楽しい時間は一瞬で過ぎ去り、終わりは向こうからやってくる
俺達が軽い授業を行ったり、生徒の面倒を見るようになってから一ヶ月。今日も今日とて放課後にミゲルの素振りを眺める俺の周囲には、予想外にも平穏な日々が広がっていた。それというのも、絶対復讐してくると思っていたあの三人の男性教員が何もしてこなかったからである。
あの手の輩が、一度くらい人前で恥をかかされた程度で……いや、むしろ恥をかかされたからこそ大人しく引き下がるとは思えない。なので不審に思った俺の方で調べてみたところ、どうやら奴らの精霊魔法の力が半分程度にまで落ち込んでいるという。
一体どうしてそんなことに? ひょっとしてティアが何かしたのかと思ってその旨を聞いてみたのだが……
「私? 何もしてないわよ?」
ミゲルとナッシュが自主訓練に励むのを見守りつつ話しかけた俺の問いに、ティアはごく平然とそう答える。
「え、じゃあ何でアイツ等の精霊魔法の力が落ちてるんだ?」
「そりゃあ私と敵対したくなかったからでしょ」
「……? すまん、関連性がよく分からないんだが?」
思わず首を傾げる俺に、ティアが少しだけ考えるような素振りをしてから答える。
「うーん、私とあの人達に精霊使いとして隔絶した実力差があるのはわかるわよね?」
「そりゃあまあ」
あの教員達はおそらく三〇代から四〇代くらいだろうから、今の生徒達と同じく一二歳で初めて精霊と契約したとすると、精霊使いとしての年季は精々三〇年。
大してティアは生まれた時から精霊と心を通わせるといわれるエルフであり、その中でも更に才能に恵まれた人物だ。そんな奴が一〇〇年以上精霊使いとして活動しているんだから、そりゃ棒きれを振り回す子供と近衛騎士くらいの実力差はあることだろう。
「そのくらい力の差があるとね、相手の精霊を無理矢理奪って強制的に自分と契約させることすらできるのよ。勿論そんなことするつもりはないけど、あの人達の精霊だって何だかんだでずーっと一緒にいるわけでしょ? そうなりたくないから自分の力を抑え込んで、あの人達に変な考えを起こさないように仕向けてるんだと思うわ」
「あー、つまり意図的に契約者の力を制限することで、自棄になってすら勝負に出られないようにしてるって感じか?」
「そうそう。勿論精霊魔法の力が落ちてるだけだからそれ以外の方法で嫌がらせはできるでしょうけど、この世界って精霊魔法至上主義みたいなところがあるじゃない? そんな世界で自慢の精霊魔法が弱くなっちゃったんだから、もう私達にちょっかいをかけてる場合じゃないんじゃないかしら?」
「そりゃそうだ。ってか、そんなことになってたのか」
この世界では、強い精霊使いというだけでかなりの優遇を受けられる。その基盤となる力が弱体化してしまえば、他人をどうこう以前に自分の立ち位置を守るので精一杯というのは、確かに頷ける話だ。
それでも権威を笠に俺達に対する嫌がらせくらいはできるだろうが、この世界における俺達の立ち位置は「精霊」だ。精霊には名誉や権威なんてものはなく、俺達が何か問題を起こせばその責任は契約者たるミゲルやナッシュがとることになる。
が、今年初めて精霊と契約した一二歳の子供に本気で責任を追及する馬鹿などいない。事実上その子供を管理する教員や学園の責任が追及されることになるわけで……つまり俺達を貶めると、それを画策したあの教員達が立場上その責任を取らされるという冗談のような関係性ができあがっている。うん、そりゃ手出しできねーわけだわ。
「てことは、この後は普通に学園生活を楽しむだけ、か?」
「さあ? それを知ってるのはエドでしょ?」
「いや、まあそうなんだが……」
最初の段階から大きく運命が変わっているので、正直この後の展開に一周目の経験がどれだけ生きるのかがわからない。そもそも誰とも関わらず卑屈に過ごしていた当時のミゲルと、沢山の友人に囲まれて積極的に学園生活を楽しんでいる今のミゲルでは活動範囲そのものが違う。
(野外演習とか学園対抗の模擬戦とか色々あったけど、全部ミゲルは関わってねーんだよなぁ)
危険を伴う野外演習にまともな精霊魔法の使えないミゲルが参加することはできなかったし、代表生徒が戦う模擬戦なんてはなっから対象外だ。観戦することはできたが、卑屈なミゲルがわざわざ人混みに入って華々しく輝く同級生を見るなんて拷問を受けるはずもない。
(強いて言うなら来月に試験があるわけだが……)
「フッ……フッ……フッ…………」
真剣な表情で剣を振るミゲルを見れば、たかだか試験程度に不安など何も感じない。積み重ねた努力は嘘をつかないし、今のミゲルの心構えと人間関係を鑑みれば、酷い失敗をしたとしても落ち込むことはあっても折れることはないだろう。
「うん、特に何もねーな。ま、油断さえしなけりゃ普通に暮らしてて平気だろ」
