軽い気持ちで観光するつもりだった。後悔はしていない
「くぁぁ……何だよオイ!?」
大量の追放スキルにより異世界では無敵を誇る俺の体も、あらゆるスキルが効果を失うこの「白い世界」ではただの人間だ。分厚い本に脳天直撃されれば相応に痛いし、涙目にもなる。
思わず頭を押さえて蹲り、足下に視線を向ければ……そこには今し方俺の頭に降ってきた追加の本が落ちている。見た目は同じ真っ白な本だが、まさか内容まで同じということはないだろう。
「……読めってことだよな。おぉぉ?」
白い本を手に取り、表紙を開ける。するとその本は中がくりぬかれて箱のようになっており、そこには繊細な細工の施された金の鍵が入っている。
「鍵? こっちは使い方か?」
本とは名ばかりの箱ではあるが、表紙の裏にはきっちりと文章が書いてあった。それによると、これはどうやら「完全追放記念」のサービスらしい……もうちょっと別の名前があるんじゃね? まあいいけど。で、肝心の内容は……と。
『この鍵を使うと、好きな世界の扉を開くことができます。その世界の扉にこの鍵を使うことでここに帰還すると、鍵は消滅し始まりの扉が開きます。
さあ、一番思い出深い地を再訪して、帰還へのモチベーションを高めましょう!』
「ええ、何このサービスいらない……」
喉が渇いているので水が飲みたかっただけなのに、山盛りの定食が付いてきたみたいな感じなんだけど。知ってるか神様? 求められていないサービス精神ってのはただの押しつけなんだぜ?
「はぁ、まあいいか。この条件なら適当な世界に行って、すぐに帰ってくれば達成できるし……となると、どうするかな?」
すぐに帰るつもりなら、くぐる扉は何処でもいい。ならばすぐ隣にある〇〇一の扉を開けばいいんだけれど……脳裏に蘇った思い出に、俺は思わず動きを止めてしまう。
「…………苦労したよなぁ」
最初の扉、最初の世界。平々凡々な雑傭兵……対人よりも危険な魔獣なんかの退治をメインに請け負う便利屋……としてようやく一人前と言われるくらいになった俺のありのままの実力は、当然ながらそう大したものじゃなかった。
勇者パーティへの加入こそ「生まれた世界から追放されたから」という糞みたいな理由で貰った最初の追放スキル「偶然という必然」によって叶ったけれど、それはあくまできっかけを作ってくれただけ。
信頼を得られるような実力や特殊技能なんて何もなかった俺は、最低限半年間は追い出されないように必死に勇者パーティに食らいつき……その結果何と一年半も一緒に旅をすることになったのだ。
うん、我ながら良く頑張った。一番最初で追放された後にどうやってここに戻ってくるのかわからなかったから、万が一を考えて安全な場所で追放されるように、メッチャ気を使ったもんなぁ……まあそれもとある事件で台無しになったわけだが。
「ふーむ、俺がいなくなった後ってどうなったんだろ?」
扉番号の下に刻まれた数字に目をやると、どうやらこの世界では俺が追放されてからおおよそ一〇年ほどが経過しているらしい。一〇年あればおそらく魔王は討伐され、世界が平和になっていることだろう。
「ってことは、あの勇者様が王様になってたりするのか? うわぁ、会いたくねぇ……」
頭に浮かぶ、高慢ちきな勇者様の笑い声。これも最初だからそういうものだと思ってたけど、世界一の大国の王子で勇者って狙いすぎだよな。まあ勇者は神様が選んでるみたいな話だったから、人を強制召喚するような神なら間違いなく狙ったんだろうけど。
「まあいいか。今なら俺の方が強いだろうし、王様だったら会うことなんて無いだろ。せっかく行くならすぐ帰るのはちょっと勿体ないから、適当に王都でも観光してから帰ることにしよう」
勇者饅頭とか売ってたら、ちょっとだけ買ってみてもいい。そのくらい軽い気持ちで俺は〇〇一の扉に鍵を差し込み、カチャリと音がするまで捻る。するとツヤツヤ輝くようだった金の鍵がくすんでいき、ぱっと見でもその力が失われたのがわかった。
