第97話 陽の出
1人、また1人と分身が消滅していく中で、ウェルガーがサリエルの喉元を刈るべく走った。
態勢を低くし持ち前のスピードでサリエルに接近する。その姿は正しく獲物を狩る獣そのものである。
しかし。彼の攻撃がサリエルに届くことはなく、常軌を逸した反射神経にて向けられた攻撃全てをサリエルは対処する。
サリエルの振るう大鎌がウェルガーの鉤爪を砕き、逆に喉元に迫った鎌をウェルガーが身体を反らして回避した。
「くッ、そがッ――!!」
両者共に追撃はなく、深追いはしない。
短い舌打ちを残し霧に紛れたウェルガーと入れ替わるようにして、次なる分身がサリエルに襲いかかる。
分身は全方向計6体。サリエルは動かない。分身がサリエルの攻撃圏内に入った途端大鎌が閃く。
物理法則を無視した速度と精度により、その全てが両断され――
「こんな薄霧程度で私の眼は誤魔化せまんよ。カルラ・カーター」
囮に紛れ霧の影に潜み来るカルラの姿を、サリエルは見逃さない。
「――ったく。ちーっとぐれぇ見逃してくれたっていいじゃねぇか。ま、俺はお前を絶対に見逃したりはしねぇんだけどさ」
カルラの姿を捉えた後のサリエルの対応は迅速かつ適切だった。
サリエルは考える。
カルラの能力は未知数。まだ奥の手を隠している可能性もある。できる限りカルラとの接触は避けたいところ。
零速再生を使うカルラに斬傷は無意味……ならば打撃を以てして距離を空けるのが最適解だと判断し、鎌の刃ではなく峰で胴体を狙う。
嫌な角度から嫌な軌道を描き振るわれる大鎌は、されど決して回避不可の一撃ではない。それどころか、ちゃんとカルラが回避できるようあえて隙間が作られている。
カルラの攻撃が反れるよう回避方向を上手く誘導させられているのだ。
しかし、かと言って攻撃を受けるわけにもいかない。鎌の威力がカルラの身体が四散しない具合に加減され、直撃しても内臓が潰れる程度。そのまま後方へ吹き飛ばされてしまうだろう。
カルラは苦笑した。
「……ッにゃろう」
カルラは身体を捻り大鎌を避けきった。
予想通り鎌を躱したせいでカルラの態勢が傾き、攻撃の軌道が僅かにズレ、紙一重のところで当たらない。
視線と視線とが交差し、再び距離が開く。
笑顔を崩さずサリエルは言った。
「ふふっ。まるで恋人を殺されたかのような熱い殺気ですね」
ぷちん、と音がした。
「ははっ! 殺してやるよてめぇ!!」
静かな怒声と同時に地面を蹴り、感情のままにカルラは走る。
サリエルは鎌を下段に構えた――――瞬間。サリエルの背後から無数の影が出現する。
カルラが挑発に乗ったのは、無謀な突撃でサリエルの気を引くため。
本命は、背後から迫るウィーとその分身の群れ。
瞬時にサリエルは思考する。
前後両方をいっぺんに相手するのはサリエルとて難しい。相対すれば、必ずどちらか一方との接触は避けられない。
ならば一旦距離を取って――
「怖いってんなら逃げてもいいんだぜ――?」
明らかな挑発だった。
カルラは笑みの裏に焦燥をひた隠しにしている。
無理に引き出したイグニスの力の維持が、そろそろ限界に近いのだ。
希望とも呼べる安価な挑発。しかしそれをサリエルが受ける必要や道理はない。
――だが。その一言でサリエルの足は止まった。
「ご冗談を。ようやく面白くなってきたところではありませんか」
サリエルはあえて挑発に乗る。
ここで逃げてもいいが、それでは面白さに欠ける。
生物として格上の存在である天使相手に、彼らは逃げずに立ち向かった。
ならばその天使である自分が彼らに背を向けていいのか? ――否。ここで立ち向かわずしてどうする。
戦略的撤退という言葉がサリエルの脳裏を過るが、無視して丸めてぶん投げた。
