友よ、お前はお前で在れ
前半は三人称となっております。ご注意ください。
カツン、カツンと足の爪が石造りの床を打つ音を響かせながら、ドーベンは控え室から試合場へと続く長い廊下を歩いて行く。その暗く冷たい通路を一歩踏み出すごとに、ドーベンの胸には様々な思いがよぎる。
ケモニアンの勇者を決める、勇者選考会……これまでの三試合で出会った相手は、いずれも相応の強者ではあった。
だが、足りない。努力を積み重ねてきた相手には失礼極まりないとわかっていても、彼等の強さはドーベンからすると物足りないものでしかなかったのだ。これならばいっそ、選考会が始まる前に戦った毛無しとの勝負の方がよっぽど熱く燃え上がれたと思わせるほどに。
(あいつらが弱かったわけじゃねぇ。俺が強かっただけだ。頭じゃわかってるけどよぉ……)
もしもこのまま、気の抜けた勝負で自分が勇者に選ばれてしまったら? その思いにドーベンは戦慄する。あれほど焦がれた最強の証、勇者の称号が酷く薄っぺらいものになってしまいそうだからだ。
(ま、そんな心配はいらねーんだけどよ)
そこまで考えてから、ドーベンはニヤリと笑う。そう、そんなことにはならない。何故なら今から戦う相手……ワッフルは、自分から見ても間違いなく強者だったからだ。
アイツとならば、全力で戦える。勝てば自分の強さを心から誇れるし、負ければ……
(ハッ! この俺が負けたときの事を考えるなんざ、馬鹿みてーだぜ!)
目指すのも望むのも、いつだって勝利のみ。ならばこそ余計な考えを捨て去って出口へと進んでいくドーベンだったが……
「で? お前は誰だ?」
自分以外にいるはずのない場所に立つ男に、ドーベンは警戒心を隠すこと無く声をかける。すると外套を目深に被っていた男がそのしわくちゃの顔を露わにした。
といっても、老人ではない。年齢には関係なく顔の皮が皺のようにたるんでいる種のケモニアンというだけだ。
「お初にお目にかかります、ドーベン様。ご高名はかねがね」
「ほぅ、俺を知ってるのか? なら今すぐ消えろ。俺は今機嫌がいいから、見逃してやる」
「いえいえ、そうは参りません。貴方には是非ともここで立ち止まっていただかねばなりませんから」
そう言って、たるんだ顔の男が懐から何かを取り出す。それを怪訝な目で見たドーベンだったが、すぐにその目が驚愕に見開かれた。
「テメェ、それをどうした!?」
男が持っていたのは、安物の赤い花飾りだ。一〇年近く前に贈ったものだけに流石に最近は身につけてもらえなくなっていたが、それでもそれを妹が大事にしてくれていることを、ドーベンは誰よりもよく知っている。
ならばこそ、ドーベンは素早くその花飾りを奪い取り、かつ空いている方の手で相手の男の襟首を掴む。だが牙を剥きだしにして威嚇するドーベンの顔を間近にしても、男の表情が変わることはない。
「落ち着いてくださいドーベン様。そんなに力を入れては、その花飾りが壊れてしまうかも知れませんよ?」
「…………チッ。要求は何だ?」
暗に妹を害されると言われ、ドーベンは掴んでいた服を離す。
「ふふふ、どうやら頭は悪くないようですね。なに、簡単なお願いです。ドーベン様には、次の試合に負けていただきたい」
「何?」
「ああ、勿論あまりあからさまな負け方は駄目ですよ? それなりに拮抗していただいたのち、適当な隙を作って自然な形で負けてください。昨日までの試合の疲労が溜まっていたとか、実は怪我をしていたとか、そういう感じの噂に信憑性を持たせられる形が理想ですね」
「それを、あのチビは……ワッフルは知ってるのか?」
「まさか! そういう駆け引きをご理解いただけない方だからこそ、我々が裏で動いているのですよ」
「…………そうか」
それはドーベンにとって、ほんの僅かな救いであった。妹の無事と勇者の称号は、ドーベンにとって天秤にかけるに値しない。だが自分の焦がれた存在が酷くくだらないモノに成り果てるのはあまりにも耐えがたい。
それでも茶番の果てに生まれる勇者が潔白であるのならと、怒りの全てを飲み込んで頷こうとしたその時。
「はいはーい、そこまでー!」
これだけ気を張っている状況にもかかわらず、突如として自分の背後から聞こえた緊張感の無い声に、ドーベンは再び驚愕の表情を浮かべることしかできなかった。
「よう、ドーベン。元気?」
「エド!? てめぇ、何処から現れやがった!?」
「まあまあ、それは今はどーでもいいだろ?」
でかい口を開けて問い掛けてくるドーベンに、俺は身振りを交えてそう告げる。ちなみに俺は追放スキル「不可知の鏡面」を使って、最初からここにいた。少し前に「旅の足跡」と「失せ物狂いの羅針盤」でミミルに不審な動きがあったことを確認していたので、その犯人……少なくとも関係者がここで接触してくると踏んだからだ。
