大丈夫だと言う奴が本当に大丈夫だったことなど、あんまりない
ドラゴン。それはあらゆる魔獣の頂点に君臨する種族だ。強靱な鱗と巨体から繰り出される圧倒的なパワーを持ち、それでいて溢れる魔力のごり押しにより空を飛んだりブレスを吐いたりもできるというインチキ臭い強さを誇り、上位種だと人の言葉を理解したりもする、文字通りの化け物である。
そんなドラゴンが、目の前にいる。瞳に知性の輝きがないのでおそらくは下位種だと思われるが……そもそも何でこんな所にドラゴンが!?
「おいティア! どうしてこんなところにドラゴンがいるんだよ? こいつらがいるのは普通山の上だろ?」
ドラゴンの……とりわけ下位種のドラゴンの巣は大抵山の上だ。未成熟なドラゴンはその巨体から放出される熱を上手に制御できず、固い鱗を冷気に晒すことで体温調節しているからだと言われており、こんな湿度の高い森の中に好んでやってくることなどない。
ならばこその俺の問いに、しかし振り返ったティアは焦った声で求めていたのとは違う言葉を投げてくる。
「エド!? 何で出てきたの!?」
「何でって、そりゃこんな叫び声が聞こえれば――」
「GYAOOOOOOO!」
「話は後! まずはコイツを何とかしなくちゃ!」
「ああ、それはそうだな」
必死な形相のティアとは裏腹に、俺は極めて冷静にそう答える。確かにドラゴンは強敵だが、今の俺ならレッサードラゴンなんて大した脅威じゃない。腰の剣を引き抜き構えると、ティアを庇うようにその前に一歩踏み出す。
「なら、ここは俺が――」
「風を縒りて紡ぎしは緑を宿す銀月の刃、鈍の光を固めて落とすは三方六対精霊の羽! 集いて纏いて惑いて踊れ! ルナリーティアの名の下に、顕現せよ『トライエッジ・ストリーム』!」
「GYAOOO――――…………」
ゴトンッ
俺がいい感じの台詞を口にするより先に、ティアが詠唱した精霊魔法が生み出した風の刃が極太のドラゴンの首をあっさりと切り落とした。
「……え? マジか?」
切断面から血を噴き出し、土煙を上げて地面に倒れ伏すドラゴンに慎重に近づいていくと、俺は切り落とされた頭を剣でツンツンとつついてみる。うむ、間違いなく死んでいる。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「おいおい、スゲーなティア! 俺がいなくなってから、どれだけ強くなったんだよ!」
少なくとも俺の知っている頃のティアでは、いくら下位種とは言えドラゴンを瞬殺できるほどには強くなかった。流石に息は乱れているようだが、威力を考えればむしろ普通だろう。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「うわ、何だこの切り口!? スッパリいってるじゃん。怖っ! これ、『不落の城壁』で防げるか? いや、魔法だから『吸魔の帳』? 試したいとはこれっぽっちも思わないな……」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「……………………ティア?」
少しでも明るい空気をとはしゃいでみせる俺の背後で、しかしティアの呼吸がいつまでたっても整わない。流石に少し心配になって振り返って見ると、ユラユラと立っていたティアが突然そのまま倒れそうになった。
「うおっ!? 大丈夫――っ!?」
支えたティアの体が、恐ろしい程に軽い。基本的にエルフは痩身が多いとしても、これはその限界を遙かにぶっちぎっている。
「ティア? お前これ……?」
「ハァ……ハァ……ごめんね、エド。私ちょっと疲れちゃって……大丈夫、すぐ落ち着くから…………ハァ、ハァ……ふぅぅ…………うん、もう平気」
そう言って、ティアが俺から離れて自分の足で立つ。だがその顔色はまだ悪く、とてもじゃないがティアの言葉を鵜呑みにはできない。
「待て、全然平気そうに見えねーんだけど?」
「むぅ。そんなこと言われたって、平気なものは平気なのよ! 久しぶりの戦闘だったし、エドの前だからちょっと張り切り過ぎちゃったって言うか……それで心配されちゃったら世話ないけど、へへへ……」
「……………………」
「ごめん。本当にごめんね。本当はお手伝いしたいんだけど、食事の用意ができるまで少しだけ部屋で休んできてもいいかな?」
「そりゃ構わないけど……」
