74.逃げない
私が目にしたのは、異常な獣。黒く澱んだ獣、生き物とは認めたくないあれを私は前に一度だけ見たことがある。あれを父は黒い魔物と呼んでいた。
ひゅっと息が詰まる。どれ程の人間が黒い魔物に殺されただろう。その強さに父さえも殺された。あの時の黒い魔物よりも数倍もの巨体に、瞬時に勝てないと悟った。慌てて私は木に後ろに隠れる。静かに見つからないように。
しかし、カカオさんも理解してるだろうに、黒い魔物から逃げない。それどころか、
「シンディさん!俺は大丈夫ですから逃げてください!」
そう言って私を逃がそうとする。さっきの魔物でさえ勝てそうになかった人がどうやったところで勝ち目はないはずなのに。
カカオさんは何故か、逃げる気は無さそうだった。
ゆっくりと黒い魔物はカカオさんに近づいていく。どうして、あの人は助けに来ないの。カカオさんが殺されてしまう。不安が徐々に心を蝕んでいく。
けれど、その不安を忘れたフリをする。いない人を当てにしても仕方がない。私は逃げたくない。カカオさんを置いてはいけない。
その一心で、考える。今、出来ることは、黒い魔物を撤退させること。ある程度のダメージを与えれば、黒い魔物は逃げることが分かっている。だから、私がどれほどあれにダメージを与えられるか。
今の私にはこの弓がある。あの黒い魔物は、前の黒い魔物よりは遅い。大丈夫、出来るはず。
私は、呼吸を整える。
気づかれていない今がチャンス。一発。一発だけが、あれに当てられるチャンス。
失敗は出来ないので、貰った矢ではなく借りた木の棒。当てにくいけれど、この棒の方が魔力が込められる。
心を統一していく。余計な思考は排除していく。たった一回限り。当てるのは、顔。狙いやすい場所まで隠れながら移動する。
まだカカオさんの近くに来ていない。大丈夫、まだ時間はある。焦らないで。
全身全霊の魔力を棒に込めて。
木の棒に緑と赤の魔素が集まる。花が咲くように、燃え尽くすように、イメージする。
弓を構え、矢を当てる。弦を引き、狙いを定める。
黒い魔物が少し頭を下げた。
今!
私は放った。
シャーーーン
涼やかな音が鳴り響く。
木の棒は、目に突き刺さった。
「グウォオオオオ」
私が喜び間もなく、辺りに、黒い魔物の雄叫びが体にのし掛かる。恐怖で体が崩れ落ちる。
あまりの威圧に私は嘔吐した。
どうして私は、こんなことをしてしまったの。一瞬後悔が過るが、それでも、黒い魔物に傷つけられたことに興奮する。
「私は戦える」
もう一度、黒い魔物に攻撃を与える為に立ち上がる。




