、心臓がバクバクと悲鳴を上げる。
今までチャランポランにしていた罰が当たった。
でも走るのを止めない。
数分も走ると白いバンがこっちに向かって走って来るのを見つけた。
止まるように合図をするが止まるどころかスピードを上げやがった。
だから連射で威嚇射撃をした。
車の前に幾つもの砂ぼこりが上がりバンは止まったが、ドライバーが後ろを振り向くのが見えた。
“バックで逃げるつもりか!?”
俺は直ぐに手榴弾を車の後ろに放り投げた。
バックを始めた車が、後方の爆発音を聞いて止まる。
“ざまー見やがれ!”
これで銃を持って降りて来ようものなら、全員射殺してやる。
その意気込みを示すために、俺はマガジン交換をしてボルトハンドルを引いて見せた。
車の中には4人居る。
その4人が、中で騒いでいた。
まだ懲りねぇで逃げる算段でもしているのかと思い、レバーをシングルに切り替えてミラーを撃つ。
吹っ飛んだミラーに驚いた車の中の奴らが動きを止めた。