第95話 死天使の曲愛
決してサリエルは油断していたわけではなかった。
むしろその逆で、サリエルはエスティアやザインらの攻撃を受けながらも、予想外のアクシデントにも対応できるよう笑顔の影に警戒を潜ませていた。
誰がどこにいてどんな動きをしているのか――。
視線を流し色を見分け、耳を澄ませ音を拾う。
鼻で匂いを嗅ぎ、そして肌で魔力を感じて――。
ただ、そんな天使とて意識できる範囲には限度があり、全ての動きを細かく把握するには限界がある。
故にサリエルの脳内では、危険度の高い要注意人物順に意識が振り分けられていた。
この中でサリエルが最も注意を置く人物。それは《封縛の勇者》ウィー・リルヘルスである。
彼女の所持する神器の能力は自由を縛る。
能力の発動条件は、彼女の魔力に触れられた時。直接的でも間接的でも、ウィーの魔力が触れれば能力は発動される。
だが、サリエルにとってその力は脅威ではない。
なにせ自由を縛るといっても、奪われるわけではないのだから。
縛れる物体にこそ例外はないが、縛っておける時間に関しては限りがある。
所詮は魔力の綱引きなのだ。抵抗すれば抵抗した分、時間が経過すればするほど、ウィーにかかる負担は大きくなっていく。
つまり、ウィーが耐えられないくらいの負担をかけてやれば、能力を強引に解除することが可能なのだ。
では何故、サリエルがウィーを警戒するのか――?
それはウィーの能力よりも、能力を行使するための行動……対象に触れるという行為にこそサリエルは警戒をしているのだ。
《生の停滞》――心臓を停止させ自らの魂を死者の魂に変え、仮死状態を維持し身体の時間軸を固定。そしてそこに超速再生を加えることにり、擬似的に不死の状態を作り出す。
もしウィーが能力で心臓を縛ろうとした際、サリエルの心臓が動いていなければ不思議に思うはずだ。
しかしそれを知ったところで彼らにどうこうできるとは思えないが、万が一の可能性も考慮しなければならない。
できることならこの力は最後まで隠し通したかった。
次にサリエルが警戒したのは、《不死の勇者》カルラ・カーターである。
正直この男は底が知れない。
相応の実力を隠しているのは明白だが、その一端すらも見せようとしないのはこちらの警戒を少しでも薄めるためだろう。
全く食えない男だ。
それに、彼はいったいどこまで生命神イグニスの力を引き出しているのだろうか。
イグニスはあまり戦を好む神ではなかったため、他の神にもイグニスの能力はあまり知られていない。
ただ一つ分かっていることは、生命神イグニスの代名詞とまで言われた零速再生を、カルラが使っているということ――。
次いで《紅練の勇者》ザイン・ドラグレクの頭一つ抜けた戦闘センス。
武だけをとるならば、この男の右にでる人間はいないだろう。
身体の使い方に魔力の扱い方。どれをとっても一流だ。ここまで強い人間は400年前には存在しなかった。
故にここで殺してしまうことが非常に残念でならない。
第四天使《練磨》のカマエルが見れば、あの鍛えあげられし肉体が喜びに震える様を見られただろうに……、とサリエルは肩を落とす。
《永久の勇者》ヴィレンは、サリエルが個人的に最も期待を寄せている人物である。
彼の戦場での成長速度は目を見張るものがある。彼自身気づいてはいないだろうが、この戦いが始まる前と今とでは別人のように動きが違う。
恐ろしいまでの吸収力。あまり侮りすぎれば足元を掬われかねない。
そして何より、彼の所有する神器は最強の三神が一柱《破壊神》リヴィアが封じられているのだから――。
《幻想の勇者》エスティア・テイルホワイト。
彼女もまた、ヴィレンと同じく最強の三神が一柱、《創世神》ブラフマーが封じられし神器を所持する者だ。
彼女の戦い方や思考などは《聖王》レオボルトの記憶で学んでいるが、彼女の戦術は無限大。
想像が続く限り、剣の雨を降らせ槍の風を吹かせる。
勿論彼女の力はそれだけに留まらない。
エスティアの想像力と魔力が続く限り、魔法の再現やら極小の剣を巨大化するなどといった使い方もでき、どんな相手だろうが対応できる万能力が彼女の持ち味だろう。
《破壊》と《創世》に並ぶ三大神最後の一柱、《領域の勇者》エメ・ラドクリス。
彼女の役割は完全なる後方支援。
味方が危機に瀕すれば、即座に能力を行使し、その場から離脱させる。
あと一歩のところで、何度邪魔されたことかわからない。
できることなら最初に始末したい人物なのだが、この世界を保つために彼女は極力前線には姿を現さない。
彼女が死ねば、この世界もまた維持できなくなるからだ。
魔力探知でおおよその場所は特定できるが、すぐにその場から移動し姿をくらます。
一対一であったのならば、彼女が瞬間移動しようと鬼ごっこに勝てる自身はあるが、この状況では決してそうはいかない。
ウィー・リルヘルスに背をみせることはできず、第一彼の騎士王が見逃してはくれないだろう。困ったものだ。
故にエメに至っては警戒こそしているが、あまり気にせず彼女は後回しにする他ない。
そしてガドロフ・アーノルド、ウェルガー・クロウ、ノウ・イエスマンの三人だ。
ガドロフの拳は岩をも粉砕するが、所詮はその程度。ザインに教わった魔力法により威力と速さは増したが、他の者と比べればただ力が強いだけ。
