あまりに大きく環境が変わると、適応するにも時間がかかる
「ねえエド、まだやるの?」
「当たり前だ! 行くぞ……ほあっ!?」
スピードレースにて無様な敗北を喫した俺は、道中幾度も「追い風の足」の扱いを練習していた。これは負けたからムキになっているわけではなく、高速移動の手段があるかないかは、戦闘力に大きく拘わってくるからだ。なので決して負けたからムキになっているわけではない。断じてないのだ。
「くっそ、上手くいかねーな……」
だが、正直なところ成果はあまり芳しくない。というのも、水の抵抗というのが俺の想像以上に強かったからだ。普通に歩く程度ならほとんど何も感じないのだが、少しでも速く動こうとすると、途端に体の動きが鈍くなる。
ティアのような魔法使いなら問題無いかも知れないが、俺みたいな剣士からすると、この感覚の違いは割と深刻なものがある。
「……これはちょっと、本気で慣れねーとマズいかもな」
「戦闘中だけ、私の魔法で補助する?」
「いや、それだといちいち感覚が変わるからもっと駄目だ。流石にその辺の雑魚には負けねーと思うけど、しばらくの間は何かって時はギンタを頼む。即座の対応はできないかも知れねーし」
「わかったわ。任せて!」
頼られて嬉しいとばかりに、耳をピコピコ揺らしながら笑うティアに笑顔を返してから、俺は顔を引き締め再び移動しながらの訓練を開始する。うーん、こんなに思い通りに体が動かないのなんて、いつぶりだ……?
「エドー! ティアー! そろそろ遺跡に着くギョー!」
と、そんな事をしていれば二時間ほどの移動などあっという間だ。まあ実際には俺が色々やってたせいで三時間くらいかかってしまったようだが、二人とも文句の一つも口にしないのがありがたい。この恩は働きで返すとするとして。
「これが遺跡? 思ったよりしっかりした建物なのね」
俺達の目の前に立つのは、水草やら貝やらが壁面に付着しまくった石造りの四角い建物。縦に四つ窓枠のような四角い穴が並んでいるので最低でも四階建てだというのはわかるが、下は地面に埋まっているので本当のところはわからない。
そしてその遺跡は、見た目から感じられる古さとは裏腹に、脆いという印象は受けない。これならよほど大暴れしない限り、遺跡が崩れるという懸念は必要なさそうだ。
「ここは町から一番近い遺跡で、今回みたいに新人の訓練なんかによく使われる場所なんだギョ。なんで正直遺物に関してはこれっぽっちも期待はできないギョが、代わりに罠とか魔獣とか、そういうのは気にしなくても大丈夫だギョ」
「そうなんだ。それは安心ね。でも訓練って、私達みたいな人でなかったら何をするの?」
「ベテランの先輩が隠した遺物を見つけるとか、解除されてる罠の実物を見ながら説明とか、そういう感じギョね。あとは外と違って中は狭くて壁もあるから、魔獣に見立てた誰かから逃げたり隠れたりする訓練なんかもあるギョ。
ああ、懐かしいギョ。オレも最初はここで特訓したんだギョ」
「へー、面白そう! どうエド? やってみない?」
「そうだな。実際に体を動かしてみる方が感覚が掴めるかもな」
「わかったギョ! ならちょっと準備してくるギョ!」
そう言って、ギンタが一人遺跡に入っていく。俺達は体を動かしながら待っていると、三〇分ほどしたところでギンタが出てきた。
「準備できたギョー! じゃ、エド達はこれと同じものを探してもらうギョ」
「これは?」
「こういうときに使う遺物の偽物だギョ。入り口の近くにまとめていくつか隠してあるんだギョ」
「へー。盗まれたりしないの? あとはそれを持っていって、遺跡から見つけたことにするとか?」
「こんなもの盗むくらいなら、ここにくる道すがらに水草でも毟った方がまだお金になるギョ。それに別に試験でも何でもないんだから、嘘の報告なんてそれこそ意味がないギョ」
「ははは、そりゃそうだな」
試験なら合格するために不正を働く奴もいるだろうが、訓練でそれをしたら何もしないのと同じだ。仲間内で見栄を張りたい、なんて馬鹿な理由でもなければ、そんなことはしないだろう。
「隠してあるのはこの遺跡のなかの何処かだギョ。罠に関しては引っかかると音が鳴ったり小石が飛んできたりするようになってて、石が当たった場合はその場所が負傷で使えなくなり、急所に当たったらその場で訓練終了だギョ。
あと訓練中はオレがどこからともなく襲いかかるから、オレに捕まっても失敗だギョ」
「確認だが、襲ってくるギンタは倒してもいいのか?」
「それは普通に止めて欲しいギョ。エドはともかくティアに精霊魔法とかいうのを使われたら、何をどうやってもオレに勝ち目がないギョ。弱い者いじめはよくないんだギョ!」
「そうね。本気を出せばこの遺跡をまるごと吹き飛ばすこともできるでしょうし……」
「いや、本当に止めて欲しいギョ!? そんなの食らったら普通に死ぬギョ!」
「待て待て。ティアの方はいいにしても、俺はともかくってどういうことだ? さっきの競争だけを見て、俺の方がギンタより弱いと?」
「そりゃそうだギョ。エドがオレより上手に動けるはずがないギョ」
ジロリと見る俺に、ギンタが何処か得意げな表情で笑う。ほほぅ?
