サードカルチャーキッド
生まれは千葉。もうすでにタイトルで「20年」と書いているので、何年生まれかはおわかりいただけると思います。性別は…これまで投稿した作品からなんとなくわかったと思います。
その年の主な出来事といえば、アメリカ同時多発テロ、通称9.11事件が起きたことでしょう。
のちに学校で習ったんですが、このテロの影響でイスラム系の人々の印象が世界的に悪くなり、結果的に人種差別などが今尚起こっていると聞きました。
とはいえ、日本で生まれた当時の私には何もわからなかったです。
団体行動や協調性を重んじる日本の教育方針に従っていたのは小学三年生まででした。
それまではごく一般的な日本人として暮らしをしていたと、自分では思っています。
一般的なという表現は語弊を生むかもしれませんが、私の家は特別裕福でなければ、貧困ではないと個人的には思っています。ただこれはあくまで私個人の意見なので周りから見れば裕福に感じたり貧困に感じたのかもしれません。
家族構成は父、母と私、それと姉が一人います。
世間的に姉がいる弟は気弱な性格になると言われていますが、事実かもしれません。人に強く言われると反論せずに萎縮してしまいます。特に女性に対しては…性格に関しては今後詳しく自己分析していこうと思います。
その当時の私は一人で遊ぶことが大好きで、友達と外で遊ぶということはせず、家で一人でミニカーを並べたり、ぬいぐるみを自分のベッドの周りに綺麗に飾ったりしていたのを覚えています。ちなみに何かを綺麗に並べたり飾ったりするのは今でもやっています。何より独り言が多かったのも覚えています。
さて、私の最初の転機となる出来事といえば、父の仕事の都合で小学一年の時に中国に渡ったことだと思います。
その当時のことはほとんど何も覚えていません。ただ初めての飛行機、初めての外国、初めての言葉が通じない異世界生活、なんとなく不思議な感覚だったのを覚えていますが、特にこれといって苦悩はなかったと思います。
これから詳しく話すのですが、私は父の仕事の都合で転校を繰り返しました。3年以上連続で同じ学校に通うことはなかったです。そのせいなのかどうせすぐに分かれるんだということで特別仲のいい友達を作ろうと思わなかったです。この考えが定着して今でも積極的に人と関わるということはしていません。
友達は自分の悩みを相談できる存在、家族には包み隠したいことを打ち明けられる存在であると個人的に認識しているのですが、私はそこまで友達という存在を信用はしているのだろうけど信頼はしていない、という価値観を持っています。友達とは一体どういうものなのか。友達としても定義はなにか。これはのちに一括りにしてまとめたいと思います。
ということから私はThird Culture Kidです。あまり日本では知られていない言葉かもしれないので、説明させていただきますと、両親の国籍の国以外で育った子供ということです。私の私の知識と経験には日本の文化と中国の文化が織り込まれています。私は現在英語、中国語、日本語の3ヶ国語を話せますが、正直言ってどの言語もネイティブとは言えません。これがThird Culture Kidの性と言えましょう。一つの文化を深掘りする代わりに二つ以上の文化を浅く知っている状態です。現在の私の中では、3ヶ国語にはちゃんと明確なヒエラルキーが存在しており、日本語が一番得意で中国語が一番苦手です。しかし一番得意と豪語している日本語でも、表現ができないときに英語や中国語で補うということがよくあります。例えば先ほど使ったヒエラルキーという言葉日本語での言い回しが見つからず英単語を使わせていただきましたが、なんとなう私の言いたいことがわかっていただけたでしょうか。この他にもこれまでの作品を見て私の日本語に違和感を感じた方も多いと思います。
私と同じような経歴がある方、ぜひコメントをください。
というわけで最初は私の簡単な自己紹介から入りました。これから私のこれまでの学歴を長々と語っていくので興味のある方は最後までお付き合いください。