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セバスチャンの回です。
私、セバスチャン・ミカエリスは今まで経験の無い自体に直面し硬直していた。
「お金を貸して下さい!」
彼は私の目の前でそれもう綺麗な姿勢で頭を下げている。
その姿は確か東の方の作法で『土下座』と呼ばれるものだったと記憶している。
この国にもある『正座』と呼ばれる反省を示す姿勢を取り、さらに地面に手をつけ頭を下げることにより、相手に最大限の敬意を示すものだ。
主に罪人が被害者へ謝罪をする、もしくは天上人と呼ばれる国王に当たる人物に会う場合等に用いられるという。
それは今の様に金を無心する時に軽々しく使うものではない、と思われるのだが。
目の前の彼はそれはもういっそ清々しいほどに綺麗な土下座をしていた。
「お顔を上げて下さいませ!その様に使用人に頭をさげるものでは御座いません!」
しばらく固まっていた私ははっと我を思い出し慌てて彼を制する。
しかし彼は頭を下げ続けた。
今の様な自体になった訳はほんの数分前に遡る。
朝食をご案内した後、私は現当主であるニコラス様に呼ばれた為にお客様の元を離れる必要があった。そこで息子であるスチュワートにお客様をお任せしたのだ。
旦那様からのお話は要約すると、お客様を逃がすな、という命であった。
信じられないが、あれほどの者がフリーである可能性を旦那様は感じ取った様だ。
もし本当にそうであるならばこれほど行幸な事は無いだろう。若しかすると彼ならば奥様のご病気を治す術をご存知かも知れない。
とにかく彼を逃がさぬよう私は真っ先に彼の過ごしている部屋へ向かった。
しかし、そこは既にもぬけの殻であった。
スチュワートに聞けば既に帰られた、という。
まるで、ここに用はないとでも言うようにほんの少し目を離した隙に逃げられたのだ。
私はこの事を素早く旦那様にお伝えした。
「....そうか、逃げられたか。彼はここには残らない様な気がしていたが。存外早かったな。」
「申し訳ありません。」
深く頭を下げると気にするな、と優しいお言葉を頂いた。昔から少々人に甘い節があるがそこが旦那様の良いところだ。
私は彼を探す為、素早く準備を整え、仕事をスチュワートに引き継いだ。門兵へ彼の向かった方角を聞く為に正面玄関へ向かう。
そして、そこには探していた彼が居たのだ。
彼は私を見つけるなりキラキラとした笑顔をみせて私へ走り寄る。
そしてその勢いのまま滑るように地面へ座り込み、はっきり聞こえる声でこう言った。
「お金を貸して下さい!」
そして現在に至る。
何が彼にそうさせたのか、私の理解の範疇を超える行動に柄にもなく狼狽えてしまう。
「とりあえず、お話をお伺い致します。ですので、頭を上げて下さいませ。」
そこまで言ってようやく彼は頭を上げてくれた。しかし地面で正座の状態だったが。
訳を聞けば冒険者登録の登録手数料が払えなかったそうだ。
そのくらい貸すと言わず差し上げるのだが、彼の頭には借りるという手段しか無いらしい。
「そういう事でしたか。でしたら貴方様はハーヴェイ家の恩人で御座います故、その様にされずとも旦那様へ御相談なされば直ぐにでも用意なさると思いますが。」
「いや、これはハーヴェイ家に頼んでるんじゃ無いんだ。セバスチャン、貴方に貸してくれと言っているんだ。」
「.....私に、で御座いますか?」
「そうだ!務めてるなら給金くらいあるだろう?5Gで良いんだ。俺に貸してくれ!」
このとおりだ!とまた土下座を開始する彼を私は再び引き止める。
「解りました!解りましたから、どうか頭を上げて下さいませ。そしてお立ち下さい!」
「.....すまない。恩に着る。」
ようやく彼は立ち上がる。5Gなど子供のお小遣いにも少ない金額を借りるも何も無いと思うが、顔には出さない。
しかし、これはチャンスでは無いだろうか?
