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見知らぬ言語、英語

さて、同じような失敗談は他にもありますが、それは後にして先に進もうと思います。小学二年の一年間は日本にいました。今でこそ私はサードカルチャーキッドですが、その時は自分の母国で悠々と暮らしていました。国語、算数、理科、社会。全て日本語で行われていました。正直どんなことを学んだかまでは覚えていませんが、ドリルを買って授業で習ったことの復習をやったていたのを覚えています。いかにも日本の義務教育らしかったとのちに感じました。日本人って学校で学ぶ以外に塾などに通ってよりその知識を深めますよね。中には学校でやってることはすでに塾でやったと言って、学校の授業を真剣に聞いていない人も多くいました。いや、学校行っている意味ありますか。と今だったら聞き返したいです。海外、特に欧米では塾という概念はあまり浸透していないと思います。私も日本の義務教育から離れた後はドリルなんて買ったこともなかったですが、塾には通っていました。こんなことを言ったら目の敵にされるかもしれませんが、母国語で授業を受けるのってどんな感じですか?自分の母国語でない言語で授業を受けていると、私の場合、授業内容を全て理解することはできませんし、教科書も全て理解することはできません。つまり必然的にある程度の情報はふるいにかけられて落とされてしまっています。限られた情報の元、また限られた言語力でそれを文章にしていくと、やはり内容に深みが感じられないような気がします。しかし母国語であればそうはならないのではないかと大学生になった今、感じています。

さて少し脱線してしまいましたね。二年生については特に話すことがないのでさっさと三年生に行ってしまいましょう。

三年生からは再び中国に降り立ち、一年生の二、三学期で通っていた同じ日本人学校で学び始めました。もちろんこのときも日本式の学習方法を採用していました。ドリルは現地には売っていませんでしたが、一時帰国するたびにドリルを大量に買って行ってました。塾は中国語を習うために家庭教師が毎週家に来て、教えてくれました。その時(もしかしたら一年生の時だったかも)のホームビデオがどこかに残っていると思います。友達とお菓子を食べながら、不真面目に受けているその姿は笑えます。

そして小学三年生にしてついに、第二言語であるまだ義務教育の一貫ではなかった英語も授業で習い始めた。

英語についてはのちにもっと詳しく話しますが、今にして思うと一つ不思議に思ったことがありました。それは普通言語というのはまずは文字から学ぶのではないのか、ということです。日本人が日本語を学ぶ場合、まずはひらがなとカタカナ、すなわち五十音の読み方と書き方を覚える。次の段階でその五十音を使った言葉を覚える。最後にその言葉を漢字に変換するという手順をとると思います。しかし英語はどうでしょう。小学三年生の当時はアルファベットをマスターする前に単語に入っていました。アルファベットそれぞれが頭文字になっている簡単な単語から入りました。例えば、Aはapple, Bはbee, Cはcatという具合です。だいたい動植物だったのを覚えています。しかしそれぞれの発音の練習をしたものの書き取りの練習は一切しなかった。これがのちにちょっとした苦難となりました。

しかしこの問題を解くきっかけがのちにありました。年月は流れて高校二年生の時、ボランティアと言いましょうか、まあその一環で外国人に日本語を教えるという日本語クラブの部長をしていました。教材は各自好きなものを選べました。そしてそのどの教材もまずはひらがなやカタカナではなく、「こんにちは」や「ありがとう」などの簡単な単語から始まっていました。つまり自分の母国語以外の言語を学ぶ場合は文字ではなく単語から学んでいくのが一般的なようです。

さて日本人学校には私は一学期しか通っていないので、夏休み明けから私はサードカルチャーキッドへの道を歩み始めました。つまり国際学校、すなわちインターナショナルスクールに通い始めました。きっかけは正直覚えていません。今考えてみると、親たちがグローバル社会での活躍を見据えていたのかもしれない。今でこそこの世は人が国境を超えて活躍するグローバル化が進んでおり、それに応えるように日本でも英語が必須科目となったわけですが、当時としてはまだ珍しかったのではないでしょうか。そんな中で先駆者のような立ち振る舞いで決断した親たちには頭が上がりませんね。

さてインターナショナルスクールに通うわけですが、そのための準備期間が先程述べた苦難です。日本の学校は基本四月始まり、しかしインターは九月始まりです。つまり、日本人学校で一学期間学んでいたとしてもインターには編入という形では入れません。日本の学校の夏休み始まりは七月末、そしてインターが始まるのは九月の頭この約一ヶ月とちょっとの間に何をするべきなのか。英語の勉強でした。インターに行くのなら英語は必要不可欠、逆に日本語は使いません。となるとわずか一ヶ月の間に最低でも人と会話できる程度の英語を身につけなかれば行けなかったのです。欲を言えば英語で授業が受けられる程度です。しかしいくら子供の頭が柔らかくて吸収力がいいと言ってもそんな短期間で会得できるほど甘くありません。親はもう随分前から自分をインターに行かせることを決めていたのか、結構早めに英語の勉強をさせていました。というのも日本では当たり前かもしれないですが入学試験というものがが六月ごろに控えていたからだ。ちなみに私は入学試験を受けたことはこれ以降一度もありません。羨ましいと思うものもいるかもしれませんが、それはすなわち学校での成績、特に小学六年、中学三年、高校三年の学校の成績がもろに反映されるというわけです。

さて六月に試験を控えている私、もちろん試験は全て英語です。普通試験対策として参考書を買うとか、過去問を解くとかでしょうが、私はそもそも問題文を理解できない。つまりアルファベットの猛勉強に励んだのだ。その間もちろん学校にも通わなければならない。何事も両立は大変だと痛感しました。時間は限られていました。学校で習った英語の授業でアルファベットは多少知っていましたが、全てではなかったです。二十六あるうちの三分の二程度だったと思います。まずはアルファベット二十六文字を覚えるところから始めました。次にやったのが未だ未経験のアルファベットの書き方でした。試験はもちろん筆記試験、マークシートではありません。つまりいくら読めてもこのままでは未だゼロ点です。今でこそ何も考えずに書けるアルファベットも当時の私にとっては未知の言葉。外国人にひらがなを書かせるのと同じような感覚でしょう。大文字、小文字どちらも同じ形のものもあれば、Iとiのように微妙に違ったり、Aとaのように全く違ったものもある。よく小文字のhとnを間違えていたのを覚えています。学校の宿題をさっさと終わらせ、夜の十二時、遅い時では深夜の二時ごろまで英語を勉強していたと思います。もちろん母親がつきっきりでした。母親とのマンツーマンはその後英語をなれるまで何年か続きました。そこで母親式のテストの勉強方法、授業でのノートの取り方などを教わりました。今は自分にあった勉強法を確立させていますが、それらは全てあの時の教えてもらった(教え込まれた)勉強法が基盤となっていると思います。本当に感謝しています。

皆さん、ご無沙汰しております。もう2021年も終わりですね。どんな一年をお過ごしになったでしょうか。私としましては初めて一人で年始年末を過ごします。特に何をするわけでもないので変わらず物書きに更けようと思います。特にこのエッセイにはすごく力が入ります。何かこんなことについて知りたいと思ったら気軽にコメントをください。お待ちしております。それではみなさん良いお年を。そして来年もよろしくお願いします。

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