第90話 生命の灯火
「…………」
ゆっくりとだが、確実に限界は近づいていた。
フィーナの体力の限界。そしてアリシア達の魔力の限界が――。
果ての見えぬ暗闇の中、初めからゴールのないマラソンを走っているようなモノだった。
10秒が遠く、1分が果てしない。
背筋を冷たい《死》の影に撫でられながら、アリシアは欠損した臓器の代わりに体内に血を巡らせ続ける。
カルラが瞑想に入ってから、9分24秒後のことだった。
「――汝、器の主足る我が欲し求め願い給う」
突然カルラが言ノ葉を発し始めたのだ。
「下界に火を灯し、汝の息吹を以て我等に命を与えし我が主神よ。
今こそ器を器足りえんとする時成り。
汝の器足るこの我に、汝が"生命の理"を――」
魔法の詠唱とは異なる、知らない呪文。
妙な胸騒ぎを覚えた。不安と緊張が、アリシアの胸の内を掻き乱す。
初めて耳にした詠唱なのに、既視感を拭えない。
額から零れ落ちる冷汗。
身体中の血液が、ざわついている。
ああ、そうか。この既視感。私の中にいる、彼女が知っているんだ――。
「代償をここに。真名をここに。《生命》を司りし汝の名は――イグニス・プロム・コルナレス」
詠唱が終了すると同時に、カルラの身体が色鮮やかな黄緑色に包まれ、見る間に着ている服が変化していく。
次いで、カルラが左手をフィーナの腹部に添える。
――《生命の篝火》――
神々しく、それでいて全てを包み込むような緑金色の炎。
ひと目でわかる。カルラの左手から溢れる炎、それが人の扱っていい力の範疇を超えていることに。
――今度は、ギリギリなんとか間に合ったな、………ェイラ
口の中だけでぼそりと呟かれた台詞は、カルラ以外には聞き取れない。
顔を上げ、カルラはアリシア達に向かって礼を口にする。
「シアちゃん、リリーちゃん、それにウィー。皆がいてくれたから、フィーナちゃんを助けることができた。本当にありがとう」
炎が収まると、横たわるフィーナの表情が和らぎ、呼吸も落ち着きを取り戻しはじめた。
「そんな……内蔵が、完全に修復しています……」
フィーナの腹部に手を当てたリリーが、信じられないとばかりに目を見開き首を降る。
あり得ないのだ。あり得てはならないのだ。
治癒魔法では外傷を塞ぐのがやっとで、ぐちゃぐちゃになった内蔵を癒やすことは絶対に不可能なのだ。
その傷を一瞬で癒やし、傷跡すらも綺麗に治して見せたカルラの力は、この世の理から外れている。
免れぬ《運命》を捻じ曲げるなど、それこそ神の御技としか言いようがない。
「とりあえず傷は完治させたんだけど、フィーナちゃんを一人にするのは心配だからさ、シアちゃんは側についててくんねーかな?」
傷の手当てで魔力がガス欠寸前だったアリシアは、どのみちヴィレンの増援には行けない。
「……わかった。ヴィレンくんを、お願い」
「おん、任しとけ!」
「あ。あとコレも預かっといて」カルラは腰に挿していた《魔剣》をアリシアに手渡した。
それからもう一度フィーナの顔を見つめた後で、カルラは立ち上がる。
「そんじゃエメちゃん、レンレンのとこまでよろしく頼むわ!」
コクリ。エメは頷いた。
扉を潜る間際、カルラは背後、難しい顔で黙り込んでいる黒髪の少女の名前を呼ぶ。
「ウィー。代償のこと、みんなには内緒にしといてくれ。とくにレンレンには、な」
「…………」
ウィーは何も返さず、黙ってカルラの後に続いて扉の中へ飛び込んだ。
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「――ところで」ぐるりと周囲を見渡し、ウィーが眉間に皺を寄せる。
「なんすか、この物騒な連中は?」
「殺しても殺せない屍の群れ」
「へぇー」カルラが相槌を打つ。「なにそれダルくね? ってかセレスちゃんに骨モットまでいんじゃん!」
「だから屍だって」
「正確には、サリエルが過去に殺めた者達です」
俺の答えに、エスティアが一言付け加える。
「"殺しても殺せない"っていうのは、どういう意味っすか?」
「恐らくはサリエルの魔力が底をつくまで永遠に復活し続ける、と――!」
一見百聞にしかず。エスティアが近くにいた手頃な屍の首を落とす。数秒後、新しく首が生え変わる。
「あー、なるほど。これは面倒くさいやつっすね……」
なんて会話を交わしている最中、
「う〜ん、ゾンビ……ゾンビかぁ」
首を捻り、カルラが一人唸っていた。
ひとしきり唸った後で、
「まぁ、いっちょやってみるか」
ものは試しと言わんばかりに、カルラは右手を前に伸ばす。
「未だ浮世を徘徊する命無き屍達よ。汝に永久なる安らぎを与えよう。《生命の送火》」
伸ばした掌から、鮮やかな橙赤色の炎が産まれる。
「何する気だ?」
「まぁ、見てろって」
言いながら、カルラは迫りくる一体の屍を、その手で触れた。すると接触箇所に炎が移り、見る間に屍が炎に包まれていく。
「ア、………ア、ア……」
よろめき、つまづき、地に倒れる。
立ち上がり、振り向いた屍は、――黒い涙を流していた。
小さく、口が開き、
――アリ……ガ、……ウ
俺は、俺達は息を呑んだ。
エスティアがギリッと歯を食いしばり、ウィーは視線を逸らす。
炎に抱かれる屍は、フラつく足取りで歩き出した。俺達とは反対側。屍の群れへと向かって歩き出した。
燃える身体を引きずりながら、今にも死に絶えそうな、消え去りそうな彼を、俺達は黙って見守った。
一歩。また一歩と。
歩みを止めることなく、必死に歩き続け、そして彼は一体の屍に手を伸ばす。
彼の指先が屍に届いた途端、橙赤の炎が繋がったことを合図に、彼の身体が灰のように崩れ、二度と復活することはなかった。




