第74話 注意の欠落
氷の花が砕け、雷槍はフィーナの華奢な身体を穿った。走りながら俺は思う。どうしてこうなったのだろうか――、と。
黒と白との大戦が再び勃発し、死ななくて済むはずだった多くの命が散ることが、最悪の事態だと俺は思っていた。
しかし、それは大きな間違いだったことに今になって気づく。それがただの偽善だったことにようやく気づく。
俺にとって最悪の事態は、自らの命よりも大切な妹を失うことだった。
カルラの腕に抱かれ、こちらを見上げる妹の姿。
「フィー、ナ……」
小さな声。力のない瞳。弱々しい笑み。膝まずき、俺は伸ばされたフィーナの左手をとった。
暖かく柔らかい、白くて細くて小さな妹の手。
大丈夫なんじゃないだろうか、と錯覚しかけたとき「うッ」とフィーナの顔が悲痛に歪み、空いている右手を自分の腹部に押し当てる。
真っ赤に染まっていくフィーナの腹部が、容赦なく俺に現実を突きつけてくる。
「ウィー、止血だっ! 早くッ!!」
ここではないどこか遠くのほうで、カルラが叫んでいる気がした。耳に膜が張ったようで、水の中で叫んでいる、そんな感じ。
何かしなくてはいけないと思うが、眼前の恐怖に身体が震える。何をしていいかわからない。頭が真っ白だ。
俺はただ、妹の小さな手を握り、妹の名を呼ぶことしかできなかった。
「――血は止めたっすけど、出血がひどすぎる。このままじゃかなりマズいっすね……。アリシアさんの能力でどうにかなんないすか?」
「試したことはないけど、血液の流れを操作して身体の負担を減らせるかやってみます……!!」
「――っ、くそ。ダメだ俺一人じゃ回復が追いつかねぇ……っ!! 誰か、誰かこの中に治癒魔法が使える奴はいねぇか!? 誰でもいい、頼む来てくれッ!!」
「「……」」
敵味方関係なく、切実に助けを乞うカルラ。
攻撃の手を止め、その光景に黙って立ち尽くす冒険者達からはもう戦意の色は消えていた。
一秒ごとに、フィーナの状況は悪くなっていく一方。
「……」
「――何をしようとしている、リリー・ヴァイオレット」
ぎゅっと拳を握り、覚悟を決めカルラに近づこうと歩き出したリリー。その一連の行動を観察ていたレオボルトが彼女に鋭く言い放つ。
「まさか、一時の感情に流され、その少女を助けようとしているわけではないな?」
「私達が聖王様から命じられた任務は、彼らの拘束のはずです」
「方針の変更だリリー。殺さぬよう加減をして勝てる相手ではなかったのだ。
もし4大国との大戦が起これば、我々白の王国に勝ち目はない。国は蹂躙され、民は駆逐される。今しかないのだ。黒の王国の勇者と、赤と緑の王さえいなければ我々にも勝機がある」
「しかし、このままでは彼女が――」
「よく見たまえ。その少女は魔人種だ。大戦が起これば遅かれ早かれ散る命。もはや生かして捕えるなどと悠長なことは言っておれん。生死を問わず、無力化する必要がある。王国のために、国民のために、我々は今ここで立ち上がらなければならない」
「……」
リリーは思う。ガドロフとノウ、そしてウェルガーも。
つまり。自分たちの国を守るために、他の国を蹴落とすと。民を守るために、他国の民を駆逐すると。
これでは一緒ではないか。殺るか殺られるか。どちらかが滅びる以外の選択肢はないのかと。和解の道はないのかと。
レオボルトの喉元に迫る紅き太刀。
「レオ……俺はお前を許すことはできねぇ――ッ!」
言葉の通りザインの太刀からは加減が消え失せ、代わりに太刀には滲み出るような殺気が乗っていた。
今にも命の灯火が消えかかっている者。
何もできず、恐怖に打ちひしがれし者。
諦めず、最善を尽くすべく行動する者。
迷いを捨てきれず、判断に戸惑う者。
怒りのままに、太刀を振りかざす者。
そして。己の信念のために、槌を振るう者――。
彼ら彼女らは気づかない。いや、気づけない。
眼前の悲惨たる惨状に尽くし。納得のいかぬ王の命令に苦悩し。相対する強者以外によそ見などできない。
この場に集いし者は皆、各々が自分のことだけで精一杯だった。他の何かに……ましてや宙を漂う大きさ数ミリの――などに、気づけるわけがないのである。
その――を操るただ一人を除いて。
「……」
小さな小さな――は、誰にも気づかれぬまま玉座の間をゆらゆらと漂い、少しずつだが確実に――の元へと近づいていく。
――そして。
「――極小の創剣『巨大化』」
玉座の間に2つ目の真紅が散る。




