食事(2)
随分と前に胃腸炎になって以降食べることが嫌いになったと紹介しました。そしてそれはその後の自分の生活にも影響したと言ったと思います。そしてその影響がどのようなものだったのかの説明を後回しにしていたのを最近読み返して思い出したのでここで述べておきます。
結論から言うと、私は親密ではない関係の人以外とは食事を極力しないようになりました。胃腸炎になった直後の七年生当時は、仲良くしているクラスメイトとランチタイムは一緒に過ごしていましたが、一緒にランチはしていませんでした。つまり周りがお弁当を持参して、カフェテリアでご飯を食べている中で私は水筒だけを持参していました。
同じように日本に帰国してカナディアンに通うようになってからも、当初は誰にも見られない場所を探しては一人で食べていました。カナディアンの場合それは非常口を出た踊り場でした。そこの階段は普段誰にも使われておらず、使うのは大抵教師の誰かがタバコを吸うくらいで、生徒は普段滅多に使いません。三階建てのビルのそれぞれの階に非常口があったのですが、私は教師と鉢合わせしないように鍵がかかっている屋上付近で食べていました。しばらくして仲のいいクラスメイトができるとランチタイムを一緒にすることが多くなりましたが、その時は大抵お弁当を食べ切らずにいました。八年生、九年生、十年生とカナディアンにいた三年間でお弁当を完食したことは一度もなかったです。
なぜクラスメイトと食事をしたくなかったのか。もしかしたら人前で食べることが恥ずかしかったのかもしれません。今でもそうですが、私は箸の持ち方がしっかりできていません。それを気づかれるのが嫌だったのかもしれません。ではなぜ完食しなかったのか。単純に人と食べることに緊張して食欲が湧かなかったのかもしれませんし、あとは当時私は、口に食べ物をたくさん含むと吐き気を催していたので、なるべくゆっくり、少しずつ時間をかけてご飯を食べていたので、他の人と比べて食べるのが非常に遅かったと思います。例を一つ挙げますと、夜ご飯は家族三人(当時、姉はカナダにいるので)で食べていましたが、基本的に彼らが食べ終わった後も私は食べ続けていました。だいたい一時間ほどかけて食べていましたね。なので“食べるの遅いね”と言われるのが嫌だったのかもしれません。私の場合、”食べるの遅いね”と言われると早く食べなきゃとプレッシャーを感じてしまい、もっと食欲が失せてしまいます。なのでそう言われないためには他の人が食べ終わるのとほぼ同じくらいに自分も食べるのをやめなければいけませんでした。特に十年生の頃は前にも話したI氏が隣にいましたので、余計に緊張し、見栄を張っていたんだと思います。
カナディアンが交友関係の絶好期だったと思います。十一年生になってもう一度広州に来た際は、私を中学時代から知っている人はたくさんいましたが、三年間のブランクからかだいぶ疎遠な関係になっていました。なのでそれまでのようなランチタイムを共にする人は一人もいませんでした。なので今回も私は人が滅多に来ない場所を見つけそこでご飯を食べていました。一つは校舎で一番使われていない階段の一番上の踊り場。そしてもう一つは体育館三階の電気系統の部屋の目の前にあるスペース。特に体育館の方は今まで一度か二度しかそこに来たものはいませんでした。途中から知り合いが私の後をつけてきて、一緒にそこで食事をするようになりましたが、それ以外の人はそもそもその存在も知らないようでした。私は人付き合いが苦手でしたから学校行事でたくさん人が賑わっているとよく私はそこへ避難していました。一つ自慢話ですが、こういった学校行事は参加が絶対なのですが、私のように賑わう場所を嫌う人は数人います。そう言った人たちはこっそりと会場を抜け出すのですが、会場には学年主任が必ずいまして、自分の学年の生徒が抜け出さないか見張っています。また、万が一抜け出せたとしても、その生徒がいないなと分かるや否や、学校中を探しにいきます。見つかれば大目玉ですが、私は見つかったことがありません。
そんなこんなで人と食事することを好まない私ですが、今でも人と食事をすると食欲が失せます。おそらく仲のいい人に誘われても断ると思います。なので親族以外の人と食事をすることは当分来ないと思います。
みなさん、ご無沙汰しております。いかがお過ごしですか。奇しくも二日前の『異人』と同じ題名になってしまいましたね。追伸というか付け加えることがあるのですが、まずこの食事嫌いが最高潮に達したのは、大学一年生の時、母親と二人でホテルや短期間借りられるアパートに住んでいた時ですね。母親は私が食べないのを知っているので、ご飯を多く出します。多くといっても一般的な感覚で言う少し多い一人前ぐらいでしょう。私はそれを二回に分けて食べていました。三十分ほど食事をして、二十分ほど休み、また三十分ほどかけて残りを食べていました。休んだ後はご飯はもう冷めきっていたでしょうが、私は別に温かければ多く食べられると思っていないので、そのまま冷めたものを食べていました。食事の時間が幸せと言いますが、私はどちらかと言うと一日で一番酷な時間でした。いつか現在の食事状況も報告しようと思っています。