第61話 それぞれの晩餐
夕食は玲瓏宮にあるパーティー会場で行われた。軽く百人は入れるであろう会場に、国のお偉いさん方が集結し、ヴィレン達を盛大にもてなした。
床には細かい刺繍の施された蒼い絨毯が敷き詰められ、等間隔に設置してある硝子のテーブルには魚貝がメインの豪華な料理が並ぶ。
コツコツと靴音を響かせながら、鼻歌交じりで絨毯の上を歩くのは、ラフリスの用意した銀のスーツに着替えたフェンリルだ。右手には真っ赤なワインの入ったグラスを持ち、目当ての人物の隣で歩みを止める。
「お隣、失礼してもいいかな?」
フェンリルの目当ての人物。それは黒を基調としたドレスに身を包んだ黒髪の少女――リヴィアである。
フェンリル曰く、今まで出会った女性の中で一番美しい顔なのだそうだ。しかしその美しい顔が、フェンリルを見た途端不快な表情へ変わる。
「だめだ。失礼するな。私が隣を許しているのはこの世界でただ一人だけだ」
リヴィアはフェンリルを一瞥してから一歩横にずれる。
「リヴィアちゃんがツンデレだってことは分かってるよ。本当は僕ともっと仲良くなりたいんだってこともね」
フェンリルの一歩でリヴィアが空けた距離以上が縮まり、肩が軽く接触した。
「――なわけないだろう。お前のような両性愛者と戯れ合う趣味は私にない!」
「なぁリヴィアちゃん。僕だからいいものの、あんまりツンデレが過ぎると皆から誤解されてしまうよ?」
冗談でも気持ち悪いのに、この男本気で言っているのだから尚更気持ち悪い。
「私にここまで言わせるのはお前くらいのものだ。いいからさっさと視界から失せてくれ……」
リヴィアの心からの声などお構いなしに、フェンリルはそれでも尚しつこく付きまとう。
その様子をさっきからチラチラ見守っていた、燃えるような赤髪と同じ真っ赤なスーツを着用した少年が、慣れない革靴でズンズンと床を踏みしめ二人の間に割って入り、右手に持つフォークをビシッとフェンリルの目の前に突きつけて、
「おいてめェコラ、エロ狼!! こいつは俺ッ様の獲物だ。勝手に手ェ出してんじゃねぇぞ!!!」
アレスにとってリヴィアはライバルである。そりゃちょこっと可愛い顔をしてはいるが、ライバルはライバルなのだ。だから他の奴にライバルを取られたくはない。ライバルを倒すのは自分なのだから。まだ神だった頃のアレスは、この身体が芯から昂るような気持ちにそう理由をつけた。
ぽかんとした後、フェンリルはその言葉を違う意味で理解した。
「なんだ、アレスくんもリヴィアちゃんを狙ってたのか。分かるよ。可愛いもんねぇリヴィアちゃんは」
「狙う?・・・・・・ああ、そうだ。よく分かってんじゃねぇかてめェ。コイツを殺るのは俺ッ様だからな。分かったら邪魔すんじゃねぇぞ!!」
「わーお。こいつをヤルのは俺だーとか、そんなストレートに言うなんて流石はアレスくんだ! できることならその時はぜひ僕も混ぜておくれよ!」
「おお。何だてめェ話が分かるじゃねェか! 頭ん中エロいことしか考えてねぇ奴だと思ってたが、どうやら俺ッ様の思い違いだったみてェだな。ああ、いいぜ。そんときゃ三人で思う存分殺り会おうぜェ狼!!」
「約束だからねアレスくん!!」
仲の良い友人のように、満面の笑みで意気投合し会う2人。その時のアレスには、リヴィアがフェンリルに注いでいた視線と同じ物が、まさか自分に向けられていることなど夢にも思わなかった。
「お。こいつぁうめぇな!」
ワインレッドのスーツを着崩したザインが、上機嫌に言った。
「これは西の渦潮地帯にのみ生息するレインボーサーモンのムニエルです」
蒼いドレスのラフリスが、ザインの食べた料理に軽く説明を付け加える。
渦潮地帯というのは、現在地から西に数千キロ離れた場所にある、1年を通してずっと渦潮が発生している海域のことである。
「こっちもびっくりするほど美味しいっすね!」
続けて、薄緑色のドレスを着こなすウィーが料理の感想を口にした。
「それは今の時期だけ発生するバトラス海流で捕れるフェザーシャークのお刺し身ですね」
