人生に緩急は必要だろうが、盛り上がる方向性には注意していきたい
その後は必要なものを買い込んだりちょっとだけ買い食いをしたりと不自然で無い程度に久しぶりの外出を楽しみ、最後の一日は万が一にもトラブルに巻き込まれて乗り遅れないようにスカーレット号の中で過ごした。
そうして時が流れれば、船は無事に陸地を離れて大海原へと漕ぎ出して行く。そのまま進んで町が見えなくなり俺の視界を海が埋め尽くすようになると、ようやく俺は張っていた気を少しだけ緩めた。
「ふぅ、とりあえずは一安心だな」
万が一、自分達が間抜けだと喧伝することよりも俺達に復讐することを優先された場合を考えて身構えていたが、ここまでくればそれもない。今回は船員の増減もなかったので、変なのが紛れ込んでることもないだろう。
(……つっても、それはレベッカ側だって同じだよな。俺達を追いかけている奴らが混じらないように余計な新人を入れなかった可能性もあるし)
そんなものは存在しないと知っているのは、当人である俺達のみ。レベッカは当然警戒しているだろうし、この五日間で俺達の事も調べているだろう。それに関しては情報屋に金を握らせて匂わせる程度に噂を流させたので、今後も軽く調べられる程度なら誤魔化せると思うが……ま、その辺は駄目だったらその時に考えよう。対策を練るのは重要だが、その動きのせいでバレるなんて間抜けはやりたくねーしな。
「はーっ、これでまた当分は陸地とお別れね」
と、そんな俺の隣ではティアが普通に景色を楽しんでいる。もう少しすればまた野菜の皮むきをしなけりゃならないが、今はつかの間の休憩時間というところだ。
『それで? 私はこれからどのくらい野菜の皮を剥き続けなくちゃいけないのかしら?』
そっと俺の手に触れたティアが、「二人だけの秘密」で俺に話しかけてくる。人目がある場所でもこっそり話が出来るのは本当に便利だ。
『そうだな。とりあえず一ヶ月くらいは何も無かったと思うが……』
『一ヶ月!? うへぇ……』
俺の方を向いたティアが、うんざりした表情を見せる。元が美形のエルフだけにそんな顔でもそれはそれで可愛いが、然りとて年頃の娘のするような顔ではない。
『そんな顔すんなよ。美人が台無しだぞ?』
『ふーんだ。そんなお世辞を言われたって元気なんて出ないわよーだ! でも、その言い方だと一ヶ月後には何かあるのよね? 何があるの? また何処かの船が襲われてるのを助けるとか?』
『あー、半分正解ってところだな』
『半分?』
『ははは、全部言っちゃったら楽しみがなくなるだろ? 必要になったら話すから、それまではそれを希望に野菜の皮むきを頑張ってくれたまえ』
『何その言い方!? それはエドだって同じでしょ?』
『いや、俺の勘だとそろそろ俺達は別の仕事をさせられるんじゃねーかな? その方が情報も取りやすくなるだろうし』
「えっ……」
驚きを露わにしたティアの手が、パッと俺から離れる。だがすぐにもう一度俺の手を掴んでくると、俯いたままその想いを語りかけてくる。
『そっか、そうよね。いつまでも一緒ってわけにはいかないわよね……』
『そりゃあなぁ。つっても同じ船に乗ってるんだし、仕事が別になるだけじゃねーか。危ないことをさせられるわけでもねーし、何かあっても大抵のことはティアなら自力でどうにでもできるだろ?』
この船に乗ってる奴らは決して弱いわけじゃないが、ティアは明らかに強い。純粋な腕力勝負でもするなら相手によっては負けることもあるだろうが、そこまでティアを追い込める奴はこの船にはいない。
だというのに、ティアの表情は冴えない。悲しそうな目で俺をまっすぐに見つめ、切々と訴えかけてくる。
『でも、でも……エドがいなかったら、私は一体どうやって暇を潰したらいいの!?』
『そういうことかよ……まあ頑張れ』
『エドぉぉぉぉぉぉぉー!』
