第82話 精一杯の強がり
だんだんと冷たくなっていく妹の小さな手を握りしめながら、自分がどれだけ無力な存在なのかを知った。
自分で思っていたよりもずっとずっと、俺は弱かった。
強くなったつもりでいただけで、俺はこんなにも脆かったんだ。
フィーナがレオボルトに腹部を貫かれてから、俺の身体は恐怖に支配されていた。
フィーナを失うことが怖くて恐くて、どうしようもないんだ。
レオボルトの身体が弾けて天使が現れたときも。その天使の攻撃が俺に向けられたときでさえ、
俺はなんとも思わなかった。なんとも思えなかった。
俺の頭にあるのは、ただただフィーナのことばかり――。
父さんと母さんが死んで、俺は強くなろうと決めた。強くなりたいと思った。
たった一人の家族を守るために。大切な妹を守れる強さを求めた。
師匠の元で力の使い方を教わり、フウガとライガと共にお互いを高め合い、破壊神の力もなんとか扱えるようになって……俺は強くなった気でいたんだ。
俺ならなんだってできる。大丈夫、俺がなんとかしてみせる。何かあれば俺がみんなを守ってやる、ってさ……。
その結果がこれだよ――。
自分の力を過信した挙句、最後の最後には他人の力を頼る始末。
なんともまぁ滑稽な奴だ、俺って奴はさ……。
パシンッ――、頬が鳴った。
「………あ」
視界が大きく揺れ、目の焦点が定まり視覚が世界に色を取り戻す。
続いて聴覚に音が伝わり、嗅覚が匂いを感じ取る。
頬に走った熱により、良くも悪くも機能を失いかけていた五感が再び息を吹き替えしたのだ。
ジンジンと赤くなる頬を触りながら、俺は彼女を見た。
黒紫色の瞳と目が合う。
俺は、彼女の名を呼ぶ。ずっと俺の隣にいてくれて、ずっと俺の側にいると誓ってくれた、漆黒を纏う女神の名を――。
「リヴィ、ア……」
彼女はクスリと微笑を綻ばせて、
「いつまでそうしているつもりだ?」
艶かしくもあり、それでいて慈愛と思いやりの入り混じった声で、
「フィーナの手を握っていても、なに1つ現状は変わらない」
俺に逃れようのない現実をつきつけてくる。
「――――っ」
そんなことはわかっている。
魔法や回復系統の術すら持たないこの俺が、この場で一番役立たずなんてことは、俺が一番よくわかっているんだ。
手を握っていても何も変わらないけれど、もし俺がこの手を離してしまえば、フィーナがどこか遠くへ行ってしまいそうな気がして……恐くて怖くて仕方ない。
『――わかっているさ』
そう、言われた気がした。
「いいか、レン。先に言っておくが、私はおまえの味方だ。おまえだけの味方だ。
それはこれまでも。これからも。ずっと変わらない。
誰がなんと言おうと、私はおまえの味方であり続けよう」
リヴィアの白く細い指先が、愛おしむかのように未だ赤い俺の頬を撫でる。
「フィーナの手を握っていたいならそうすればいいし、カルラやアリシアを信じ、ザインの助けに行くのもいいだろう。決めるのはおまえだ、レン」
「俺が、決める……」
「そうだ。おまえが決めるんだ。メリットとデメリットを考え、最悪を想定し最善を予測しろ。
それから、おまえのしたいようにすればいいんだ」
メリットとデメリット、最悪と最善。それを全部理解してから俺の好きなようにしろとお前は言うけれど、
じゃあ、もし俺が出した答えが"デメリット"しかなく"最悪の"モノだったとしたら――?
