死について(3)
人が死から逃れようとする理由。それはまだこの世にやり残したことがあるから。まだこの世で何も成し遂げていないから。このまま死んだら特になんの功績も残していない自分の存在はきっと時が経つに連れて忘れ去られていく。それが嫌だから。それはわかります。私もそれが嫌だから“今”やっておくべきこと、やりたいことをやっているのです。
しかし多くの人は本来の自分の寿命内では果たせない野望を抱いています。その野望をなんとしても果たそうとして長生きしようとします。長生きして何としても自分が生きた証をこの世に残したい。寿命が来ても無理やり延命処置を施そうとします。そもそもなぜ寿命を伸ばそうという研究が行われているんでしょうか。室町時代では大体五十代で寿命と言われてきたのが、今や人生百年の時代。寿命を長引かせてその先に何があるんでしょうか。不老不死に到達する気でしょうか。
永遠の命を得たらどうなるのか。私ならこう考えます。いずれ生きるのが辛くなって自ら命を絶っていく、と。人間は目的がなければ生きていけない軟弱な生き物です。限られた寿命の中で目指す目標があるからこそ懸命に今を生き、その目標のために努力を惜しまない。しかし永遠の命を得ればどうなるか。無限の猶予があるわけです。人間は怠ける。努力することをやめる。進歩しなくなる。そして生きるのに飽きて死んでいきます。それが望んでいる未来なら考え直した方がいいと私は思います。人間としての寿命が来ればむやみに延命するべきではないのではないでしょうか。時間に抗わないで欲しいです。不慮の事故で寿命が尽きたとしても私はこれが運命だと思っています。この時がいつか来ると思ったからその日まできっと毎日を悔いなく楽しく生きていた。いい人生だったと満足して逝けるというものです。
偉そうなことを言いますが、皆さんは命のありがたみを感じていますか。今や発展した医療技術や健康の知識によって人間の寿命はどんどんと伸びています。人間誰しも長生きしたいとは思うはずですが、そのせいで死がどんどん遠のいているとは感じていませんか。たとえ事故で大怪我を負ったとしても適切な処置を施してもらえて死は免れる。たとえ思い難病にかかっても早期発見ですぐに対処できる。そんな自信や驕りが心にあるのではありませんか。
しかし死というものが遠い存在であると信じきっているせいでいざ死と直面した時私たちは見苦しく抗おうとします。他は助かっているのになぜ自分だけが、と被害妄想に駆られます。時には他を犠牲にしてまで自分が生き残ろうとします。犠牲となった被害者の遺族は嘆き悲しみ、時には憎悪にまみれて、自我を失い、死を連鎖させてしまう。自分の身勝手な行動で大惨事が起きてしまった。往生際が悪いと思えませんか。はた迷惑だと思いませんか。
つまり何が言いたいかというと死は誰にでも、なんの前触れもなく、いつでも訪れるのだということを理解してもらいたい。限られた命、いつ潰えるかもしれない命を背負っているからこそ今を懸命に生きて欲しいと私は思います。死と隣合わせ、それが生きることではないでしょうか。死を常に意識していればいざ自分に訪れても怖い、逃げたいと思わず、迷いなく受け入れることができるでしょう。
“今”を生きるのが苦しいからと言って自殺もいけません。世の中には生きたくても生きれない人がたくさんいます。自分が生かされてることに幸福を感じるべきではありませんか。生きるチャンスがあるのにそれを棒に振るってしまっては生きたいと思ってる人の立つ手がありません。
自分が死ねばあなたを大切に思っている人があなたの自殺の原因を追求しようとします。彼らの悲しみや怒りは歯止めが効かなくなり、加害者を仕立て上げます。その加害者が本当に自分の死の原因なのかは彼らにとってはわかりようがありませんが、彼らは自分たちのこの悔しい気持ちを誰かにぶつけないと気が済みません。そして周りの見ず知らずの人たちが遺族に同調してその加害者を寄ってたかって追い立てします。その圧力に耐えきれず、その加害者も自殺してしまうことがあります。死はどんな形であれ連鎖する恐れがあります。その連鎖を止められるのは死ぬ当事者。当事者の本当の気持ちが悲しんでくれる人たちに伝わるかどうかです。
未来のことを考えるのもいいですが、その望んだ未来まで生きれるかどうかなんて誰にもわかりません。なのでたとえ今命を落としても悔いが残らない、そのような生き方をして欲しいのです。そしてちゃんと残った人たちに自分は誰も、何も恨んでないことを伝えれば、きっと死に対する認識は変わっていくのではないでしょうか。
随分と長々と反してしまいましたね。死というテーマのもと書いたつもりだったんですが、書きたいことが溢れてきて、一貫性に欠けてしまいました。読みづらかったと思います。申し訳ありません。一応わかりやすいように細かく段落わけをしてみましたがいかがだったでしょうか。
来週はおそらく一話完結。テーマは何と表現したらいいでしょうか。自分の思考回路について、でしょうか。まあ、とりあえず今回と同じような深そうで深くない、人によっては当たり前のことを雄弁に語っている様子をお楽しみください。