岩を砕く芸当ならサリエルにも可能だし、多少速くなったとはいえ、容易に回避できる。
ウェルガーの動きはこの中で唯一ザインにも勝るとも劣らない。
しかし、彼もまたガドロフと同じくただ速いだけで、爪の一薙は威力が弱い。
なにせ彼の戦闘スタイルは、力任せに腕や胴体を引き裂くというものではなく、スピードで圧倒しながら動脈や腱などの弱点を掻っ切るというものだ。
元々がこれでは、多少攻撃力が魔力で補われたところでサリエルの身体を引き裂くことはできない。
ノウに至っては、その全てが平凡だった。
ガドロフほどの攻撃力がなければ、ウェルガーほどの俊敏性も持ち合わせてはおらず、レオボルトの記憶にさえノウ・イエスマンについての情報はあまり知られていなかった。
ただ、一つ。ノウに対し警戒すべき点があるとするのなら、それは彼が"イエスマン"の家系であるということだろう。
代々イエスマンの家系は《代償魔法》をその身に刻んでいる。
代償魔法虚偽を喰らう者。
ノウ・イエスマンについては、そのことだけを頭に入れておけばいい。
――しかし。このときサリエルは大きな勘違いをしていた。
ノウ・イエスマン。彼に対し警戒すべき点は《代償魔法》などではなかった。
真に恐るべきは、その気配遮断の制度にある。
不自然なくサリエルの気配探知を掻い潜り、極力目立たぬようサリエルの意識下から外れる完璧な立ち回り。
確かにそこにいるはずなのに、それが誰だかわからない。
人間族が生み出した武術に、存在事態を薄め相手との間合いを詰める歩法があるとレオボルトの記憶にあったが、アレはその極地だろうか。サリエルの脳内意識さえも当惑させる、その技術……。
サリエルはノウ・イエスマンの実力を見誤っていた。
まさかここまでの実力者だったとは――。
サリエルの脳内で、ノウ・イエスマンへの警戒レベルが強まった。
と言うことは、そのぶん他への意識が低下するということでもある。
そこを見事にカルラ・カーターに突かれた。
魔力を最大限薄め、音を殺し風景に溶け込むかの如き歩法。よく磨きぬかれた、まさしく達人の歩法であった。
やはり、カルラ・カーター。この男もまた実力を隠していた。
――やられましたね……。
口よりも先に身体が動いた。
サリエルの手に持つ鎌が、瞬きよりも速くカルラの身体を両断する。が、しかし。カルラの肉体は斬られた瞬間から再生を始め、サリエルの一撃は意味を成さない。
カルラの指先がサリエルの胸元に優しく触れた。
『――生命の宿火――』
その指先から、淡い紅色の光が溢れ出る。
生命の温かみを感じさせる、儚げな灯火。
光は周囲を照らすと共に、サリエルの胸の内へと溶けていくように消えていく。
「…………これは、参りましたね」
瞬時に距離をとったサリエルは、自らの左胸に触れながらそう呟いた。
どくん どくん、と――。
手に伝わる胸の鼓動。
心臓が数千年ぶりに息を吹き替えしたのだ。
身体中を駆け巡る血液の流れが熱くて堪らない。
頭痛に意識が朦朧としかけ、目眩で足元がふらつく。
今まで止まっていた時間が、ゆっくりと動き出す――。
「まさか死魂蘇生どころか、最後の保険までもが……」
ここに来てようやく、サリエルの余裕が消えた。
「俺ら相性最高だな!」
嬉しげに微笑むカルラに対し、サリエルも口の端を上げて軽口を返す。
「ええ、同感です。最悪の相性ですね」
だが、不思議と悪い気はしなかった。
むしろ喜ばしいと思っている自分に気づき、サリエルは再び苦笑する。
「ここまで追い詰められたのは久々です。それこそ数千年ぶりでしょうか――……」
サリエルは人間が好きだ。
人間はすぐに感情を面に出す。喜怒哀楽様々と、その豊かな人間の表情が綺麗だと見惚れた。
人間は弱くて脆い。しかしその短い寿命の中で、限られた時間の中で、必死に足掻き藻掻き続ける人間の在り方が尊いと感じた。
人間は一人では生きられない。繋がりを作り、繋がりを求め、繋がりを与える。そんな人間の生き方が美しいと思った。
だからこそサリエルは、自らが追い詰められているこの状況下でさえ、自らを追い詰める人間達の強さや想いに喜びを禁じえない。
「不死を保つには常時多大な量の魔力を消費します。ですから、本当に久しぶりなのですよ、
――私が本気を出すのは」
サリエルの放つ魔力に耐えきれず、大気が歪む。まるで世界が悲鳴を上げているかのように……。
しかし、世界が逃げ出すような脅威を前に、勇敢な人間達は臆することなくサリエルの前に立ち塞がる。
それぞれがそれぞれの想いを胸に、武器を握る。
恐怖。焦燥。驚愕。期待。不安――。
様々な表情が垣間見える中、彼らの中に絶望の表情を浮かべる者は誰一人とていなかった。
本能に従い、恐怖に逃走するも良し。
本能に抗い、恐怖に立ち向かうも良し。
しかし決死を決めた彼らの表情は、淡く儚くもまた尊い。
その全てが美しいと、サリエルは感じた。
「第七天使サリエル。私は貴方方に死を運ぶ者。さぁ、貴方方人間の力を私に見せつけて下さい――!!」
そんな口上と笑みを残し、サリエルは強く地を蹴った。
例えその愛が人間達にとって理解のできない、ねじ曲がり歪みきったモノだったとしても、サリエルの想いに嘘偽りはない。
彼は心の底から人間が好きなのだから。




