食生活
よく小学校低学年と高学年を分ける時、その境は三年と四年、もしくは四年と五年でしょう。この学校の場合それは三年と四年でした。自分が低学年なのかはたまた高学年なのか。それが一番実感できたのは昼ごはんの時でした。小学校三年まではクラスが一列に並んでみんなで食堂に向かい、すでに用意された給食をみんなで食べる。そしてみんなが食べ終わった頃みんなで教室に戻るという流れでした。日本の集団でいることを良とする教育と同じ感じだったでしょう。
しかし四年生からは自由に食堂に向かい自由なものを自分で買い、食べる。もちろん食堂で買わず弁当持参でもよかったです。三年生の時の給食は美味しいとは言えなかった。やはり日本人と中国人では 味の好みが違うのだと思います。全体的に油多め、しかしなぜか薄味。ご飯もあまり美味しくない。中国と日本、どちらも米を主食とする国ですが、ご飯の調理方法は異なっていました。日本ではお米は炊くのが一般的ですが、中国では蒸すのが主流です。というのも中国の米は基本もち米なので、炊いてしまうとおかゆのようになってしまうので、蒸しているのだそうです。しかし日本で炊いた米しか食べてこなかった当時の私にしてみれば、なんとも違和感ある味でした。
具体的にどんな給食だったのかと聞かれると、説明するのが大変なので、簡単に説明するとまず提供されるお皿は日本のようにプラスチックではなく、おそらくアルミ。大きなアルミのプレートにそれぞれ異なった大きさの窪みがありました。よくホテルのビュッフェなどで見かける色々な種類の食べ物を盛るため、複数の窪みがあるプレートといったら、想像がしやすいでしょうか。中央の一番大きな窪みにはご飯、そしてその周りを囲むようにおかずが盛り付けられていました。
ここからは悪口のようになってしまいますが、了承してほしいです。毎回給食のメニューは違いますが、今回はその中の一つを紹介します。まずは塩茹でされた青梗菜。他に特に味付けもされていませんでした。次にトマトを卵と炒めたもの、これは番茄炒蛋といって中国では定番の家庭料理です。これはなかなか美味しかったという印象があります。そして青梗菜と同じく茹でられたソーセージ。私としてはソーセージは焼いてほしかったと常々思っていました。これに牛乳ではなく、ココアのような飲み物が付きました。”ような”と付け足したのは、ほとんど水でだいぶ薄めてあったからです。これが当時の給食でした。やはり子供の頃というのは好き嫌い、また見た目だけで判断する食わず嫌いがありましたから、給食はほとんど残していました。今にして思えば勿体無いことをしたなと思いますが、そもそも学校生活が嫌いだったのでそんなことどうでもよかったんだと思います。
四年生になってからは自由度が増しました。身分証に入ったお金で自由に買いたいものを買うことができました。三時間目と四時間目の間にスナックタイムが設けられていて、そこでよく肉まんを買っていました。昼ご飯の時は母親に頼んでもらい弁当にしてもらいました。中国人以外は大抵弁当持参だった。それだけ外国人にとってはそこの給食は酷だったてことでしょう。ただし金曜だけは弁当は無しにしてもらっていました。なぜなら金曜だけは食堂でマクドナルドのハンバーガー、そしてピザハットのピザを売っていたからでした。ピザは一種類だがハンバーガーは数種類ありました。
ちょっとここでクイズをしようと思います。今からマックのハンバーガーの中国語名を出します。それが一体なんなのかちょっと考えてみてください。ではまず巨无霸。
これはビッグマックです。最初が巨大の巨なのでそこから推測できるかもしれませんね。では次に麦香鱼。
これは、フィレオフィッシュです。最後の鱼が魚だとわかりますよね。そして次は双层吉士汉堡。
これはダブルチーズーバーガーです。そして私がよく食べていたのが辣腿と呼んでいた、日本には売られていない、マックスパイシーというハンバーガーです。これはマックチキンのチキンがスパイシーになり、さらに衣も分厚くなったものです。辣腿は略称で正式な名称は麦辣鸡腿汉堡です。ダブルチーズーバーガーにもついていた”汉堡”はハンバーガーの意味で、フィレオフィシュについていた”麦”はマックという意味です。ちなみにマクドナルドを中国語で麦当劳。読み方はマイダンラオでまあ当て字ですよね。同じくピザハットは必胜客。ビーシェンクと読みます。ちなみにピザは比萨でビーサーと読みます。やはりファストフードは万国共通何人にも愛されるものなのだと実感しました。といった具合に四年生から英語と中国語が多少上達して人との交流ができるようになったという面でも、そして自分の好きなものを自由に買えるようになったという面でも学校生活が徐々に楽しく思えてきました。
しかしそれと同時に少しばかり日本人もしくは私の性格的弱点に漬け込むような行為も度々行われました。外国人が思う日本人の印象、物静か、クール、消極的、控えめ。これらの言葉が日本人のステレオタイプ、固定概念として定着しています。もちろん日本人全員がそういう性格ではないことは私も認知しています。しかし私の性格はというと、自分で言うのもなんですがこのステレオタイプ通りです。自分の意見は提言せず、他の人の意見に従う。あれをやれ、これをやれと言えば本心は違っていても従う。しかし相手の言っていることが正しいと思っているわけではないので、これをやれと言われても自分は100パーセントの力を発揮しない。
消極的で誰のいうことも素直に従う私は、豪快で積極的な、悪く言えばいい加減でガサツな人から見れば格好の餌食だった。これは私一個人としての意見なので、鵜呑みにしないでほしいのですが、中国人はこういう人が多いと思います。こうは言っていますが別にいじめを受けていたわけではありません。喧嘩をふっかけられることはあっても私も了承しているし、先生に告げ口せず私もやり返していました。よく大きな枝を使ってチャンバラごっこのようなものをしていました。正直当たると痛かったのですが、私も枝を使っていたのでお互い様だと思っています。餌食というのはこのことではありません。
四年生、五年生になってからは私は金曜日以外は弁当を持参するようになっていました。母親が作ってくれた弁当、中身は前日の残り物や、卵焼き、ウインナーなどまあよくある普通のお弁当でした。それが周りの外国籍を持った中国人クラスメイトに人気だったのでした。やはり食堂の料理をまずいと彼らも感じていたんだと思います。お昼休みになると私の周りに集まって私から食べ物をもらう。勝手に漁ることはせず、私から「頂戴と」一応の了承を得ていました。そこはちゃんとマナーがなっていたなと思いました。物々交換という形で代わりに何かをくれる人もいれば、ただもらっていくだけの人もいました。残るものは大抵野菜でした。米でさえ奪われていました。中国には無いふりかけ文化が彼らには好評だったようです。私はもともと小食であったし、大抵お弁当を残すのでまあちょうどいいかと思っていました。彼らは餌付けを学んだカラスのように毎日のように私に押し寄せた。きっと私はなんでもいうことを聞くと思っていたんだと思います。私自身もこの時だかりはみんなの注目を浴びていたので、これで何かしらクラスメイトとの交友関係が築けたらなと思っていたのだと思います。