それでもまさか首謀者……こんな大物が釣れるとは思わなかったが、自分の言葉通り今はそれをひとまず置いておく。
「今お前に伝えなきゃいけねーことは、一つだけだ。ミミルちゃんはティアが保護してる。だから何の心配もない」
「なっ!?」
「馬鹿な!? そんなことができるはずがない! いえ、高い戦闘力があれば奪還そのものが不可能とまでは言いませんが、この短時間でそんなことは――」
「あー、あんたの意見はどうでもいいんだよ。どうするドーベン? 一〇分もありゃティアがミミルちゃんをここに連れてくると思うが……それまで便所にでも籠もってみるか?」
既に試合開始時刻は過ぎており、なかなか出てこないドーベンに会場はややざわつき始めている。が、流石に便意を無視して戦えとまでは言われない。多少顰蹙は買うだろうが、理由を言えば一〇分程度遅れたくらいで失格になったりはしないだろう。
だが、俺の提案にドーベンは楽しげに笑いながら首を横に振る。
「いや、んなことしねーよ。お前がそう言うなら、俺はそれを信じるだけだ」
「そっか。なら頑張ってこいや」
「ま、待て! いいのかドーベン! この男のいい加減な言葉を信じてお前が勝ったりしたら、妹は――」
「妹は無事だ」
背を向けて立ち去ろうとするドーベンに、皺がたぷたぷしてる男が焦って叫んだ。だがドーベンは振り返ることすらせず、力強くそう断言する。
「何故だ!? 何故そこまでこんな毛無しの言葉を信じられる!? 我等の調べたところでは、お前達はまだ出会ったばかりのはずだろう!? なのにどうして!?」
「そんなの決まってんだろ」
ズンズン歩いていたドーベンが、そう言って立ち止まると握った右の拳を高らかと天に突き上げる。
「友達だからさ」
「……………………」
絶句するしわくちゃ男を置き去りにして、ドーベンが再び歩いて行く。やがて光の向こう側にその体が消えると、こんな通路の奥にまで大歓声が響き渡ってきた。
「おうおう、格好いいこって。にしても、何でこんなことしたんだ? やっぱり利権か?」
もはや打つ手をなくしたしわくちゃ男……ワッフルを勇者候補へと推薦したブルート大臣に対し、俺は気軽な口調で問い掛ける。するとブルートはガックリと肩を落としながらもポツポツと語り始めた。
「ドーベンは確かに強い。だが些か粗忽に過ぎる。いざという時に王命に従わないかも知れない者をどうして勇者などに任命できると?」
「なるほど? 強さ的に勇者候補にしないわけにはいかねーけど、実際に勇者になられちゃ困る人材ってわけか。そりゃ確かに扱いに困るわなぁ」
「それがわかるなら何故!? 何故私の邪魔をしたのだ!? 君達毛無しにとっては関係の無い他国のことで、まして君はワッフル君と一緒に行動していたじゃないか!」
「ん? いや、別に邪魔はしてねーだろ? どっちかって言うなら俺はワッフルを応援してるぜ?」
「ならば何故邪魔を――っ!?」
喚くブルート大臣を、俺は自分の体を使って壁際に押し込む。
「邪魔してんのはテメーじゃねーか! いいか? ワッフルは強い。こんな小細工しなくたって、あいつなら自力で勇者になれるんだ! その花道に糞を塗りたくってるのはテメーの方だろうが! そんな手段で勇者になったって知ったら、あいつがどんな顔をするかわかってんだろうが!」
「……個人の感情など、関係ない。国家に携わる者として、重要なのは国の利益と国民の安寧だけだ。それに真実が伝わらないように、最大限の配慮はする。君の言うことも間違ってはいないが、私と君では立場が違うのだ」
「あー、そうかい。立場の違い……確かにその通りだ。俺だって国のトップが『信じる』なんて言葉を本気で使い出したら、即行で他の国に逃げるだろうしな。
でも、だからこそ俺はあいつらを信じる! くだらねー小細工を取り除いてやれば、心からわかり合って最高の結末に辿り着くってな」
「…………君は。君は一体何なんだ?」
立ち去ろうとする俺に、ブルートがそう声をかけてくる。
「俺か? 俺は部外者の毛無しで、ドーベンの友達で、ワッフルの仲間さ。まあ見てろって。俺の友達は確かに強えけど、俺の仲間はそれを上回る。ウチのワッフルを舐めんじゃねーよ!」
それだけ言うと、俺は通路を暗闇に向かって歩いていく。ここから人目を忍んで一般の通路まで戻って、それからティアと合流して……くそっ、やること多いな! 試合が見られねーのが残念だが……
「頑張れよ」
どちらにでもなく、戦う友に。俺はそう呟いてから闇にその身を躍らせるのだった。