「なるほど、こりゃ確かにもう一回使ったら壊れるだろうなぁ。さて、では一〇年ぶりの世界はどうなってるかな?」
扉から外に出ると、背後にあった扉が消えて何処か見覚えのある草原に放り出される。おぼろげな記憶を辿れば、振り向いた背後には割と大きな町が……おお、あったあった。
「んじゃ、のんびり行きますかね……っと、その前に一応確認」
異世界に入ったことで使えるようになった追放スキルを、俺は一通り発動させてみる。後は強力な物理結界を張れる「不落の城壁」と、攻撃魔法を吸収して無効化する「吸魔の帳」を常時発動状態にして……うむ、異常なしだな。
「武器は……いつものでいいか。出ても角ウサギくらいだろうし」
彷徨い人の宝物庫に手を突っ込み、俺はきっちりと手入れをされた鋼の剣を一本取りだし、腰に佩く。聖剣や魔剣の類いも持っていないわけじゃないが、ああいうのはその世界の強者が使いやすいように調整されているので、俺みたいな部外者には相性があまり良くないのだ。
その点、何の特殊性もないただの剣というのは素晴らしい。どんな世界にも存在し誰もが使っているから変に目立つこともないし、世界を越えてもその在り方が変わることはない。一周回った結果単なる鉄の塊だからこそ信頼できるって真理は何とも皮肉なもんだ。
「うんうん、やっぱりきっちり鍛えた鋼はいいな。いつ使っても手に馴染むぜ……鍛冶場を貸してくれるところとかあったら、もう少し追加しとこうかなぁ」
彷徨い人の宝物庫の中には多分三〇〇本くらい入ってるけど、備蓄は多いに越したことはない。今の俺なら金なんてすぐに稼げるし……ん?
「ありゃ?」
心の中で首を傾げ、口にも出して呟いてしまう。何故なら遠目に見えるようになった町が、どうにもボロボロに朽ちているとしか思えないからだ。
「え、嘘だろ!? まさか魔獣に襲われた!?」
俺が慌てて追放スキル「追い風の足」を起動すると、遠くに見えていた町並みがあっという間に近づいていく。そうして辿り着いてみれば町を覆う石壁は半分ほどが崩れており、中にある建物もほぼ全てが倒壊している。
「おいおい、ここって大分でかい町だったはずだろ? それがこれって……」
壊れた建物の風化具合からすると、この町がこうなってからおそらく一年や二年は経っているはずだ。となると考えられるのは人間同士の戦争というのが真っ先に思い浮かぶが……
「おい、アンタ!」
と、そこで不意に俺に声をかけてくる奴がいた。俺がそちらに顔を向ければ、瓦礫の影から大きな袋を背負い、ボロい服を着たオッサンが顔を出す。
「アンタ、こんなところで何やってんだ?」
「何って……いや、それより知ってたら教えてくれよ。何でこの町が壊れてるんだ?」
「は? アンタ何言ってんだ? この町が魔王軍に攻め滅ぼされたのは、もう二年も前の話だぞ?」
「………………はぁ?」
訝しげなオッサンの言葉に、俺は思わず間抜けな声をあげてしまう。
「魔王軍!? 魔王軍がまだ健在なのか?」
「健在も何も、魔王軍は一〇年以上前からずっと暴れ回ってるじゃねーか。今更そんなことを聞くなんて、アンタどんだけ田舎から出てきたんだよ」
「ずっと……? 残党とかじゃなく、一〇年前からずっと……?」
それはつまり、魔王は倒されていないということだ。なら勇者は? 俺を散々いびってくれた、あの糞王子は……?
「な、なあ。なら……一〇年前にいた、勇者は? 勇者はどうなったんだ?」
「とっくに死んだに決まってるだろ。もう五年も前の話さ」
「死んだ……アレクシスが、死んだ……………………?」
俺の思い出のなかで高笑いしていた勇者で王子なアレクシスの姿が、バリンと音を立てて砕け散る。
「な、なら他の……勇者パーティの面々はどうなったんだ?」
「そりゃあ全員死んでるさ。当たり前だろ?」
呆れたようなオッサンの声。そのどうやったって誤解しようのない言葉に……俺はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。