苦難
今回話すことは完全な自論なので、反論があって当然だと思います。そもそも生まれ持った地位と富による階級制度が一般的だった過去から一変して能力主義になったことで多種多様な人々が活躍できる社会に様変わりしました。才能があっても血筋、財力などの関係で脚光をあびることなくこの世を去った、後世にも語り継がれることがなかった天才たち、そんな被害者を出すまいと名声や親の地位に囚われず一個人としての力量を測る能力主義、その測り方で一番一般的なのが学歴です。今や学歴が良ければ質全的にいい仕事に就くことができ、結果として名声や財力、権力を得ることができます。そんな高みを求めて多くの人が努力を積み重ねています。学歴=自分の才能というわけではないと思いますが、現段階では他に測りようがありません。そしてIBとしての学歴はなかなか高く評価されます。やはり学歴で重要視されるのがどんな大学を卒業したか。名門や難関校、いわゆるネームバリューがあればあるほど雇い主の目を引く。グローバル化した世界においてやはり英語圏の大学出の人材は貴重となります。英語圏以外の国からの学生がそんな英語圏の大学に比較的楽に入学できる制度がIBであります。
これは私の大学での入学条件ですが、入学できる生徒は現地の高校を卒業したもの、世界中のインター校を卒業したものとIB校を修了したものの三パターンあります。そのうちのただインター校を卒業した人たちが一番入学できる確率が低いです。なぜならインター校はその学校によって成績の付け方が異なるため、本当にその生徒が大学入学の基準を満たしているか念入りに審査する必要があるからです。逆にIB生と現地の高校を卒業したものは大学内にマニュアルが存在しているので一目見ただけでその生徒のレベルが測れるわけです。なので普通のインター校出身の生徒たちを審査している間、次々と基準をクリアしたIB生と現地校の生徒が入学してしまい、結果普通のインター校出身の生徒が入学できる枠が少なくなってしまうわけです。
これで分かったと思いますがIBの成績の付け方は万国共通でそう簡単に変えられるものではありません。しかしその成績の付け方が私にとっては気に食わなかった。前にも話しましたかと思いますが、IBの試験には模範解答が用意されています。IB本部の試験官はその模範解答にそって点数をつけています。つまりその模範解答にいかに近い解答が出せるかが好成績を得る鍵となる。特に理系の問題は基本的に答えが一つしかないので、模範解答に書かれた答えさえ書いてしまえば、満点を取れてしまう。なので記憶力を得意とする者たちは模範解答を覚えて、この問題がきたら、この答えだという方程式を作っていました。私はこれが気に入らなかった。彼らは考えていないのです。つまりなんでそういう回答になるのか知らないのです。ただ答えを覚えただけで高い点数を取り、その結果成績優秀者となっていい大学へ行く。果たしてこの学歴は本物だろうかと私は疑問に思いました。ただ解答を知っているだけで知識としてちゃんと身についていない、そう私は感じてしまう。もちろん彼らも覚えることに努力をつぎ込んだ結果、こういう成績を収めたのだから大大的に非難することはいたしません。ただちょっとずるい、不公平だと思ってしまっていました。
私は問題に対し、こういう過程を経て、こういう根拠があるから、こういう理由からこれの答えはこれだと導き出しているのに対し、彼らはその過程を全て吹っ飛ばしてただ単語として、文章として覚えているものを記入しています。そんな模範解答とは異なる解答の書き方が私の生物の成績にもろに反映しました。高校一年生の時、私は生物を取っていたのは周知の通りでしょう。その生物の授業もいわば大学を見据えたものだったので難易度は高めだったと話したと思います。当然、その時習った同じものが再度IBでも出たことがありました。しか点数は雲泥の差でした。理由は簡単、模範解答と違うから。高校一年生の時は言いたいことがわかれば、マルをくれましたが、IBではいくらニュアンスがあっていても模範解答と違ければバツとなる。この採点の違いに私は大いに苦しめられました。何よりやるせない気持ちにさせたのが、模範解答を丸暗記したものたちが私よりも高い点数をとっていたことです。私は彼らよりはこのトピックの知識があると豪語できるが、それが成績に反映されていない。つまり自分は彼らよりできると証明できませんでした。競争を好まない私ですが、この時ばかりは闘争心に火がつきました。なんどか他の教科をおろそかにしてもいいからと意地になって生物の勉強に集中したこともありました。しかし、何度か自分の方法でトライしてみたのですが、結果一度も勝つことはありませんでした。そして結果的に成績全体が落ちていったのでした。この時だと思います。私がI氏に助けを求めようとして方法を間違えたのは。
この生物の授業、実は最初は好成績を収めていました。それこそクラスでトップの成績を。しかしある時から停滞し、成績がどんどんと落ちてこんでいきました。その理由が教える相手がいなくなったからです。日本のインターにいたときの話を思い出してください。私は生物、歴史を中心に同級生に教えていました。相手に何かを教える場合、当然教える側は教わる側より多くの知識が必要となります。相手に教えることに幸福感を抱いていた私は彼らに教えることに使命感を感じ、より一層勉強に励み、プラスアルファの知識を詰め込みました。結果私自身の成績の向上につながったのでした。この経験から誰かに教えることが私の気力となり、自身の力になることを知りました。事実誰かに教えていた教科の成績はぐんぐん上がっていきました。当然今回のインターでもその案を採用しました。その対象の科目の一つが生物でした。一人の日本人が同じクラスでその子相手に色々と教え込みました。それが最初の好成績の結果だと思います。しかし彼はその後クラスを抜けてしまい、私は教える相手がいなくなってしまいました。その途端、私の成績がどんどんと落ちていってしまいました。
今回は随分と長くなってしまいましたね。複数に分ければよかったかと思いましたが、まあストックが切れているわけではないので、よしとしましょう。ところで皆さん、才能というのは生まれた時から備わっているものですか。それともたくさん知識や経験を積み重ねて開花するものですか。私は前者にロマンを感じますが、後者の方が個人的にたくさん根拠があると思います。ご意見お待ちしております。