悪い癖だとサリエルは自負している。しかし死力を振り絞り自らを殺しに来る彼らに応えてやりたい。サリエルは心の底からそう思った。
仮にもし例え負けることになったとしても、それでもと――――。
再びサリエルは思考する。
カルラ・カーターとウィー・リルヘルス、どちらがサリエルにとってより脅威足る存在なのかを――。
考えるまでもない。サリエルは逃走しようとした一歩を軸足に、接近するカルラとの距離を逆に詰めた。
「ふッ!!」
右肩を内に入れ左から大鎌を振るうと見せかけ、そのまま突進し右肘をカルラの鳩尾に食い込ませる。
「ぐッ……!!」
浅い――とサリエルは瞬時に直感する。直撃はしたが両腕で挟まれた。
その際カルラの掌がサリエルの右腕を握った。しかしかまわず、サリエルは手の甲でカルラの顔面を殴り飛ばす。
触れられた腕に違和感はなく、変化もない。
鎌の持ち手を右に変え、遠心力を使い身体を反転させ、後方まで迫ったウィー3人をサリエルの鎌が両断した。
途端に3人のウィーは身体を黒く変色させ、影となり消滅。どうやら3体とも分身だったようだ。
しかし、必ずこの中に本体がいるとサリエルは確信している。
残り4体、3体と刈るが、そのどれもが偽物。
残るは左右の懐に潜り込んだ2体だけとなった。
「もらったっすよっ!!」
その片方。右側を攻めるウィーがそう叫ぶ。
「なるほど。本物はそちらですか!」
言いながら、サリエルは右方のウィーに向け鎌を振るった。
ウィーは地面を擦るように屈んでその一撃を避ける――のと同時にサリエルは鎌を手放し、翼を死角に左方から迫ったウィーの腹を左腕で穿った。
「……かッ、は―――」
ウィーの顔が激痛に歪んだかと思うと、ごぼりと音をたて大きく吐血する。
サリエルの手には確かな手応えがあった。
柔らかい皮膚を裂き、生温かな内臓を突き破り背骨を打ち砕く感触が――。
徐々に周囲の霧が薄れていく。右方に迫ったウィーの分身も消滅している。
死にかけの彼女には、もはや霧幻結界どころか幻影分身すら維持できないのだろう。
その苦悶の表情を間近で見つめながら、サリエルは寂しそうに眉根を緩めた。
「痛いですか? 苦しいですか? 悲しいですか? 悔しいですか? 怖いですか?
ですがご安心下さい。死を恐れる必要はありません。貴方のその身体その魂は、死後も永遠に私と共に有り続けるのですから」
「ハハハ……そりゃ勘弁してほしいっスねぇ。普通に死んだ方がよっぽどいい……」
「他の方々もすぐに、貴方と同じ……」
…………。
ふいにサリエルは底知れぬ違和感を感じた。
今のウィーの発言に、サリエルは何か引っかかるものを感じたのだ。
ソレの原因が何かは解らない。だが明確にして確実に何かが違う――。
そして違和感の正体をサリエルが頭で理解するよりも早く、ウィーが貫かれた腹から腕が抜けないよう両手でサリエルの腕を封じる方が先だった。
ニタリ。吐血で真紅に染まるウィーの口元に、悪虐な笑みが浮かんだ。
「なんてな。死ぬのはお前だけさ。サリエル」
変化はサリエルの眼前、唐突に生じ始める。
黒色の髪が濁金色の髪に変わり、骨格や体格、何もかもがぼやけ、サリエルの瞳に真実を映し出した。
「カルラ・カーター……」
そう。サリエルがウィーだと思っていた少女は、ウィーの忍術により、ウィーの姿形から声までもを完璧に変装したカルラだったのだ。
何もない場所ならいざ知らず、しかし現在周囲は濃霧に覆われている。
加えてこの霧、視覚どころか魔力までもを四散させる。
初手の奇襲でサリエルの注意を引き付け、背後からの闇討ち。その全てが演技。真の本命はウィーの姿に変装したカルラがサリエルの動きを完全に封じること。
よくよく見ればカルラは既に限界ギリギリだ。零速再生どころか再生能力もおぼつかない。