「ありがと。じゃ、エドの手料理楽しみにしてるわね」
有無を言わせぬように一方的にそう告げると、ティアがフラフラとした足取りで家に戻っていく。それが気になって仕方がないが、かといって何かできるかと言われると特に何も無い。
「……………………あーっ、もう! 仕方ねーなー!」
ひとしきり悩み、ガシガシと頭を掻いてから俺もまたティアの家に戻ると、きっちりと手を洗ってから調理場に立つ。なお、その際にドラゴンの死体は俺の彷徨い人の宝物庫にしまい込んでおいた。ダクダク血を流す魔獣の死体なんて放置したら、他の魔獣が馬鹿みたいに集まってくるだろうしな。
「にしても、何だったんだ……?」
手際よく料理をしつつ、俺はさっきの出来事を思い返す。確かにティアの症状は短時間に大量の魔力を消費した時の状態に酷似していた。あれだけの大魔法を使ったのだから何も不自然なことなどないはずなのに、俺の中の何かが「絶対に軽視してはいけない」とひたすらに訴えかけてきている。
「とは言え、問い詰めて聞き出せるとも思えねーし……なら仕方ない、ちょっと本気を出しますか」
ニヤリと悪い笑みを浮かべながら、俺はシチューに加える具材を変更していく。個人的には大きめの肉や野菜なんかがゴロゴロ入ってるのが好きなんだが、本人曰くあまり食欲がないとのことだから、むしろトロリと蕩ける濃いスープのようなシチューの方がいいだろう。
となれば、決め手はやはりミルクだ。当初使う予定だった普通のミルクをしまい込み、異世界巡りで手に入れた最高級の奴に変更する。フフフ、まさかこいつの封を切る日が来るとはな……食材なんだから食えばいいのにという提案は全会一致で却下させていただきます。
そう言えば不死鳥の肉もあったな。小さく切ってからよく煮込めば消化にも悪くないし、力もつくはず。本当に不死鳥かは知らねーけど、最低限鶏肉なら目的は果たしてくれることだろう。
他にも滋養に良さそうなあれやこれやをいい感じに突っ込んでいき、蓋を閉じると通常の何十倍もの速度で煮込める魔法の鍋でしっかりと煮込む。そうして出来上がったホワイトシチューを一口啜れば……
「むはっ!?」
美味い。圧倒的に美味い。喉を通り過ぎ胃に到達した熱が体中に広がっていき、全身をポカポカと温めてくれるのが体感できる。かといって魔法薬ではないので、無理に体を癒やしたりはしない。
あれ、地味に危険なのだ。生まれたばかりの子供や高齢の老人などの体の弱い人が強力な回復薬を使うと、その効果に体がついていけなくて却って悪化するという事例は結構多いし。
「うーん、完璧! おーい、ティア! 出来たぞー!」
ご満悦で鍋の中身をかき回しながらティアに呼びかけてみたが、どういうわけだか返事がない。んー?
「ティア? おーい、ティア?」
寝室の扉の前まで行って軽くノックをしてみるも、やっぱり反応がない。ひょっとして疲れて寝ちゃったとかか? それならこのまま寝かせておいて、起きたら温め直せばいいんだが……
「……ティア、入るぞ?」
フラついていたティアの顔が頭から離れず、俺は一言断りを入れてから寝室の扉を開く。するとそこには着替え途中で下着一枚のティアの姿があった。
「ティア…………」
「え、何!? きゃあ! エドのえっち!」
絶句する俺の気配に気づいて、こちらを振り向いたティアが可愛らしい悲鳴をあげる。だが俺はそんな事意に介さず、そのまま部屋に一歩踏み込む。
「えっ、えっ!? 何で部屋に入ってくるの!? そこは『ごめん!』って言って出て行くところじゃない?」
「……………………」
ティアの言葉に答えず、俺はティアの裸をまじまじと見つめながらゆっくりと近づいていく。
「エド? ねえ、怖いよ? お願い、外に……キャッ!?」
ティアに詰め寄った俺は、その手首を掴んでティアの体を更に見つめる。その衝撃的な光景に、俺は視線を外すことができない。
「ティア……」
「エド……」
観念したように、ティアが悲しげな目をして俺から顔を逸らす。俺は思わず手に力が入りそうになるのを必死に堪えて、次の言葉を捻り出す。
「何で、こんなことに……?」
輝くばかりの白い肌には皺と染みが無数に刻まれ、骨の浮き出た体には間近に迫る死相が見える。おおよそ一二〇歳……エルフとしてはまだまだ若いはずのティアの体は、まるで死を待つばかりの老人のように干からびていた。




