一年生
小学1年は中国にある日本人学校に通いました。この学校は教師も生徒もみんな日本人で教育方針も日本らしく授業ももちろん日本語。ただ単に場所が中国にあるだけの日本の学校という認識が正しいと思います。正直一年生の時の記憶は何も残っていないのですが、まあ多分普通の日本人としての教育を受けていたと思います。一学年に13組ありました。一クラス何人だったかはわかりませんが今にして思えばそれにしてもすごい数ですよね。
それぞれの組にはイメージカラーというものがあり、私のいた四組はオレンジでした。理由は先生がオレンジ色が好きだったからです。いつもオレンジのとあるスポーツメーカーのTシャツを着ていて、授業参観などの日にはちゃんとスーツを着ていましたが、首から下げた名札の首紐はトレードマークのオレンジでした。
そういえば彼だけでなく、私はこれまでの自分のクラスの担任の名前を今でも覚えています。顔はほとんど忘れてしまいましたが、名前だけはまだ記憶の奥底に眠っています。不思議ですね。それだけ先生らを頼っていたということでしょうか。
先生の名前の他に記憶に残っていることとすれば挨拶ができなかったことでしょうか。おはようございますやさようならも小声で話すよりは動作で表現していました。無口というわけではなかったのですが、恥ずかしがり屋だったのか大きな声は自分では出しませんでしたし、大きな声で喋る人も私は好きではありませんでした。それは今でも変わっていませんが、正直友達などと会話が弾むと声って大きくなってしまいますよね…自分では気おつけてるつもりでもつい、なんてことも多々ありました。
ある工作の授業だったと思います。どんぐりのやじろべえを作っていたと思います。自分の机の上に竹串が二本とどんぐりがありました。作る途中で竹串が一本折れてしまい使い物にならなくなってしまいました。もちろん先生に言えば竹串ぐらいもらえたでしょうが何を思ったのか、それとも恥ずかしかったのか私は何も言わず、ただ時間が過ぎるのを待っていました。やがて先生が異変に気付き、私に自分からいってくれないと誰も助けてあげられないよといっていたのを覚えています。そこから特に何かを学んだということはありませんでしたが、こういう事例もあり積極性に欠けた性格をしています。と断言しましたが、価値観は人それぞれなので、少なからず私はそういう性格をしていると個人的には認識しています。
やはり今でも積極性は乏しく、相手が言ってきたことにだけ返答し、自分からは何も言わない。また相手が支持してきたことをやり、自分が誰に指示をするということはあまりしません。自分の意思を表に出せないでいると感じています。先生がクラス全員に出した質問も、答えがわかった気がする。しかし答えてしまうとみんなの視線が自分に集まる。もしそれが間違いだった場合私は恥を掻く。みんなから笑われる、みんなからバカだと思われる。そんなことを考えていて、答えを出さないでいると他の人が答える。その答えが正しくて、自分の思っていた回答と違うと恥を書かずに済んだと安堵しますが、逆にその答えが正しくて、自分の思っていた回答とも一致していると悔しいという気持ちに見舞われます。実際間違った回答をして先生からも周りからも笑われたことはないと思いますが、思わず自意識過剰になって自分の意思を表に出せないでいると感じることがよくあります。
この性格は悩みではないです。実際私以上に積極性に乏しい人はたくさんいました。彼らは心の底からその自分の性格に頭を抱えていました。そんな彼らを見ていると自分の性格はまだまだ悩むレベルではないと思います。ただ、自分の本心をずっと隠し続けるというのは案外ストレスフルなことなんだと思いました。だからこそ本来の自分をこの場を借りてみなさんに共有して自己満足を得ようと思っているのです。
人ってやっぱり自分勝手ですよね。