「フッフッフ、そうか。あの勝負ひとつで、そこまで俺は侮られてたか……いいぜ。ならギンタには、俺のこの数時間の努力の結晶を見せてやる」
「ギョッギョッギョッ。ならエドには追われる者の恐怖というのをターップリと味わわせてやるギョ!」
不敵に笑う俺に、ギンタがそう言ってその場から姿を消す。本日二度目の勝負だが……今回も負ける気はない。
「よし、行こうぜティア」
「はーい。やり過ぎちゃ駄目よ?」
「ハッ! それはギンタの出方次第……っと」
遺跡に入ってすぐのところで、かつて扉があったであろう穴の部分に細い糸が張られているのに気づく。いきなりトラップとはなかなかにエグいやり方だが、こんなものに引っかかってやるほど俺はお人好しじゃない。
「どうする? 解除する?」
「うーん…………いや、やめとこう」
もしこれが本物の罠であるなら、俺は迷わず糸を切っただろう。石だろうが矢だろうが俺が「不落の城壁」を使えば無効化できるし、ティアが精霊魔法を使えば音を外に漏らさないようにすることだってできる。完璧な対処ができるなら、発動させてしまうことこそ最も簡単で確実な罠の対処法なのだ。
だがこれは訓練なのだから、そんな力業で突破しては意味がない。罠解除の技術がない以上、ここは華麗にスルーしていくことにしよう。
「糸は斜めに張ってるから、左上か右下のどっちかを通ればいいだろ。俺が先に行くから、ティアはフォロー頼む」
「了解。気をつけてね」
ティアの言葉に頷き、俺は地を蹴って泳ぎ始める。するとその罠を上半身が通り抜けた辺りで、再び目の前に糸が張られていることに気づく。
「へぇ、なかなか用心深い……っ!?」
それに気づいて止まろうとしたが、俺の体は水中に浮いている。地面を歩いているなら即座に踏みとどまれるが、ここでは瞬時に停止することはできない。
「チッ!」
制動まで、ほんの数センチ。だがその前進が俺の顔を糸に触れさせ、左手側の瓦礫の隙間から小さな石が飛んでくるのが見えた。当たったところで痛くも痒くもないだろうし、水中なだけに勢いもそれほどではないが……
「くっそ!?」
手も足も硬い面には触れておらず、然りとて空中ほどに勢いよく体を動かすこともできない。この状況で体をひねってもかわしきることは不可能と悟り、俺は左手で飛んできた石を受け止めた。
その小さな衝撃は薄皮一枚傷つけることもなかったが、代わりにどこからともなくギンタの声が水を揺らして伝わってくる。
『ギョッギョッギョッ。エドの左手はこれでアウトだギョ。それとも今回は手当したことにしておくギョ?』
「……上等。んな配慮はいらねーよ」
掴んだ小石を床に落とし、俺は唇の端を釣り上げる。なるほど、この訓練はなかなかやりがいがありそうだ。




