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コロナ禍

さてそんなIB Diplomaの集大成である最終試験がなくなるほどの大事件であったコロナは私の生活にも大きく影響を及ぼしました。まずは勉強する意欲が失せたことです。学校によってどんな手順でIB Diploma卒業に向けて生徒を導いて行くのかは異なりますが、基本的に十二年生からは本格的に最終試験の対策を行います。実際私の学校では十二年生の一学期にはEEやCASといった勉強以外でIB Diploma卒業に必要な条件は全て済ませていました。中には授業範囲を全て終わらせてあとはひたすら最終試験の過去問を解いたりするだけの授業もありました。つまらないさとなんとも言えない緊迫感を身にしみて感じていたと思います。しかしそれもしばらくして消え失せました。

一学期と二学期は大体二週間ほどの休みが私の学校では設けられています。大体クリスマスの週あたりから元旦の週ぐらいまでだったと思います。インターの学校は大体そうだと思います。現在私の通っている大学もだいたい二週間ほどの冬休みがあります。この時にはすでにコロナは中国で蔓延していたと思いますが、あまり大々的にニュースに取り上げられることなく、休み明けも普通に登校していました。問題はそのすぐ後です。中国では旧正月を盛大に祝うのが習わしで、その辺りも休みがあります。大体一月の終わりごろから二月の初め頃でしょうか。例年私はこの旧正月を利用して日本に一時帰国していました。当然この年もこの休みを利用して日本に帰って来ました。

滞在期間は二週間を予定していました。私が日本に入国したのは一月の末、その時はまだ入国者の制限はしていませんでした。そして私たちは滋賀、京都、大阪、和歌山、奈良、そして三重をめぐる旅に出ました。そしてそのあとは帰国する日まで東京のホテルでのんびりと過ごしていました。皆さんもご存知かもしれませんが二月に入り、世界中でコロナが流行し、渡航規制が世界中で行われました。その結果中国へ帰れなくなってしまいました。この渡航規制により中国へ帰れなくなった生徒がたくさんいたこと、そして中国国内でのコロナ蔓延拡大に伴い、学校はオンライン授業を導入しました。この時はまだ最終試験中止の発表がされていなかったので、オンラインという新しい授業方法に戸惑いながらも最終試験に向けて勉強していました。正直思ったのが、このオンラインに切り替わって大変だったのは十一年生の人たちだったと思います。なぜかというとすでにこの時十二年生はほとんど試験勉強に時間を費やしていたため、ほとんど自習のような状態でした。もちろん復習は大事ですが、最悪一人でできます。ただ単に先生がメールで今日やるべきことなどの事項を生徒全員に送って、授業自体はやらなくてもいいわけです。対して十一年生は来年の試験に向けての授業を受けなければならなかったですから、我々と比べて大いに苦労したでしょう。

当初私は二週間ほどの滞在を予定していたものですからホテルで寝泊まりしていました。しかし帰国が延期になると、ホテルを転々としまして、最終的に長期滞在が可能のホテルに移りました。問題だったのが日本にいつまでいるのかわからないことでした。いつ渡航規制が解かれるかがわからない。また解かれたとしてもまたいつ渡航規制が再びおこなわれるのかもわからないと言った以上、規制が解かれたらすぎにでも中国へ向かえるよう常に準備していました。確か四月ごろに渡航規制が少し緩和されましたが、中国へ向かえるのはある条件を満たした人のみ、その中に学生は含まれていませんでした。しかし中国で働いている父は渡航を許可され、彼だけ帰国することになりました。この時私と母親は短期滞在用のアパートに引っ越しました。

確か四月の終わり頃だったと思います。学校から2020年度のIB最終試験中止を通達が来ました。理由はオンライン授業に切り替わったことで授業に大幅な遅れが出て、最終試験までに間に合わなかったためと渡航規制が各国で異なるため一時帰国などをしていた生徒らが学校に集結できないためとしていたと思います。一応言っておきますがIB最終試験は世界中で一斉に行われるので、どちらかというと後者の理由が強い気がします。この通達が来た瞬間肩の荷が下りました。しかしそれと同時に目標を失い、今自分はなんのために生きているのかと思い更けたこともありました。先生たちも一斉にもうなんでもしていいよと私たちを気に留めなくなりました。おそらくこれで遅れていた十一年生の指導に集中できるのでよかったと感じていたんだと思います。通常IBの期末試験は五月はじめから約二週間、しかしその手前で突如として何もすることがなくなりました。人間やはり何か目標がないと生きがいを感じません。大学生になるために勉強していたのが、勉強してもその知識を披露する場がなくなり、大学の合否にも関係なくなりました。私はこの間に物書きに更けました。この時書いたのがすでに投稿しきった『天災』シリーズです。

結局日本に帰って以降は一度も中国に戻れることなく、私は学校を卒業しました。卒業式は中国にいた生徒だけ、また一度にたくさん、しかも長時間集まるのは危険と判断され、ただ記念写真を撮影し、賞状をもらうだけで終わりました。のちに先生からのビデオメッセージが送られて来ました。学校に残された私の荷物は先に戻っていた父が取りに行ってくれました。しかしその荷物が日本にやって来たのは家族が日本に本帰国すると決まった時で、私はその時すでにカナダに留学していました。なので、その荷物は約二年後、2022年の五月ごろにカナダから一時帰国を果たすまで、触れることはありませんでした。クラスメイトと会うこともなくまた高校生といえばの修学旅行も行われることなく、随分と寂しい最後の高校生活を送りました。ちなみにですが、私はカナダの大学に無事入学できたものの、その大学もオンライン授業を行っていたので、大学一年生も一学期目は日本で受けていました。結局カナダに来れたのは2021年の一月ごろ、つまり実に一年もの間日本で引きこもりの生活を送っていたことになりますね。

みなさん、ご無沙汰しております。この自伝を投稿し始めてから一年が経とうとしています。早いですね。題名、変えたほうがいいでしょうか。進み具合としましてはちょうど折り返し地点なので、後一年ぐらいは続くと思います。自分一人で何かトピックを思いついて書くのも限度があるので、みなさんのご意見お聞かせください。どんなことを知りたいですか。若輩者の私の経験・知識でよければ喜んで提供いたします。

ところでなのですが、最近懐かしいものを見つけました。もう残ってないかと思っていたのですが、パソコンのクラウドに昔書いた小説が残っていました。私がこのサイトに初めて投稿した『鍵穴の人間』は実は四作目でして、その前に三作書いていました。『鍵穴の人間』は確か中学三年生とかに書いたものだと思いますが、この三作品は中学二年の時に書いた作品でして、私の物書き人生の原点です。作品の題名ぐらいは公開しましょう。『平成の風林火山』、『もう、会えない』、『人間以下』です。どんな内容かはご想像にお任せします。投稿することはありませんが、読み返してみると、当時の私は何を思ってこれを書こうと思ったのか、全くわかりません。明らかにこれらの作品と例えば今投稿している『異人』には技術力、語学力、物語の構成などにおいて差が見られます。過去を振り返って見てちゃんと自分も成長しているんだなと感じると嬉しいものですね。小説を書き始めて八年、ここまで長く続いた趣味はないかもしれません。これからも励んでいきますので皆さんどうぞよろしくお願いいたします。

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