基準となるのは、いつだって数の多い方だ
「よっ……とうぶぁっ!?」
新たな世界に降り立った瞬間……いや、正確には降り立つことなく、俺の足下はスカッと空を切り、そのまま水の中へと沈んでいった。
「ふがもがっ!?」
全く予期していなかった事態だけに、思い切り水を飲んでしまった。その苦しさに慌てて水面に浮上すると、俺は「彷徨い人の宝物庫」からキャナルの世界で買った金属製の船を取りだす。
「ハァ、ハァ……ティア!」
その縁に手をかけつつ、俺は大声で叫びながら周囲を見回す。するとすぐ近くに溺れるティアの姿があったので、俺は強引に手を掴むと「火事場の超越者」を使ってティアの体を船の上に放り投げた。グキッと音がして肩が外れたが、気にせず俺も船の上にあがる。
「うぐっ……つぅぅ……ティア、大丈夫か?」
「げほっ、えほっ…………え、ええ。平気よ…………」
肩をはめ込みながら問う俺に、ティアが口から水を吐きつつそう答える。どうやら移動と同時に溺死という最悪の未来は免れた……あ。
「あー……そうか……………………」
「ふぅ、ふぅ、ふぅぅ…………何エド? 何が『そうか』なの?」
「いや、この世界が何処なのかに目星がついたんだけど……説明の前に、まずは服を乾かさねーとだな。いや、いっそ着替えるか?」
この先の活動場所を考えると、どのみち通常の服を着ているのは無理だ。俺は船に据え付けられている収納庫を開け、そこから二枚の水着を取り出す。
「ほれ、ティア。これに着替えろ」
「何これ? 替えの下着……にしては不思議な質感ね?」
「そいつは水着だよ。水中で活動するのに着る服って奴だ。濡れたままでいるよりいいだろ?」
「そうね。じゃあ失礼して……こっち見ちゃ駄目よ?」
「馬鹿言ってねーでさっさと着替えろ!」
意味深に笑うティアに背を向け、俺もまた濡れた下着を脱ぎ捨て、黒い短パンに履き替える。この船を買ったときに一緒に買わされたものだが、まさかこんなに早く役に立つ日が来るとはなぁ。
「もういいわよ」
「……おお」
言われて振り向いた俺の前には、上下に分かれた白い水着に身を包むティアの姿があった。何となくの記憶で選んだ水着だったが、どうやらサイズもピッタリだったようだ。
「どうどう? 似合う?」
「ああ、よく似合ってるぞ」
「ふふ、ありがとう。エドも似合ってるわよ……で、今更だけど、この船って何なの?金属製の船なんて初めて見たけど」
脱いだ服を船縁に引っかけて乾かしながら、ティアが興味深そうに船体を見回したり、撫で回したりしている。確かに船と言えば普通は木造だろうが……ああ、そう言えばざっくりと話はしたけど、実物を見せるのは初めてだったか。
「ほら、前にレベッカの世界の魔王を倒した話をしただろ? こいつはその時の――」
『一定以上の光量を確認。スリープモードを解除します』
「え、何!?」
突然聞こえた俺達以外の声に、ティアが驚いてキョロキョロと周囲を見回す。だが辺りに見えるのは一面の水だけであり、声の主は俺達の足の下だ。
「この船だよ。こいつは喋るんだ」
「船が喋るの!?」
『船体チェック開始……異常なし。魔力残存量六七%、運行に支障はありません。マギネットへの接続を開始……失敗。現在位置を特定できません。マップのアップデートにはマギネットへの接続が必要です』
「うわ、うわ、本当に喋ってるわ!? ねえ、貴方……えっと、船さん?」
『……………………』
「あ、あれ? 船さん? もしもーし?」
『……………………』
「うわーん! エド、船の人が私を無視するわ!」
甲板をペシペシ叩きながら抗議の声を上げるティアに、俺は思わず苦笑して答える。
「ははは、ティアが嫌われるのは珍しいな……おい」
『何でしょうか?』
俺の呼びかけに対して、船はあっさりと答えを返してきた。そんな俺をティアがジーッと見つめてくるが、とりあえず今はそれを気にせず会話を続ける。
「何でティアの呼びかけには応えねーんだ?」
『初期設定では防犯上の問題から、登録されている方以外からの呼びかけには応じないようになっております』
「ああ、なるほど。そりゃ確かに」
言われて俺は納得する。誰が命令してもその通りに動くんじゃ、あっさり盗まれてしまうから考えてみりゃ当然だ。
「ならティアを……このエルフのお嬢さんを登録してくれ」
『新規ユーザー登録にはマギネットへの接続が必要です。マギネットへの接続を開始……失敗。マギネットの接続圏内に移動してから再度申請してください』