「例えおまえが出した答えが間違っているモノだったとしても、私はおまえの選択を肯定する。私にとって、おまえが出した選択が全てだからだ。
仮にそれを『世界』が否定しにくるのならば、私はその世界を否定しよう。力でねじ伏せ、屈服させてやるさ」
そう言って、リヴィアは笑う。
たかが俺一人のために世界を否定する、か。これはまた、大きく出たものだ。
どこまでが本気なのかはわからない。けれど……
破壊神には、ソレができちまうんだろうなぁ。
「……ハハ、そりゃ、頼もしい神様だな」
「当たり前だ。私を誰だと思っている。世界に終焉を齎すこの破壊神が、世界ごときの作った理などに縛れるはずがないだろう?」
「それも、そうだな」
リヴィアにつられ、俺も笑みを浮かべた。
見つめ合ったリヴィアの瞳が、ちらりと揺れて――。
「だからな、レン。後悔だけは、しないでくれ。私は……おまえには、後悔しない選択をして欲しい」
後悔しない選択――。
『――最悪を想定し最善を予測しろ』
最善の結末は、フィーナが助かりサリエルも無事倒せることができた場合だ。
なら最悪の結末は、フィーナが助からなかった場合か?
――違う。
最悪の結末は、俺がここでフィーナの側にいた結果、師匠達がサリエルに敗北したときだ。
その場合、フィーナが助かったとしてもサリエルに国ごと滅ばされ全てが終わる。
なら、今俺がすべきことは何なのか――。
ここでフィーナの手を握っていることか、それとも師匠の援護に行くのか。
俺は何をすべきなのか。何がしたいのか。何ができるのか――。
「行ってください、兄さん……」
今にも消え入りそうな声が、俺の鼓膜に届いた――。
すぐさま顔を上げ、声の方を見て、泣きだしそうになってしまう。
「私は、大丈夫ですから。叔父様のところへ……」
「フィーナ……」
血の気のない蒼白な顔で、ひどく弱々しい笑みを浮かべる妹の姿がそこにはあった。
「フィーナちゃんのことは私達に任せて大丈夫だよ、ヴィレンくん」
「そうっすよ。うちらがいるんすから、心配はいらないっす!」
「アリシア、ウィー」
見渡すと、目の前には信頼に足る仲間の顔があって……。
しかし彼女らの手元。フィーナの白い腹部を染める真っ赤な血痕と、生々しい傷を目の当たりにし、決まりかかった意志がまたブレる。
側にいてやりたい。この手を離したくない。俺は、俺は――……
『――強がれ』
突然頭の中に、声が響いた。
『ツラくて痛くて泣きそうになったときこそ――』
"――強がれ"、と。
これは師匠の口癖だ。師匠の元で訓練をつけてもらっている最中、幾度となく師匠はこの言葉を口にした。
『男に生まれたからにはな、精一杯強がって生きろ』
……そうだ。何をしているんだ俺は。こんなときこそ、強がらなくてどうする――?
アリシアやウィーに信じろと言われ、こんな状態のフィーナにまで心配をかけ、リヴィアにあそこまで言わせておいて……。
もう俺のやるべき選択は、決まっているだろう。
『強がってみせる方法は一番初めに教えたはずだぜ、でれすけ――』
俺はフィーナの頬に右手をあてた。驚くほど冷たいその頬に――。
そうして歯を食いしばり、
「お前には、後で言いたいことが山ほどある。だから、絶対死ぬんじゃねぇぞ。俺を残して行ったら、絶対許さねぇからな……?」
精一杯、笑ってみせた。
「はい……!」
綺麗な銀髪をそっと優しく撫でてやり、力なく笑うフィーナの姿を今一度目に焼き付ける。
視線を外し、俺は最後に金髪の男を見た。
「フィーナのこと頼んだぞ?」
「ああ。必ず助けてみせる!」
普段はふざけてばかりいるが、コイツはいざとなったとき頼れる男だ。
「信じるぜ。親友」
「任せろ。親友」
この男なら。フィーナの傷もなんとかしてくれるんじゃないか、不思議とそう思えてしまうのだ――。




