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泉の広場  作者: 泉 ゆう
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宇宙の果て

宇宙のことを考えると眠れなくなることがよくあります。


 彼女はいつからかそこにいて、そして、僕は彼女と友達になった。不思議な人だった。仲良くなるにつれて彼女のことを知っていく筈なのに、どんどんよくわからなくなる。とても、不思議な人だった。


 そんな彼女の不思議はどんどん増えていく。僕が望む場所ならどこへだって連れて行ってくれるんだ。彼女の気が向いた時に言う「行きたいところはある?」という言葉に、「じゃあ僕は――」と、そう答える。そうすると彼女は僕の手を取って、嬉しそうに笑うんだ。


 彼女と出会って十数年、それはそれは色々な場所に連れて行ってくれた。月の裏側や太平洋の奥底。溶けるような火山湖だったり凍えるような氷土だったり。


 そのどれもが素晴らしいもので。そのどれもがかけがえのない宝物で。そのどれもが僕と彼女の日常だった。


 だから、


「行きたいところはある?」

「じゃあ僕は、宇宙の果てが見てみたい」


 いつも通りに答えれば、手を取って笑ってくれると思ってた。今回は違ったんだ。いつもと違う彼女は、俯きながら悲しそうな顔でこう言った。


「ダメだよ。生きていけなくなっちゃうよ」

「それでも、君となら見てみたいんだ」


 今までだって危険なところに行ったんだ。それでもこうして二人で帰って来れた。だから大丈夫。君と色んな景色を見てみたいんだ。


 そんなことを、押し黙る彼女にズラリと並べたと思う。詳しくは覚えてないけれど。結局、僕の言葉に渋々って感じではあったけど、「わかったよ」と頷いてくれた。


「その代わり、この手を絶対に離さないこと」


 いつも通りの約束。差し出された細い指を包み込んで、僕もいつも通りに言葉を返した。


「何があっても離さない」


 いつも通りとはいかない、困ったような笑顔を彼女が浮かべると、僕達はふわふわと舞うように宙に浮く。そう、いつも通りに。


 その途端に視界の端に景色が流れる。僕達は止まったままなのに、世界が僕達を追い越していく。そんな錯覚。視界はいつの間にかいっぱいの星で埋め尽くされる。もう宇宙まで来たのかな。振り返ったら地球が見えるかな。


「怖くない?」

「君がいるから」


 振り返ろうとしたところで彼女が声を掛けてくる。それに僕は本音を返す。うん、怖くない。だって君がいるから。


 今度は星が流れていく。どんどんと速度を上げて、まるで流星群みたいだ。すごく綺麗。でも、なんだろう。周りの星が目の前に集まっていってる気がする。気のせいかな。


 ――やっぱり気のせいじゃない。あの一点だけ星が集まってすごく眩しい。周りは真っ暗なのになんであそこに集まってるんだろう。まさか、ブラックホールってやつなのかな。それに吸い込まれてるなんてこと……。


「スターボウっていうんだって。すっごく速いスピードで移動したら周りの景色が目の前に見えるらしいよ。不思議だよね」

「そうなんだ。君は詳しいんだね」

「私は教えてもらっただけだよ」


 誰に? とは聞けなかった。急にそのスターボウの光までなくなって、周りがまっくらになっちゃったんだ。それに少し驚いて。そう、驚いただけだ。怖くない。


 それでも彼女の姿だけははっきり見える。別に光ってる訳でもないのに、不思議だ。やっぱり宇宙って分からないことだらけなんだな。彼女にも僕の姿は見えているのだろうか。


 そんなことを思ったとき、僕達の体はふわりと止まる。多分、止まったと思う。分からなくて周りを見回したり、彼女と繋いだ方とは反対の手を振り回したり。してると、目の前がなんだかぶよぶよとした感触。なんだろう。壁?


「ここが宇宙の果て?」

「ううん、まだだよ。さあ、大きく息を吸って。海に潜るみたいに」


 彼女は先にそうすると、そのぶよぶよの壁に体を埋めていく。手を引かれた僕も慌てて息を吸い込んだ。なんとなく目はつむった方が良さそうだ。ぶよぶよが目に入ったら痛いに違いない。


 ――暑い。暖かい。何も見えない。それになんだか時々ピリピリする。ぶよぶよした壁を無理やりかき分けて少しでも前に進む。さっきまでは暑さも寒さも息苦しさも感じなかったのに。ここは一体何なんだろう。そろそろ息が続かなくなりそうだ。


「ぷはぁ」


 隣で彼女のそんな声が聞こえた。と、同時にさっきのぶよぶよの空間からぽん、と抜け出したみたいだ。僕も彼女に倣って「ぷはぁ」と息を吐き出す。呼吸を整えながら薄目を開ける。うん、大丈夫そうだ。