彼をハーヴェイ家に引き止めることが出来るのでは無いか?私はそう考えた。
「ノア様。ニコラス様にお仕えする気は御座いませんか?貴方様をニコラス様は高く買っていらっしゃいます。高待遇でお迎えして下さるでしょう。」
こういう時は回りくどいやり方をせず、誠意を示すのが1番良い。
私は精一杯真剣に彼の目を見つめた。
だが、予想に反して彼は苦虫を噛み潰したような表情をする。さらにはそっと視線を逸らしたのだ。
それはまるで何かに怯えている様でもあった。
「有難い申し出ではあるんだが...。誰かの下で仕えるってのにあんまりいい思い出が無くて。出来れば傭兵として自由にやって行きたいんだ。」
「そうで御座いましたか....。不躾に申し訳御座いません。」
「いや、申出自体は本当に有難いんだ。そんな頭を下げる様なことじゃない。」
自分は軽々しく土下座をする割にこちらが下げるのは嫌な様だ。それが彼の今までの待遇だったのだろう。最初出会った時に浮浪者の様な装いだったのは偽装でもなんでもなく、本当に辛い境遇であったという証だったのだ。
それならば誰かに仕えるということ自体に怯えがあっても可笑しくない。
私は彼を囲い込むのでは無く、長く細く繋がりを持つ方が良い気がした。少しでも囲う様子を見せれば彼は真っ先逃げ出すことだろう。それだけは避けなければならない。
「5Gでしたね。今手持ちが御座いますからこちらをお持ち下さい。」
「...ありがとう。明日必ず返す。」
私はもはや彼にあげたつもりであるので返す必要は無いのだが、彼と良好な関係を築く為、あえて指摘しない。
私から硬貨を5枚受け取った彼はその場で少し考えてから徐ろに何かを取り出した。
それは一見するとポーションの様にみえる。
しかし一体どこから出したのか分からない。見間違えでなければ彼は空中から取り出した様に見えた。
「これを渡しておくよ。明日俺が金を持って来たらこれを返してくれ。もし来なかったら、売るなり使うなり好きにしてくれ。」
「なるほど、担保という事ですか。大切に保管させて頂きます。」
彼は錬金術師と名乗っているからにはポーションの1種であろう。
私はそれを深く考えないままに受け取った。
それじゃ、と素っ気なく街へ向かう彼の背に私は何気なくこのポーションの効果を聞く。
「お待ち下さい!こちらは何のポーションでしょうか?」
「ああ、いい忘れてたわ、それは俺の特製エリクサーだ。」
「.......は?」
「効果は有名だからわかるだろ、じゃぁ明日なー!」
私は彼の言葉に固まり、その間に彼の背はもう見えない程遠くへ消えていた。
エリクサー。
その意味をようやく理解した私はバネ仕掛けの人形のように大慌てで屋敷へ戻る。
向かうのはもちろん旦那様の居る執務室だ。
「だ、旦那様!!大変に御座います!」
ノックもそこそこ、大慌てだ。
「どうした!?お前がそんなに慌てるなど珍しい。」
私のただならぬ様子に旦那様も事の重大さを理解して書類を置いて私へ向き合う。
息も絶え絶えに私は訴えた。
「え、エリクサーが!エリクサーが!手に入りそうです!」
「なぁにぃ!?それは本当か!!」
聞くや否や旦那様は椅子から飛び上がる様な勢いで立ち上がる。
必死に手に入れようとしていた品だ。無理もない。
「詳しく話せ。」
「はい。それが.....」
私は事の顛末を旦那様に話した。話終える頃には私も旦那様も落ち着きを取り戻していた。
「そうか、彼が....。しかし、これは本物なのか?」
「分かりかねますが、彼は嘘を言っているようには見えませんでした。念の為、鑑定を依頼しましょう。」
「いや、鑑定に出せばエリクサーがあることが国王様のお耳に入るやもしれん。そうなれば取り上げられる事は明白だ。」
「でしたら料理長のガゼルは如何でしょうか?彼には弱いながらもスキルの鑑定が御座います。細かい事は解らずとも偽物かどうかくらいは見分けられるやも知れません。」
ガゼルはハーヴェイ家の料理長をしている男だ。生まれつき鑑定というスキルを持ち、それを買われてここで働いている。
しかし、彼の鑑定は一般的な魔導師が使う鑑定魔法と違い一部食材を除き、詳細は解らず名前しか出ない。それも場合によっては不明と出る。鑑定としては使えないが毒などを見分ける目を持つことは貴族にとって大変重要な為、料理長として活躍している。
彼ならばエリクサーがエリクサーである事だけは解るかも知れない。もちろん不明と出る可能性も否めないが。
「明日来ると確かに言ったのだな?」
「はい、間違い御座いません。明日で御座います。」
「では、ガゼルに鑑定させろ。それとこの事は他言無用だ。」
「畏まりました。」
その後の鑑定で結果はエリクサーと出た。
これは明日彼を捕まえて話を聞く他無いだろう。今度こそ逃がしてはならない、と私は心に誓った。
ちょっと長くなりました。