「そ。なら私も少し気楽に過ごさせてもらうわ。自由に冒険できないのは残念だけど、船の中に押し込められるのに比べればとっても快適だもの」
「ははは、違いねーや」
冗談めかして言うティアに、俺もまた笑って答える。実際その後は小さな問題こそ幾度も起きたが、俺達の平穏を脅かすような事件は起こらない。課外授業で野生の獣に襲われた女子生徒をミゲルが颯爽と助けて惚れられたり、学園対抗の模擬戦でナッシュの披露した四属性の精霊魔法に注目が集まったり、突如人型の美少女になってしまったトーマスの契約精霊にみんなが困惑したりと、実に楽しい学園生活を満喫し……そして俺がこの世界に来てから、八ヶ月後。
「フッ……フッ……フゥゥ」
「よし、完璧だ我が主よ」
「ホント!? やったぁ!」
遂に一〇〇回の素振り全てを完全にこなし、喜んで飛び跳ねるミゲルの姿に俺の表情も緩む。
「まさかこれほど短期間にやり遂げるとはな。やはり我が主の才能は素晴らしい」
「へへへ、そうかな?」
「だが何より素晴らしいのはその精神だ。毎日毎日同じ事の繰り返しであったのに、我が主は一日も休むことなく、一振り一振りと真剣に向き合った。そのたゆまぬ努力と折れぬ意思の結晶こそが、その太刀筋だ。大いに誇れ、我が主よ」
「な、何だよエイドス! そんな急に褒めるなんて、照れちゃうよ」
「おーうミゲルぅ! 何だよ、ようやく素振りは卒業かぁ?」
嬉しさと照れで体をクネクネさせるミゲルのところに、相変わらずの態度でナッシュが近づいてくる。途端にミゲルの表情が険しくなるが、いつものこと過ぎて俺もティアも苦笑しながら見守るだけだ。
「……何だよナッシュ。そういう君はどうなのさ?」
「俺か? 聞いて驚け、何と遂に六属性全部の精霊魔法を完全かつ完璧に習得したんだ! これで俺が世界で初めての全属性使いだぜぇ!」
「くっ……」
自慢げに言うナッシュに、ミゲルが悔しげな表情を浮かべる。そんな二人の傍らで、俺はそっとティアに指先を触れて語りかけた。
『なあティア、実際の所ナッシュはどのくらい凄いんだ?』
『そうね、もし他の子達も精霊と契約していなかったら、大体三割くらいは同じくらいの使い手になれたと思うわ。最初に精霊と契約するって制度が見直されるなら、来年からは特別でも何でもなくなるでしょうね』
『そっか。じゃ、もう少しくらいはいい気分にさせておいてもいいか』
『そうね。頑張ったのは事実だもの。いいんじゃないかしら? ちなみにミゲルの方は?』
『こっちは凄いぞ。ティアに一番わかりやすく言うなら、このまま成長するとアレクシスくらい凄くなる』
『うわ、それは本当に凄いわね!』
驚いたティアが目を丸く見開き、指が離れて「二人だけの秘密」の効果が切れる。アレクシスと旅をしてきたティアだからこそ、ミゲルの成長具合が凄まじいことが理解できたんだろう。
「……最後まで見届けられないのが残念だわ」
「それは流石に仕方ねーさ」
少しだけ寂しげな笑みを浮かべるティアに、俺は苦笑して肩をすくめる。そんな俺達の様子に、ひとしきりナッシュと悪態をつきあったミゲルが俺に話しかけてきた。
「ねえエイドス、僕にも何か凄い技を教えてよ! ナッシュをビビらせるくらい凄いやつ!」
「ははは、そうだな。まだまだ身につけるべきことはあるが、基礎の太刀筋を身につけられた我が主であれば――っ!?」
瞬間、ぞわりと背筋を撫でていく悪寒に俺の脳内で激しい警鐘が打ち鳴らされる。即座に臨戦状態へと意識を切り替えた俺の隣では、同じく鋭い目つきで周囲を警戒するティアがナッシュを抱き寄せて辺りを見回している。
「ティア、何かわかるか?」
「具体的なことは何も……でも精霊が凄くざわめいてる。これは……北の方?」
「北?」
言われてそちらに視線を向けるが、そこには学園の敷地を囲むように広がる深い森と、軽く赤らんできた青い空といういつもの光景が……いや、違う?
「……燃えてる?」
空を彩る赤は、決して夕焼けだけではない。遠くに揺らめくのは木々の燃える炎であり、空を傷つけるように立ち上る黒い煙の上には、小さな黒点が徐々にその数を増やしていく。
「おーい! ミゲル、ナッシュ!」
と、そこにいつかのようにトーマスがこちらに向かってくる。だがその必死の形相はあの日とは比べものにならない危機感を抱かせる。
「トーマス!? どうしたの?」
「大変……大変なんだ! ノルデが! ノルデの大軍がこっちに向かってきてるって、先生が!」
「は? 何言ってんだよ馬鹿トーマス。こんな大陸の真ん中までノルデが来るわけねーだろ?」
「そんなの知らねーよ! とにかく二人とも、早く一緒に来い!」
ナッシュの言葉に取り合うことなく、トーマスがグイグイとミゲル達の手を引いていく。当然俺とティアもその後に続くわけだが……
「こりゃ何とも、厄介なことになりそうだな」
赤く燃えゆく空を一度だけ振り返り、俺は小さくそう呟いた。