今度は俺からパッと手を離し、ヒラヒラと手を振ってティアに背を向け歩き出す。ちなみにティアは俺の代わりに一緒になった皮むき係とあっという間に打ち解けてしまい、俺としては何とも複雑な表情を浮かべざるを得なかったわけだが……そんなこんなで、一ヶ月。その日は遂にやってきた。
「前方に船影!」
前回と同じように、船の中に大きな声が響き渡る。それを聞きつけ皆が駆け出すなか、俺はゆっくりと落ち着いた足取りで歩を進める。
階段を上がって甲板に出れば空は曇天にて雨が降っており、風に吹き付けられた雨粒がパタパタと俺の体を叩いてくる。
そんななかで甲板に響くのは、当然ながら船長であるレベッカの声だ。
「状況を報告しな!」
「東北五〇〇に船影一! 旗は……ありゃバロックですね」
「バロック? どっかの船を襲ってるんじゃないなら、避けて進めばいいね。進路変更! 東に――」
「待ってください姐さん! バロックの船が、まっすぐこっちに突っ込んできてます!」
「だから船長と……何だって?」
見張りの男からの報告に、レベッカが怪訝な表情を浮かべる。
「まさか悪天候に紛れてアタシ達に喧嘩を売りに来たってのかい? いくらピエールでもそこまで馬鹿じゃないだろうし……船の後ろに何か見えるかい?」
「ちょっと待ってください。視界が悪くて……波飛沫? え、嘘だろ!?」
「何が見えたんだい!?」
「大型魔獣一! 推定……クラーケン!」
「クラーケン!?」
その報告に、レベッカが驚愕の声をあげる。が、それも当然だ。クラーケン……八本の触手を自在に操る巨大な軟体の魔獣は金属で船体を補強された軍船だろうとあっさりと沈める強敵であり、それに海で遭遇するのは即ち死と同義なのだから。
「急速回頭! ピエール達が襲われている間にさっさと逃げるよ!」
故に、レベッカは冷酷かつ冷静な判断を下す。そもそも殺し合う相手なのだから助ける義理などこれっぽっちも無いし、戦利品を奪うことを前提としている海賊船には軍船のように大型兵器は積んでいない。
ならばその判断はこれ以上無い程に正しいのだが……そこに俺は声をかける。
「船長、ちょっといいか?」
「あぁ? 何だい新入り。まさかピエールの奴を助けたいなんて言わないだろうねぇ?」
「いや、そうじゃなくて……あのクラーケンを倒してこようと思うんですけど、どうですかね?」
「……はぁ?」
俺の提案に、レベッカが大口を開けて俺を見てくる。そりゃまあ、船よりでかい魔獣を倒してくるなんて言われたらこういう反応になるだろうなぁ。
「アンタ、馬鹿なのかい? あれを倒す!? どうやって!?」
「それは勿論、考えてあります」
そう言って、俺はレベッカに手短に作戦を説明していく。するとレベッカは呆れた表情のまま顔を手で押さえ、雨の降りしきる空を仰いで大きくため息をついた。
「はぁー、なるほどねぇ……アタシやこの船を巻き込むって言うなら海に捨てていくところだけど、そうじゃないなら好きにすりゃいいよ。
ただし、危なそうならアタシ達はさっさと逃げる。それでいいんだね?」
「ええ。俺達が心配してるのは帰りの足だけなので」
「わかった。なら小舟を――」
「あ、いえ、それもいらないです。ティア!」
「ふふーん、ようやく出番ね!」
俺がその名を呼べば、待ってましたとばかりにティアが銀色に輝く剣を振り上げる。そこには既に精霊魔法が宿されており、刃の周りを青白い光が淡く包み込んでいる。
「やぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
気合いと共にティアがその剣を振り下ろせば、海の上に氷の道が出来る。それは大分迫ってきていたバロック海賊団の船にまで届き、急に船足の鈍った船がクラーケンの触手の一撃を受けてよろめく。
「っと、こりゃ急がねーと沈められちまうな。行くぜティア!」
「お願い!」
ティアの体をひょいと横抱きにして、俺は海に飛び降りる。氷の道を踏みしめて追放スキル「追い風の足」を使えば、後は敵まで一直線だ。




