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倫理観

大学三年の時に取ったエジプト史で、アッシリア人(メソポタミア付近の文明)がエジプトを支配したとき(第26王朝)、彼らの支配は残虐であったと習いました。彼らは反逆者を皮剥ぎの刑や串刺しの刑に処していたそうです。酷いと思いでしょうが、その時教師はこのようにいいました。「今の社会でも似たようなことは起きている。ただ直接的な方法でなくなっただけ」と。先週のテーマである道徳心とは何か、につながりますが、近年では道徳心を損なう刑罰は見られなくなったでしょうか。私はいいえ私たちにそんなことを言えた義理はありません、ただ人目につきにくくなっただけだと思います。歴史的には打ち首や磔、生きたまま焼かれたり、石川五右衛門のような釜茹での刑などがありました。どれも当事者を大いに苦しませることで、自分の行なった罪の意識を持たせるというのが主な理由だったのかもしれません。しかし重要なのはこれらの処刑が公の場で行われていたという点です。理由は群衆に見せしめるためでしょうか。自分も同じ過ちを犯したらこのようになるんだぞ、と脅していたのでしょうか。治安維持の手段としては効果的に思えます。何はともあれ、公衆の面前での処刑の何が重要かというと、人々の記憶に残ることです。人々はその光景を目の当たりにし、周りに共有します。子供達に言い聞かせたりもしていたでしょう。そして中には口で伝えるだけでなく、文や絵で後世に伝えようとしたでしょう。それを読んだ人、聞かされた人の中には時代の変化に感化され、処刑のやり方に疑問を感じ、処刑法の変更を求めた人もいたことでしょう。結果として“道徳心”や“人情”を重んじる甘美な響きが蔓延る今の社会では絞首刑や銃殺刑、薬殺などできる限り当事者を苦しませずすぐに殺す方法が一般的となりました。

過去よりは残忍さが減った、確かにそうかもしれません。しかしこうも考えられませんか。人々はただ罪悪感に駆られない方法を編み出したと。つまりは自分の身を守るため。公開処刑が行われなくなったのもこの思いが強かったからではないでしょうか。人を殺す行為はたとえ大義名分があろうともいい印象を持ちません。衆人環視であればなおさら罪悪感に浸ります。それが今や人知れず、ひっそりと殺されるようになった。そして我々に伝えられるのは、処刑されたという結末が報道されるだけ。元々の目的であった我々の罪に対する意識も薄れていきます。何よりタチが悪いのが、虚しい防衛本能の結果、自ら手を下さなくなったことです。今や直接人間が手を下さず、技術に任せる時代です。薬やガスもそうですが、銃殺や絞首も今やボタン一つで行える時代です。人の命を遠隔からボタンを押すだけで奪うことができる。怖くありませんか。何より心配なのが、将来、さらに簡単に人の命を奪う方法が発明された時に、処刑人は果たしてそのスイッチを押すことに躊躇いがあるでしょうか。まるで雑務をこなすかのようにあっさりと高みの見物を決め込むのではないでしょうか。それこそ道徳心を遵守するなどと戯言を抜かしていると言えないでしょうか。

来週もアカデミックな議題です。再び歴史の魅力を伝えていこうと思います。

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