他人の言う「もったいない」ほど、余計なお世話はありゃしない
その後、俺達は数ヶ月をジンク達の地元の町で過ごした。いい感じにジンク達を鍛えたり、あるいは簡単な依頼を受けたりと、何とも先輩冒険者らしい日々を過ごし……そして最後は「新しい仕事が入った」と告げて旅立つことで、見事「追放」されることができた。
そうしていつもの「白い世界」に降り立つと、隣のティアがいつにも増して元気よく声をあげる。
「たっだいまー!」
「うぉぅ、何だよティア。今回は随分テンション高いな?」
「そう? 何かこう、言いたくなったのよ。ほら、ここって私達の家みたいなものでしょ?」
「家……?」
言われてみれば、毎回ここから出て行って帰ってくるのだから、ここは家と言っても差し支えないのかも知れない。が、俺としては拠点という感覚はあっても、家という風には思っていなかった。
「家、家か……」
「え、何? そんなに考えるようなこと?」
「いやほら、俺って家とか住んだことねーし」
建物としての家とか、空間としての家にいたことは勿論ある。異世界を巡る旅の間だって、散々色んな奴の家に泊まり込んだりしてきてるしな。
が、俺には自分の家と呼べる場所はない。記憶の中には存在するが、これは神が創ったものであり、家も家族も実際には存在していないわけだしな。
ならばこそ、いつ何処に行っても俺は客人でしかなかったわけだが……
「そうか、家か……」
「そうよ、家! 私とエドのお家よ。だから……おかえり、エド!」
「お、おぅ!? ただいま、ティア……で、それだと……お、おかえり?」
「よくできました! ただいまエド!」
「おおっふぅ……」
何だろう……何だこれ? 何だかわからねーが、何とも言えない幸せな気分が凄い勢いで自分の中に満ちてきている気がする。これが家パワー……スゲーな家。そりゃみんな住むわ。
「てか、何で急にそんなこと言い出したんだ?」
「うーん? 深い理由はないけど、強いて言うならジンク達と一緒にいたからかしら? あの子達を見てたら、何となく家に帰りたくなったというか……わかる?」
「あー……すまん、何とも言えん」
「フフッ、別にいいわよ。私だって明確な理由があるわけじゃないし。ただフッと、冒険を終えて帰ってきたなら、ただいまって言いたかっただけだもの」
「そっか」
確かに、そういう気持ちにいちいち理屈を求めるなんて無粋もいいところだろう。一人頷く俺の顔を見てほにゃっと笑うと、ティアがテーブルの方へと歩いて行った。
「さーて、それじゃ今回も早速読みましょ? 今回もいい感じになるのよね?」
「そのはずだけど……おっ?」
俺が「勇者顛末録」を手に取ると、本全体が一瞬淡い光に包まれる。おそらくこれで内容が修正されたんだろう。
「これ、俺が手に持つと自動的に発動するのか? なら元の内容を読みたい場合は、ティアに読んでもらえばいいんだろうか?」
「別にどっちでもいいんじゃない? こう言ったら何だけど、いちいち神様が泣いてる内容の方は、正直そんなに読みたくないし」
「ははは、そりゃそうだ」
キュッと眉根を寄せて言うティアに、俺は思わず笑ってからページを開く。すると確かに文章の表現が柔らかく……というか、公平な感じになっているようだ。
「お、こりゃいい。けど、こいつは……」
「凄く普通ね」
一緒に読んでいるティアの感想通り、勇者ジンクの半生はこれ以上ないほどに平凡であった。幼なじみと言うだけあってドーマやケインが頻繁に現れ、時には喧嘩をしたり、時には一緒に悪戯をして怒られたりと微笑ましい日々を送っているが、本当にそれだけだ。
不意に魔獣が襲ってきたりしないし、謎の行商人がやってきたりもしない。多少の豊作や不作はあっても飢饉とかはないし、風邪を引くことはあっても伝染病が広がったり不治の病に冒されたりもしない。
少し前に出会った勇者ニコの本もこんな感じだったが、それに輪をかけて普通なのは、ジンクが自他共に勇者であることを認識せず、その力を一切振るっていないからだろう。
そうして物語は山も谷もなく進んでいき、俺達と出会ったことで急速に動いて、そしてまた急速にしぼんでいき……大分薄めの本の、最後の一節。
――第〇〇四世界『勇者顛末録』 最終章 孵らぬ卵