だがそれでもカルラはサリエルの腕を離そうとはしなかった。
「ザイン! レンレン! 俺ごと斬れッ!!」
カルラが叫ぶよりも早く"黒"と"赤"は剣を抜いていた。
「五番目の終焉――」
「天地断絶 無我の太刀――」
サリエルの左腕は完全に固定されており、振りほどこうにも時間がかかる。
故にサリエルは即座に空いている右腕で対処しようとした。
そしてサリエルは気づく。
自らの右側がピクリとも動かないことに――。
視界の端。薄れゆく霧の向こう。ウィルガーに支えられた黒髪の少女が、してやったとばかりに笑みを浮かべていた。
焦燥はなかった。ただ驚きと称賛だけがサリエルの胸の内を満たしていた。
「そうですか……どうやら私の役目はここまでのようですね」
小さく呟き、サリエルは眼前に迫る真紅と漆黒の剣閃を見つめながら「お見事――」そう残しそして……眼を閉じた。
「神々を屠殺せし終撃ッ!!」
「斬空――ッ!!」
2本の剣はカルラの身体を斬り裂き、サリエルの肉の内へと潜り込む。
紅の刃が肉を焦がし内臓を焼き、闇の刃がサリエルの肉体を侵食し再生力を低下させる。
2者による最強にして渾身の一撃をその身に受け、魔力が尽き力を維持できなくなったカルラの身体が燃え尽き闇に飲まれ塵へと変わる。
サリエルの深い傷口から血潮が舞い、口元から紅い血が伝う。
そして2振りの剣に続き、
「レオ様の仇。これで終わりです、第七天使サリエル!!」
エスティアの創み出した等身大以上もあろう剣がサリエルの身体を突き穿った。
「う、ぐっ……」
1歩。また1歩とサリエルは後ずさる。
が、しかしまだ、それでもまだサリエルは倒せない。いや、倒れない。
サリエルの口元に微笑が浮かんだかと思うと――。
ザイン達はまるで世界が闇に包まれたかのような錯覚を覚えた。
「はっはッ! まだこんな余力を残してやがったのかよオイ!!」
「まったくタフな野郎だ……」
サリエルから放たれる魔力に大気がビリビリと震える。
サリエルが身体を貫通する大剣を左手で握りしめると、剣は容易くひび割れ、無音のままに光の粒子となり消え去った。
その場にいる誰もが緊張を漂わせ、額から血と汗とを滴らせる中。
ふふ、ふふふっ……と。
ただ一人。サリエルだけが楽しそうに笑っていた。
ひとしきり笑った後、サリエルは静かに言った。
「私の負けです。勇敢なる人の英雄達よ。
よくぞ私を打倒しました。しかし果たして、貴方方人間は残りの天使を討ち滅ぼすことができるのでしょうか……。
できることなら最後まで貴方方のその勇姿を、そして鬼気迫るその表情を観ていたかったのですが……残念です。
ここから先は遥か天上より鑑賞すると致しましょう」
ちょうどその時。遠山の向こう側から朝日が登る。
その光をサリエルは眩しそうに見つめ、
「――あ。そうそう、最後に一つだけ。勘違いしておられる方が大半……いえ全員だと思うのであえて口に出させて頂きますが、私は貴方方人間を応援しているのです――……」
最後にそう言い残し、サリエルの身体が黒塵となりサラサラと散っていった。
陽の光に照らされたその幻想的かつ美麗な塵様は、見ている者の眼を釘付けにし、長らく続いた戦いに終を告げるに相応しいものだった。
「「……――……」」
勇者6人とSランク冒険者3人。人類最強の精鋭達をこれでもかとかき集め、それでようやく辛うじて天使一人を討つことに成功したわけだが、その天使をあと6体も倒さなければならないのだ。
果たして人類は勝つことができるのだろうか?
いや、人類は生き残ることができるのだろうか――?
天使を倒したこと自体は歴史的快挙にして人類の大きな1歩である。
両手を広げ声高らかに叫んでもいい。
しかしとてもじゃないが、彼らはそんな風に勝利の余韻に浸る気にはなれなかった。