「お、おぅ。そうなのか……」
「エド? どういうことなの?」
「あー…………悪い。つまりこの船はティアとは話せないらしい」
「うわーん!」
困り顔で頭を掻く俺の前で、ティアが再び泣きわめく。まさかこんな落とし穴があるとは……つってもこれはどうしようもねーしなぁ。
「よ、よし! なあティア、こんな船のことよりこの世界のことを話そうぜ! 色々説明しときたいことがあるんだよ」
「くすん……なーに?」
「まずその……あれだ。この世界には海しかない」
「……そうね。どっちを見ても水平線があるわね」
「いや、そうじゃない。本当に海しかねーんだ。俺の知る限りでは、陸地は一切ない」
「えぇ……?」
真剣な俺の言葉に、ティアが戸惑いの表情を浮かべる。広い海の真ん中に浮かんでいるのと、本当に海しかない世界とでは全く違うのだから当然だ。
「陸地がないって……じゃあここには人はいないの?」
「いや、いる。ただし全員がこの下だ」
指を指すのは下。ただしそれは船底というわけじゃなく、更にその下……即ち水中である。
「俺達とは結構見た目が違う感じでな。水中に住んでるんだよ」
「それは、魚人ってこと?」
魚人……水中に住む人のような姿をした種族は、いくつかの世界で存在している。実際俺とティアも異世界を巡る旅の間で三種族ほどと出会ったことがあるが……しかし俺はゆっくりと首を横に振る。
「俺達の感覚で言えばそうだけど、この世界には人……つまり地上には人間もエルフもドワーフもいねーわけだから、彼らが唯一の人類なんだ。だから強いて言うなら彼らの方が人間という『基準』で、俺の方が地上人なんて呼ばれる感じになると思う。
まあ実際には地上人なんて存在しねーから、彼らから見た俺達は『自分たちによく似た姿をしている不思議な存在』ってことになるわけだが」
「そっか。私達の方が少ないなら、そうなるわよね……え、でも待って。その人達って水中で暮らしてるのよね? で、この世界では水中にしか人がいない……!? ど、どうするのエド!? 私の精霊魔法だって、そんなに長時間は無理よ!?」
ティアの使える魔法の中には、水中呼吸を可能とするものもある。が、その持続時間は精々三時間ほどだし、深く潜った時に体を締め付けてくる力への対応にも限界がある。なのでちょっと潜るくらいならともかく、水の底で何ヶ月も生活するなんてのはどうやっても不可能だ。
「落ち着けティア。その解決策はある。あるんだが……それが問題でな。一周目の時、俺はここであっさり溺れて気を失ったんだ。で、そこを通りかかった人に助けられたんだが、その時に俺達みたいな人間が水中での活動を可能にする魔導具を貸してもらったんだよ」
「ああ、そうなの。ならそれを手に入れればいいわけね?」
「そうなんだが……」
ホッとした顔をするティアに、しかし俺は苦い顔で言いよどむ。そう、問題はそこなのだ。
「その魔導具ってのがな、俺達にとっては『貴重なガラクタ』なんだよ」
「ほえ? 貴重なのにガラクタなの?」
「ああ、そうだ。考えてもみろ。そもそも水の中で生活してる奴に『水中で生きられるようになる魔導具』の使い道があると思うか? 地上には誰もいなくて、世界中の全員が水中で生活してる世界でだぞ?」
「それは……ないわね」
「だろ? しかもそいつは古代遺跡でごく稀に見つかるだけの発掘品らしいんだよ。だから数が存在しないうえに、使い道が全く無いから価値もない。そのせいで取り扱いがないから、手に入れるのが難しいんだよ」
「なるほど、それは確かに『貴重なガラクタ』ね」
滅多に見つからないうえに、見つかっても価値がない。それはつまり自分で探すのは難しく、かといって需要がないので買うこともできないという本当の貴重品ということだ。
「最低一つ、俺の分があるのは一周目の経験でわかってる。でもティアの分まであるかはわからない。だからあのまま流れに任せて溺れるってわけにはいかなかったんだ。無かったら普通に死ぬからな」
「そっか……ごめんねエド。私のせいで」
「違うって、俺が安全策をとりたかっただけさ。ただこれで一周目の流れは使えねーから、まずは件の魔導具を探して――ん?」
ザパーン!
不意に船のすぐ側で音がして、水面が盛り上がる。俺達が視線を向けるなか、そこから顔を出したのは……
「ギョギョーッ? 本当に変な物が浮いて……ギョーッ!?」
全身を艶のある緑の鱗で覆われた、この世界の「人間」であった。




