夏休みの活動報告
着手したのはそれより前ですが、投稿を開始したのは二十歳になったタイミングでしたので、大学生としての終焉を告げる卒業式で一旦この自伝を区切りにしようと思っていたのですが、夏休みの期間中に書きたいネタが浮かんだので、忘れないうちに書いてしまおうと思いました。まあ、正直な話をすると今これを書いている段階では夏休み最後の月である八月の初め。四月末からの夏休み、何かとやること、いえやりたいことがいくつかあったので自分の日頃のルーティンに組み込んでいましたが、ここにきてやりたいことを全てやり終えて暇だったというのがこれを書いた動機です。というわけで今回は私がこの夏休み中に行ったことについて話していきたいと思います。
四月の第二週には全ての授業は終了し、翌週には最終課題の論文も仕上げ、完全に学業に終止符が打たれました。いつもなら期末試験がもう少し先まで残っており、四月末まで何かと勉強しているので、趣味に費やすのは五月に入ってからなのですが、今回に限ってはそうはなりませんでした。と言うわけで四月の末あたりから、予定していた「シンギュラリティ」の英訳を開始しました。
私の作品を毎週読んでくださっている方ならお気づきかもしれませんが、私は一回で投稿する量が、特に小説の方は少ないと思います。それは私が飽き性だからだと思います。一話で投稿する量が私が一日に執筆に費やす量だと思ってくれて構いません。小説家と聞くと何時間も自室に篭り執筆を続ける、ご飯を食べるのさえ忘れてしまうほど没頭する、締め切りが迫ると缶詰状態になる、という印象があるかと思いますが、生憎私は物書きにかける情熱はそれほど高くありません。そもそも私はただ自己満足のために物語を書いている偽の文筆家に過ぎません。私はまず二時間という時間制限を設けて、その時間内に執筆します。大体二時間もかからないのですが、途中で中断するということがないように多く時間を設定しています。基本的にこの二時間の執筆時間を一日に一回、気分が乗れば一日に二回行っています。私の特徴として一度に費やす量は少ないですが、それを欠かさず毎日こなすことができます。「シンギュラリティ」の英訳は一から作品を作っているわけではないので、大体一話に三十分程度費やします。それを午前と午後の二回行っていました。通常の執筆時間より圧倒的に少ないですが、私は一日に二話の頻度で十分満足でした。「シンギュラリティ」の本編は全五十二話ですからそれを毎日続けた結果、一ヶ月足らずで終わりました。ここまで予定通りです。ちょうど卒業式の一週間前あたりで完了しました。そのすぐ後に親がこちらに来て一週間ほど観光に付き合わされたので、その間に残念ながら執筆に勤しむことはできませんでした。
親が帰国した後で新しい小説の構想を練り、六月に入った頃に短編の方に着手しました。前に話したかと思いますが、この期間中に私は長編と短編の構想を練り上げました。通常の執筆時間を午前と午後の二回行うことで月末には書き終わりました。内容はまだ伏せますが、ここで皆さんのご協力を仰ぎたいと思います。というのもこの作品の題名に困っています。仮として今は「利用厚生」と銘打っていますが、なんか閉まりが悪いと感じています。廃棄してしまうものに価値を見出して、人の役に立たせる、という意味がある響きのいい言葉、何か思いつきませんか。募集しております。
さて七月に入って取り組んだのは、「シンギュラリティ」を英訳するために読み直した際、見つけた誤字脱字の修正です。私は基本的に過去の作品を読んでミスや改善点を見つけたとしてもなんの変更も致しません。それは私が未熟だった証、そしてそれに気づいた今の自分は過去の自分よりも成長していると実感するためです。しかしながら目を背けたくなるようなミスの連続に、流石の私も手を加えずにはいられませんでした。あのままでは物語を理解するどころか読むのも苦労すると私の貧弱な作家魂が嘆いていました。ご存じの方もいるかもしれませんが、「シンギュラリティ」の方で題名に「修正版」と付け加え、各話にも「編集済み」と記してあります。当初の予定としては三話に一つのペースで編集作業が入るかと思いきやまさかの全話修正するハメになりました。結果として約二週間ほどこの編集作業に費やしました。
最後に取り組んだのが、予約投稿です。まあ、端的に言って暇になったので投稿予定の話を読み直し、誤字脱字がないか確認する作業をしました。この「小説家になろう」では半年先まで予約投稿が可能です。なのでこれを書いている現時点で十二月の初めの頃まで予約投稿を設定してあります。もちろんこの自伝だけでなく、「新・創世記」も同様です。この作業には二つの利点があります。一つは死ぬことに対して悔いが残るようになってしまったことです。以前の「死について」で話したかと思いますが私は自殺志願者ではありません。ただそれ以前はいつ死んでも心残りがない生き方をしていたのが、どちらかと言えば生きたいと思うようになったと言うことです。予約投稿は半年先までです。当然この自伝も「新・創世記」も十二月までには終わりません。もし私が今これを書いている数日後に死んでしまった場合、投稿はしばらく続くでしょうが結局未完で終わってしまう。それは書いているこちらの身としてはなんともやり切れない気持ちになります。私が執筆をしているのを知っている人はごくわずか、その中で私がサイトに投稿しているのを知っているのもほんの一握りです。彼らに投稿を託すことも考えたのですが、やはりこの自伝を読まれるのは気恥ずかしいと言うよりあまりの卑屈さに哀れみの眼差しを向けられそうですし、小説の方を読まれるのはなんだか私の悪の思想が垣間見えて、軽蔑、拒絶されそうで躊躇ってしまいます。死んだら関係ないと頭ではわかっているのですが、やはりできれば私を知っている人には読ませたくないですね。さらに書き終えているものを投稿するにしても誤字脱字、または内容的な不備があるはずです。それを修正できるのは作者である私だけです。根幹に関わるものであれば尚更です。なのでこれらを投稿し切るまでは醜くとも生にしがみつかなければと思うようになったわけです。
もう一つの利点はつい今し方話しました誤字脱字が減るということです。「シンギュラリティ」を読んでいて思い知りました。この時はただ書いたものをそのまま投稿していました。「異人」の頃にようやく一週間前に予約投稿するようになり、その間に校閲も行うようになりました。これでもだいぶ改善されたかと思いましたが今回の半年先までの予約投稿で二段構えとなりました。半年先までの時点で校閲一回行い、さらに投稿一週間前になってもう一度読み直す。これで誤りは極限まで減らせると考えました。特に「新・創世記」に至っては今まで以上に力を入れているので、やはり内容の理解にも関わってくる誤字は極力避けたい思っています。ところでこの半年前の校閲の時点で投稿可能までの質に昇華させたと思っていざ投稿の一週間前に読み返すと、不足、不明瞭な点が必ず出てくるのは不思議ですよね。やはり完璧なんてきっと存在しないんでしょう。どれだけその時は完璧だと思い込んでいても次の日には改善点を見つけてしまうのですから。
さて、というわけで以前に話しました通り、来週で一旦打切りとさせていただきます。