バトラス海流というのは、この時期つまり夏の終わりから秋の始まりにかけての短い期間にのみ発生する一時流で、速い長い大きいの三拍子が揃った化物海流である。
「どうにかして俺らん国とパイプを繋げねぇもんか」
青の王国以外の大国にとって、魚料理はかなり高価な代物だ。それは単に需要と供給の問題で、青の王国に見つかる危険性に、運搬時に魚を腐らせないよう魔法を使い続けなければならない手間や、一度に運べる量など、諸々を含めるとどうしても庶民では手も足も出せない値段になってしまう。この機会に青の王国との正式な取引ができさえすれば、家庭の食卓に魚料理が並ぶことも夢ではあるまい。
しかし事はそう単純にいかないようになっているのが世の常なのだ。今は楽しそうに食事を共にしてはいるが、それはザイン達が国の代表として来日しているからであって、大国同士は600年前から現在進行系で絶賛敵対関係にあるのである。
「ずるいっすよ。ザインさん国と取引するなら緑国だって……」
「そしたらお前、里の場所モロバレじゃねぇか」
「あ」
変わって違うテーブル。
「フィーナはヴィレンさんとどこまでしたんですか?」
いったい何度目の質問だろうか。好奇心旺盛な眼でそう言ってくるのは、空色のドレスを身に着けたティファである。
「どこまでって、そうですね……」
あまりティファが舞い上がることを言うのは避けたいが、かと言って嘘はつきたくない。純白のドレスに身を包んだフィーナは、言葉を濁しながら記憶を探る。
「……一緒にお風呂に入ったり」
「ふむふむ!」
「一緒に同じ布団で寝たり、ですかね」
「ふむふむふむ!!」
ふむふむ言いながら、ティファは大きく頷いた。
「流石ですフィーナ。やはり私の目に狂いはなかった!」
お風呂に入ったのは幼い頃の話だったが、しかし。どうやら失敗してしまったようだ。ティファに火がついた。
「兄妹同士でも愛があれば結ばれると言うことを一緒に証明しましょうっ!!」
「……は、はい」
ぎこちない笑顔で頷きながら、助けて下さい兄さんと心の中で呟くフィーナであった。
「相変わらず大胆な格好だな、アーシャ」
小麦色のスラックスに、ネクタイを外しボタンを2つ開けた白いワイシャツを着たカルラが、グラスに入ったワインを一口あおる。
「そうか? 昔ほど大胆ではなかろうよ」
それに応えたのは、本紫色のドレスで身を飾るアイシャだ。普段着もかなりエロかったが、ドレスの切れ目から垣間見える太ももがなんとも魅力的である。
「昔とはカテゴリが別だろうよ」
「当たり前だ。身体は若くとも、流石にこの年にもなってあんな格好はできんさ」
「より大胆になった気がするけどな」
微笑を浮かべながら、アイシャもグラスを傾ける。
「そういう君は変わったな」
「そうか?」
「ああ。あの頃の君はナイフのような男だった」
「そんなギラついてた覚えはねぇんすけど……」
「ふふっ。今だから言えるが、一時期私は君に好意を覚えたことすらあった」
「――んだよそれ。そん時言えよな!?」
「そうだな。その時に言ってさえいれば、君がこんなにも弱い人間になることはなかったのかもれない」
「・・・・・・」
押し黙るカルラに、アイシャは銀髪の少女を見据え言う。
「驚いたよ。あの娘、彼女に瓜二つじゃないか。性格や口調はあまり似ていないようだが、氷のように美しい蒼銀色の髪は鮮明に覚えている。しかも得意魔法が氷属性ときた」
「・・・・・・それで?」
「なに、深い意味はない。ただ君に"おめでとう"と言っておきたかっただけさ――カルラ・クライシス」
「カーター。俺の名は、カルラ・カーターだ」
「ああ、そうだったな。すまない」
「それに、だ。よく似てるってだけで、フィーナちゃんがアイツの生まれ変わりだっていう確証はどこにもねぇだろ?」
知らぬ顔でカルラは再びグラスに口をつけた。
「確証などいらない。君があの子の側にいる。理由はそれだけで十分だ」
いったい何年行動を共にしたと思っているお前のことなどお見通しだ、と言われた気がしてカルラの口元が緩む。
「マーリンにも同じこと言われたよ、そのセリフ」
