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登下校

日本は治安がいい、安全だと海外の人は口々に言います。お財布を落としても警察署に向かえば現金もそのまま帰ってくることが多い。バスや電車で寝ていたとしても、バッグや貴重品を盗まれることも少ない。そして子供が一人で学校から帰宅すると言うのも日本が安全な国であるという象徴的な風習です。海外では基本スクールバスが出て生徒を一人一人送迎してくれます。私も日本にいた小学一年生の一学期と二年生以外は全てスクールバスで学校に向かっていました。中国の日本人学校時代でもスクールバスが出ていました。私の住んでいた地域に日本人が多かったからです。海外となると、いわゆるその現地の人以外が住む場所は限られてくる。日本の新大久保周辺に韓国人がたくさん住んでいると言われてると同じような感じです。そのような日本人の生息地に私も住んでいました。日本人が集まる条件として不可欠なのがやはり清潔さと日本語での対応ができると行ったところでしょうか。基本的にマンションとホテルが併設されているだけあってそこに住んでいる日本人は、出張で短期で来る人もいれば、単身赴任できている人、そして親の仕事の都合で家族全員で住んでいる人など様々です。そんな一身上の都合で日本からやってきた子供達が中国にきて通う学校はだいたい日本人学校です。なので、日本人学校時代は四十人ぐらいが乗れる大型バスで送り迎えをしていました。三年生の時、つまりインターに通うようになってからのバスはマイクロバスで、運転手も合わせて五、六人と言った人数しか乗っていませんでした。そして学校から乗り降りするスクールバスの停車場所はなぜかマイクロバスは正門にありました。多くのスクールバスは学校の裏門に大量に集められているのにです。将門は主にスクールバスを利用しない個人で送り迎えする人たち用の停車場所でした。この学校は非常に広いです。敷地内で小さなバスが巡回しています。生徒たちはよく自分の今いる場所から次の授業が行われる場所まで距離があると、そのバスを使います。小学部の建物から裏門までなら徒歩で十分程度なのに対し、正門までは歩いたら三十分近くかかりました。そのためよく敷地内を走るバスで正門まで送ってもらい、そこからマイクロバスに乗って帰っていました。もちろん登校の時も正門から入り、乗り換えをして学校に向かっていました。遅刻しないように到着する時間も結構早かったので、当然起床も比較的早かったと思います。しかし四年生になってからこの学校に通っている生徒が多くいた場所に引っ越したおかげで裏門から出る大きなバスに乗るようになりました。しかし小学校の建物から近い場所にあっても、そこでやるのは主要の五教科だけで、美術や音楽はまた別の場所にありました。これが随分とまた遠い場所にありました。なので音楽が最後の授業の日はみんな走ってバスに向かっていました。


小学三年生からの三年間の学校生活はざっとこんなもんでしょう。断片的にしか記憶にありませんが、とにかくここで私は一通りの英語と中国語を身につけました。しかしその代わりに日本語を全く勉強しなかったので、いつの間にか中国語の方が日本語より上手になっていました。自分は一体何人だろう、三ヶ国語喋れるけど、どれもネイティブとは言い難い。これがサードカルチャーキッドとしての弱点なんだとこのときは思ってもいませんでした。

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