 目を開くと、ぶよぶよを通る前みたいな真っ暗闇。空気は少しはあるみたい。洞窟なのかな。なんだか狭い気がする。気がするだけだけど。


 さっきの経験を踏まえて、前に手を出す。とても硬い感触。手の甲で数回ノックしてみたら、コンコンと気持ちいい音。これ以上先には進めなさそう。


「ここが宇宙の果て?」

「まだまだだよ。ここは止まらないで一気に行かなきゃ。私の手、ちょっと強く握っててね」

「わかった。離さないよ」


 彼女は僕の返事に、少しだけ固まった気がした。ちょっとだけこの先を警戒してるみたいだし、笑って安心させてあげたいんだけどな。僕の手を引く彼女は、振り返ってくれなかった。


 そしてさっきみたいに大きく息を吸い込む。もしかしたら必要ないのかもしれないけど、念のため。


 ――あれ、熱い? 冷たい? なんだかよくわからない。なんともいえない不思議な感覚。それを考えていると急に体が流されそうになった。なんだこれ。すごく流れの速い川みたいだ。しかもすごく熱い。流されないように必死に両手で彼女の手を掴む。ちょっと情けないかな。なんて、言ってられないくらい。


「はぁ。はぁ。はぁ」


 彼女の荒い呼吸が聞こえてきた。体が波に攫われる感覚が終わって、僕も思い切り息をした。今のは大変だったなぁ。ぎゅっとつむっていた目を開けると、なんだか少し薄明るい。さっきまでまっくらだった分、少しだけ目がしぱしぱする。


 ようやく目が慣れてきた。改めて見てみるとなんだかすごく不気味だ。だって、地面から真っ黒いビルがたくさん生えてる。どれだけ大きいんだろう。


「なにこれ。この世の終わり? ここが宇宙の果て?」

「あとほんのちょっとだよ。これを超えたらそこが宇宙の果て」

「そうなんだ。いよいよだね」


 目の前の黒い何かに触りながらそう答える。なんだか変な感触だ。それに近くで見たら鱗みたいな。……タケノコみたいな?


 そんな観察をしていた僕に、彼女は「ねぇ」と声を掛ける。振り返るとなんだか悲しそうな、辛そうな表情を浮かべていて。「どうしたの?」と声を返す。


「ほんとに行くの? 今からでも帰らない?」


 彼女がそんなことを言うなんて珍しい。いや、初めてだ。彼女が連れて行ってくれたところで、そんなことを言われたことはなかった。いつも満足した僕が「帰ろう」と提案するのに。だけど僕は答える。


「怖くなっちゃった? 大丈夫だよ。君がいるもん。それにここまで来たんだから最後まで見たいよ」

「そっか……。わかった。手、離さないでね?」

「絶対に離さない」


 もしかしたら、彼女は宇宙の果てに来たことがあって。それがとても怖い場所で。彼女もそれが怖いのかもしれない。


 だけどごめんね。僕も見てみたいんだ。少し見たらすぐに帰るから。君が怖くないように、ちゃんと手を握っているから。


 ――彼女の手に引かれて。僕達はさっきまで目の前に進んでいたのに、今度は上へ上へと登っていく。いくつもの黒いビルを超えて。その上に覆い被さるように横倒しになったビルもひらりと避けて。上へ上へと登っていく。少しずつ、周りが明るくなっていくのがわかる。この上に、光があるんだ。


「僕、宇宙の果ては真っ暗で何もない空間だって思ってたよ。予想が外れちゃった」

「みんなそういう風に想像してると思うよ。でもね、違うの。あそこはそんなんじゃないの」


 なんだか、意味ありげ。その言い方に少し怖くなってくる。でも大丈夫なはずでしょ? だって彼女がいて。僕がいて。二人ならきっと大丈夫。そして。


 多分、最後のビル。横倒しの黒いビル。そこで彼女は止まる。この向こうに宇宙の果てが広がっているんだ。この向こうに、人間じゃ一生かかっても辿り着けない景色があるんだ。そう考えると、さっきまで怖がっていたのが嘘みたいにワクワクする。


 そして、彼女が一度僕を見た。口パクで僕に言葉を告げる。


「お、ね、が、い」


 どういうこと? 僕を見つめるその瞳には涙が溜まっている。え。僕は何をお願いされたの? そう尋ねようと思って。でも、彼女は僕の手を引いてふわりと宙を舞う。


 ――視界いっぱいに広がる光。眩しくて目も開けていられない。目を何度も擦り、手で光を遮りながら。それでもなんとか薄目で目の前の景色を。


 ――僕の部屋だ。なんだこれ。帰って来たのか。でも、なんだかおかしい。なんだ?

 ――縮尺が違う。何もかも大きい。何もかも遠い。でも、長年過ごした僕の部屋。ここが宇宙の果て? そんなバカな!


「どういう、こと……?」


 振り返って彼女に尋ね

 思わず手を振りほどいた。だって。僕が。僕は。なんで。そこに。彼女の。後ろに。大きな。僕が。僕。


「…………手、離しちゃったね」


 彼女が涙を流していた、気がした。


「きっと、次のあなたなら――」


良い夢を。

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