「そう……か。リントヴルムに寄ったのだったな。あの男は元気にしていたか?」
とても些細な動揺だった。それこそ長年一緒にいた者でなければ気づかないレベルの、本当に些細な動揺。
「ピンピンしてたぜ。最近髭が生えるようになってきて困ってるんだとさ」
カルラはケラケラと笑ってみせる。
「それはそれは大変だ。あの優顔に髭は似合わんだろうからな」
あまり興味無さ気な反応に見えたが、それこそいったい何年行動を共にしたと思っている。お前の考えなどお見通しだ。僅かに真面目な顔でカルラが言う。
「どのくらい会ってないんだ?」
「そうだな・・・・・・450年前に起きた大厄災以来か」
「450年前ってなぁお前。確か【愉快な仲間達】ができる前から一緒だったろお前ら」
今度はアイシャが声を出して笑う番だ。
「ディベレスタか。これまた懐かしい単語が出てきたものだ!」
「たまには会いにいけばいいじゃねーか。お前の魔法ならリントヴルムまでひとっ飛びだろ」
「そういう問題ではないんだ」
「そういう問題じゃないんだって、お前そんなにシャイな奴だったか?」
「ディベレスタ一シャイな女とは私のことだぞ?」
「あん中にゃあ、お前程図太い精神してた奴はいねぇっての」
「失礼な奴だな。本当だぞ。特に天才の側にいるときなんかは、無才の自分が恥ずかしくて仕方がなかったものさ」
ああ、なんだそんなことかとカルラは思う。だがそれと同時に、かなり厄介な問題だとも思った。しかもそれがプライドの塊みたいな女なら尚更に。
「安心しろ。俺からすりゃあお前ら2人とも化物にしか見えなかったから」
本心からの皮肉が入った励ましの言葉だったが「化物に化物と言われてもあまり嬉しくはないな」と、アイシャはそれを鼻で笑い飛ばした。
あちらこちらでそれぞれの会話が弾む中、パーティー会場の外に設置してあるバルコニーの柵に、白と黄色のドレスで着飾る金髪の少女が1人よりかかっていた。
アリシアの紅の瞳に映るは、ミーティアの夜の町並みだ。
アリシアの故郷であるヴェルリムでは、夜の光源はランタンの燃ゆる光だけで、それはリントヴルムやセレネラも同様であった。幼い頃から見慣れた夜。吸血鬼や魔族が好む、赤い夜。
それがここ、ミーティアだけは違った。赤青黄色に緑紫橙と、色とりどりに染まった町々。宮殿から湖を隔て大通りへと繋がる大橋から、大橋の中心にある噴水までもが蒼い光で飾られている。夜の闇をものともしない、魔法大国ミーティアだけの夜である。
そんな見惚れるほど美しい夜だったのだが、町を見つめるアリシアの気持ちはひどく落ち込んでいた。
「――ここにいたのか」
ふと、アリシアの背中に声がかけられた。振り向くと、そこには黒いスーツを着こなす黒髪の少年の姿があった。可愛い銀髪の妹や綺麗な黒髪の神様にでも連れ回されたのだろう、ネクタイが曲がっている。
「うん。ちょっと風に当たりたくなって」
アリシアは再び視線を町へと戻す。
好意を寄せる相手が自分を探しに来てくれたからと言って、胸のわだかまりが取れるほどアリシアの脳は短絡的には作られていない――と少なくとも本人は思っている。
「へ――?」
背中に何か暖かいモノが当てられ、アリシアの身体が強張る。
右隣を見ると、白いワイシャツ姿のヴィレンがネクタイを緩めているところだった。
「夜風は身体に悪ぃ。特に海風は冷えるからな」
おおすっげぇいい眺めだなここ、とヴィレンはアリシアと一緒に柵によりかかる。
微かにヴィレンの臭いと温もりが残るジャケットの襟を大事そうに掴み、
「……ありがと」
アリシアはぽつりと呟いた。
「身体の調子、大丈夫か?」
特別魔法研究所との件だとアリシアはすぐに分かった。というかそれ以外考えられないし、今現在アリシアはそれが原因で一人黄昏れていたのである。
「うん、大丈夫。なんともないよ」
と、アリシアは精一杯の作り笑い。心配をかけたくはなかったのだ。
それを察してヴィレンもヴィレンで、
「そうか。なら良かった」
と、それ以上先を追求しない。数秒たって、
「やっぱりうそ。だからちょっとだけ、こうさせて」
