子供・結婚観
突然ですが、一つ思ったことがあります。私は将来子供に歴史を教えたい、すなわち教師になりたいと考えております。それで思ったのですが、人に教える立場にある以上、教え子よりも知識を積まなければいけないのは承知の上ですが、子供好きである必要はあるのかということです。私が思うに子供が好きである必要はないが、嫌いであってはならないと考えています。みなさんもそうだと思いますが、嫌いだとか苦手だと感じる人とは距離を置くものだと思います。私も顔や態度には出さないと思いますが、どうしても話が弾みませんし、親身になって相手の話を聞かないと思いません。そうするといくら自分の知識が教えるのに十分であっても、それを披露する相手、すなわち生徒から十分な信頼を得られないでしょう。なので生徒と寄り添わなければならない教師としては子供嫌いであってはならないと思います。
私は別に子供嫌いではないと思います。私には六つぐらい年下のいとこがいますが、彼とはよく遊んでいました。またその数年後にそのいとこに弟が生まれまして、彼とも一、二度遊んだことがあります。理屈で行動する我々にとって、まだその理屈を形成段階の子供の行動や言動は驚かされ、振り回されることばかりで、それが人によっては嫌と感じると思います。何をしでかすかわからない子供に常に気を配らなければいけないことを私は大変と感じたことはあっても苦痛に感じたことは今までないので、子供が嫌いというわけではないと思っています。まあもしかしたらそばにはいつも私以上の大人がいるから大丈夫だと安心していたのかもしれませんね。しかも私が教えようと思っている教科は歴史で、歴史を習うのは最低でも中学校ぐらいからと考えると多少の道理を子供たちは持ち合わせていると思うので、個人的にはそこまで疲れないと思っています。ただそれでも生徒を第一に考える教師にかかる責任・圧力は甚大ですよね。”責任”という言葉が嫌いな、弱腰の私に務まるのでしょうか。もし読者の皆さんの中に教師の方、または指導経験がある方がいらっしゃいましたら、差し支えなければアドバイスをいただきたいと思っています。お待ちしております。
さてこの子供の好き嫌いから派生して思ったことなんですが、私は子供を欲しいのか、と考えました。結婚願望はあります。というのも私は裏と表が激しい人間だと自分で思っています。人前では頼られる存在であるべきと考えいて、常に冷静で、博識のような風格を見せていて、多分自分の非を認めない、何か相手に指摘されると屁理屈を言って自分の正統性を強調することもあり、プライドが高いように思えます。しかし裏では私はどちらかというと誰かに頼りたい、甘えたい。自分のプライドなんかいらないから人のいうことを素直に従っておいた方が怒られないで済むという気弱で臆病な性分を持ち合わせています。それに加えて『シンギュラリティ』で描いたような人を殺す、裏切る、憎む。そのような残酷で冷徹な妄想もこの裏の顔で生み出されます。なので一日のほとんどを表の顔で過ごしていて、裏の顔になるのはほんの数刻。家族にも裏の顔はあまり見せません。それはやはり道徳心の欠けた感情を圧し殺さないと孤立してしまうという孤独を嫌う人間の本能が私を自制しているんだと思います。家族と離れて寮で暮らしている今だからこそ裏の顔を出せる時間が増えましたが、普段はこの本心をずっと隠しながら生活しているので、正直言って疲れます。なぜ素直になれないのか。これも悩みの一つですね。そんな裏の顔を躊躇なく出せる存在が欲しいと思っています。それはつまり私の表と裏二つの顔を両方とも受け止めてくれる広大な心の持ち主だと思います。私が前に紹介した彼女も私の裏の顔を知っていた数少ない人物でしたが、私の闇が思いの外深いのを知り、結局長くは続きませんでした。
こういうように結婚願望はあるのですが、子供を欲しいかと言われると正直悩みます。それはパートナーの今まで培って来た・知識や経験を殺してしまうから。パートナーも今まで学校に通い詰め、知識を蓄えてきました。そしてその今までの努力の末ようやく自分の思い描いた職を手にするとします。しかし子供が生まれてしまうとその職に全力を注げなくなってしまうのではないか。産休をもらい、子供を産んでから職場に復帰するにしてもやはり前のようには行かないと思います。そして育児と仕事の両立がうまくいかず、いつかはその職をやめ、専業主婦となってしまう。それはつまり今までの彼女の努力が無駄になってしまうということ。またその彼女の思いに応えて、今まで育てててくれた彼女の親にも面目が立たないのではないかと思っています。ならば私が専業主夫になればいいじゃないかと考えましたが、それでは今まで私を歴史の教師にさせるために多額の学費を注ぎ込んでくれた私の親に負い目を感じてしまいます。今は親の共働きも増えてきていますが、私はそれでは子供と真剣に向き合っていないと思います。子供を設ける以上は、親として立派にその子供を育て上げる責務を全うしなければいけないと思っています。なので仕事と育児の両方を完璧にこなせる自信か自分の親やパートナーのこれまでの努力を踏みにじれる強い覚悟を持ち合わせていない現状では子供を授けるわけにはいかないと私は考えています。