かくして自覚もないまま成り行きで魔王を討った勇者ジンクだったが、彼は結局最後まで己が勇者であることを選ばなかった。裏から世界の調律をしていた魔王が死んだことでその後の世界は大きな混乱に見舞われたが、ジンクが勇者として立つことはなく、三五歳で引退するまで「地元では腕の立つ冒険者」として活動を続けることとなる。
引退後は冒険者ギルドの職員として就職し、雑貨屋を始めたケインや実家の仕事を継いだ兄弟達を手伝うドーマとの家族ぐるみの交流も続いていき、家族と友人に囲まれながら過ごす日々は、穏やかながらも満ち足りた日々であった。
晩年、死の床に伏したケインに「自分達がいなければ英雄になれたのでは?」と問われたジンクは、「お前達のいない人生なんて、つまらなくてとっくに死んじまってるよ」と一笑に付している。その考えは生涯変わることなく、六八歳にてその命を終える時、最後に残ったドーマに「ここでみんなで過ごそうと決めたのが、俺の人生で一番大きな、そして一番正しい選択だった」と告げている。
世界に羽ばたく翼を自ら抜いて、その羽毛で友と包まり暖を取ることを選んだ勇者ジンク。異界の魔王の手により卵を割られなかった勇者は、そうして孵ることなく世界へと還っていくのだった。
「むぅ……」
「何だよティア、難しい顔して」
冴えない……というより困惑しているような顔をしたティアに問いかけると、ティアはその耳を微妙に垂れ下がらせながら答えてくれる。
「何となく、スッキリしない感じだなーって。悪く言われてるわけじゃないんだろうけど、でもよくもないっていうか……」
「あー、それか。それは俺達がジンクにとって好意的なのに対して、この本の視点が中立っつーか、世界だからだろ。ほら、俺がジンク達に同じようなこと言ったじゃねーか」
如何に貴重な卵でも、孵らなければそのまま朽ちて死んでしまう。それは卵の外側の世界から見れば大きな損失であり、孵らないことを望む卵など、愚かで怠惰な存在なのだろう。
が、温もりに包まれたまま微睡むように生きて死ぬことは、果たして卵自身にとっては不幸であるだろうか? たかだか一五年しか生きていない少年が、ほんの少し外を見ただけで「もういいや」と見切りを付けるのは、先見の明かはたまた短慮か?
その問いに正解などというものはない。どの視点で見るか、幸せの定義を何処に置くか、ありとあらゆる状況によってコロリと変わってしまうからだ。
「俺達はジンク達が楽しそうに冒険してるのを見てきた。だからこれを読んで、ジンク達が幸せに生きて死んでいったのを疑ったりしない。
でもたとえば……そうだな。アレクシスが勇者としての特権を全部放棄する代わりにのんびりと城で生活してたら、多くの人が『戦え!』って文句を言うと思うだろ?
権利がないなら義務だってない。なのに誰もが自分の視点で、自分に都合よく他人が動かないのを不快だと思う。いや、不快に思うくらいならまだしも、動いて当然で動かないのは罪だなんて言い出す奴も幾らでもいる。
持ってる力を使わないのは罪。可能性を追求しないのは罪。自分にできることがあるなら、それを為さないのは大罪である……よく言うぜ。そういうことを言う奴らこそ、手にした権利分の義務すら満足に果たしてねーことばっかりなのによ」
小さく肩をすくめて言う俺に、ティアが苦笑を返してくる。本気でそんな主張をしてくる善人の存在がどれほど厄介かは、勇者パーティなんてのを渡り歩いていれば嫌って程理解させられるからな。
「だからいいんだよ。俺達はただ、ジンク達が最後まで好きなように生きたってことを喜んでやりゃ、それで十分さ」
「ふぅ……そうね。私の望んだ通りの書き方しかされないなら、それこそ前と同じだものね」
「だな。ってことで、これはこれとして……どうする? すぐに次の世界に行くか? それともここが家ってことなら、少しくらいはのんびりしていくか?」
「うっ、それはどっちも魅力的な提案ね。次の世界のことも気になるけど、せっかくベッドとか買ったんだから、たまにはここでゴロゴロするのも……むむむ……」
「ははは、どうせ時間は進まねーんだし、好きなだけ悩めばいいさ」
ベッドと扉を交互に見て悩むティアに、俺はそう笑ってから、目覚めなかった勇者の英雄譚をそっと本棚にしまい込んだ。