アリシアはヴィレンの肩にちょこんと頭をのせた。
「擬体化、だったか?」
話を切り出したのはヴィレンの方である。照れたり嫌がったりする様子は微塵も見せず、ヴィレンは町を見渡しながら言った。
「うん。擬体化」
アリシアも町から目を話さず、ヴィレンの問を肯定した。
「それ、たまになったりすんのか?」
「ううん。今回が初めて」
風で飛ばされぬよう右手で肩にかかるジャケット抑えながら、空いている左手でアリシアは自らの頬に触れる。
「フェンリル様に頬っぺを触られて、気づいたら紅い海に座ってた」
「紅い海・・・・・・エリニュスの世界か……」
「うん、多分そう。海以外何もない、私以外誰もいない、静かで寂しくて殺風景で不思議な場所――。
目を閉じれば私の眼からエリニュスが見てる風景が見えてきて、耳をすませばみんなの声も聞こえてきたけど」
アリシアは頬に当てていた手を今度は胸に当てて。
「エリニュスはずっと、あんな世界に一人でいるんだよね……」
あの場所にアリシアはほんの数分しかいなかったが、エリニュスはあんな場所に何年も何十年も何百年も囚われているのだと思うと、どうにもやりきれない気持ちになってしまう。
どうにかして、どうにかならない問題だというのは分かっている。リヴィアやアレスのように、エリニュスには擬人化することはできない。かといってこんな機会がない限り、今まで一度も擬体化しなかったエリニュスが自ら進んで擬体化してくれるとは思えない。
あんな殺風景な世界に何百年も一人きりというのはあまりに残酷すぎる。せめて。何か少しでも、エリニュスのために自分にできることはないものかと、アリシアは考えていた。
「――海以外何もなくて、自分以外誰もいなくて、静かで寂しくて殺風景で不思議な場所、ね」
ぽつりとヴィレンが口を開いた。
「でも、エリニュスはアリシアの中から同じ景色を見てるんだろ?」
「うん」
「なら、エリニュスにもっと色々な景色を見せてやればいい。例えば世界で一番高い山からの絶景とか、鏡面みてぇに光を反射する泉とか、氷でできた絶対凍土の大陸とか・・・・・・こういう綺麗な夜景、とかな。そうすりゃエリニュスだって退屈しねぇだろ。
だからお前が気に病む必要はねぇよ、アリシア」
アリシアとしては、エリニュスとの時間を作ったり、こちら側に現界する手立てはないものかと思考を巡らせていたりしたが、
「エリニュスが退屈しないように、か……」
それでもいいのかなと思った。それでいいのだと思えた。この鮮やかな夜の町の景色を、自分の中からエリニュスも見ているのだろうか。見てくれていると嬉しい。だって、こんなにも綺麗なんだもの。
「そうだね、その通りだね」
おう。分かったらそろそろ戻るぞ、夏だってぇのにまぢ風冷てえからなさみぃさみぃ、とかなんとか言いながら、バルコニーから立ち去ろうとするヴィレン。
「・・・・・・オイ」
ヴィレンが首だけで振り返る。
「もうちょっとだけ、こうしてようよ」
咄嗟にヴィレンの手を握ったアリシアがそんなことを言う。
「風邪引いてからじゃ遅えぞ?」
「私は最上位の吸血鬼種だよ。風邪なんか引いたりしないし」
「あー。そうだったな。だが、あいにく俺は最下位の魔人種だ。お前が風邪引く前に俺が引く」
思い出したように言った後、ヴィレンはアリシアの手を引きながら歩きだそうとする。
「じゃあこうしよっ!」
ぎゅっ。
「・・・・・・」
ヴィレンは一度溜息し、
「・・・・・・あと少しだけだからな」
と、根負けした。
ヴィレンの腕に抱きついたまま、アリシアはミーティアの夜景に再び視線を戻す。
色鮮やかな光の粒を見ていると、ほんとりと心が暖かくなってくる。
はて。これは町の光から感じる熱か、それともヴィレンから伝わってくる熱なのか。
「ふふっ」
「どうかしたのか?」
「んーん」
「そうか」
どちらでもいいとアリシアは思った。今はこの景色とこの確かな温もりを感じていたい。
ぎゅううう。ちょっとだけ抱きしめる力を強めた。
「暖かいね」
アリシアがそう呟くと、
「……ああ」
ヴィレンも小さく頷いた。




