第53話 青の王国
海の道をひたすら走ること3時間弱。1本道の先に、ポツンと小さな島のようなものが見えてきた。師匠が文字通り斬り開いた道は、真っ直ぐ島へと繋がっていたのだ。
そこから1時間以上走り続け、俺達はようやく"島"のすぐそこまで来た。
・・・・・・島……、島か。うん。これは本当に島なのか?
2時間前は米粒のようにしか見えなかったが、近くで見るとそれはそれは圧巻であった。いやはやかなりでかい。島というより大陸と呼んだ方がしっくりくるぞこれは。
まぁ、そんな島か大陸かなんて疑問はさておき、問題はどうやってあの島まで行くかである。現在俺達がいるのは海の底。対して島は遥か上海に浮かんでいる。全力で飛んだところで届くはずもないし、かといってどうすることもできない。
さてさてこれは困った。
島の外側に深く残っている生新しい斬撃痕と、少し古いがそこから45度離れた場所に同じようついている斬撃痕を交互に眺めながら思考を巡らせていると、先頭を走る師匠の足が"地面を離れ始めた"。1歩、また1歩と歩を進めるごとに、徐々に師匠の姿は空中に浮いていく。
すげぇ、エアウォークしてるよあの人。
目を細めて空中を駆ける師匠の足元を見て、やっとソレの存在に気づいた。海の色と同化して今まで気づかなかったが、よく見ると海底から島へと続く階段のようなものがそこにはあった。
俺は階段の前で一旦足を止め、後ろを振り返った。すぐにアリシアとフィーナも俺に追いつき、膝に手をあて立ち止まる。
2人とも髪が乱れ息が乱れ、大粒の汗を額に浮かべていた。ここまで休憩無しで走り続けて来たのだ。疲労が貯まるのも無理はない。
しかし一番疲労が溜まっているのは、能力を使い続けているウィーだ。近くにカルラがいるのが見えるが、俺達が今いる場所から2、300メートル離れたところを走っている。
軽く手を上げ合図を送ると、「先に行け」とカルラが手を振り返す。
少し迷った末に、ウィーはカルラに任せることにして、俺達は先に階段を駆け上がっている師匠の背中を追うことにした。
✽✽
一段一段が重い。まだ半分も登っていないというのに、身体のあちこちがギシギシ悲鳴を上げている。
風邪が治ったとはいえ、病み上がりの状態なのだ。魔力で身体を無理に動かさなければ、俺はとっくに地面とキスしていたことだろう。
普段息をするように魔力を使っているが――いや実際そうなのだが、こうして改めて考えてみると魔力とは良くも悪くも、本当に便利なモノだと俺は思う。
戦闘に関して言えば、俺達勇者が神器を扱うために魔力は必要不可欠な代物である。フィーナの行使する魔法もそう。魔力がなければ発動することはできない。
他にも魔力は、身体に纏わせ身体能力を底上げするするという使い方もできる。今だって魔力を下半身に集中させ走行時にかかる疲労を和らげているし、極めれば素手で岩を割ったり、剣撃を皮膚で受け止めたりすることもできる。
だが、魔力を上手く使いこなせていない者達(大半は一般人)の中には、魔力=戦闘手段と思い込み、魔力は自分達と無縁のものだと思っている輩がいる。しかしそれは大きな勘違いだ。
あれは確か、俺がまだリントヴルムにいた時、師匠に魔力を空にする鍛錬をさせられたことがあった。師匠曰く、魔力とは即ち生物の燃料。それが切れるとどうなるか。さぁ、やれ。
燃料と言われても、あの時の俺達にはよくわからなかった。だから師匠に言われるがままに魔力を酷使し、己の中にある魔力を全て使い切った。そして師匠の思惑通り、俺達は3人揃って死にかけた。
身体に上手く力が入らない。立つことはおろか、寝返りをうつことすらできないのだ。瞼が重く、眠くて仕方がない。
マーリンに教わりながら、フィーナが治癒魔法を俺達にかけてくれている時「いいか、この感覚を忘れるな」と師匠は言った。「この感覚に慣れはねぇ。気をつけろ」とも言われた。
師匠の言う燃料の意味を完全に理解することはできなかったが、魔力というモノは生物として存在するのに欠かせないモノだということは理解できた。
と、そんなことを考えている内にもう残り半分まできた。あと少し。俺は階段の終わりを見上げ――ようとしてやめた。後ろにはフィーナ。そして前にはアリシアがいる。ああ、気づけて良かった。上を見上げてはいけない。男として。
それにしても不思議な階段だ、と俺は思う。アリシアが踏んだ段を注意して観察してみると、その場所だけ波紋ができている。強度は鉄のように硬いのに、まるで水でできているような外観をしている。いや、実際そうなのだろうが――。
✽✽
体力は既に限界に近かったが、魔力さえ残っていればなんとかなる。アリシアとフィーナが弱音を吐かいていないのに、男の俺が先にへばるわけにはいかねぇし、カルラより先にギブアップするのはプライドが許さない。
気合と根性と魔力を総動員しようやく、ようやく俺は最後の一段を登り終えた。登り終え、数歩進んだところで完全に足が止まった。
単純に身体の疲労もあったが、それよりも眼前の光景に目を奪われたのだ。
「すごい……!」
「ここが……!」
海を見た時と同じかそれ以上に目をキラキラと輝かせるフィーナとアリシア。そしてなぜか師匠が誇らしげに、
「ああ。ここが青の王国"ミーティア"だ」
グッとアリシアに左腕を引っ張られた。
「見てみてヴィレンくん、建物が宙に浮いてるよ!?」
今度は右袖をフィーナに。
「見て下さい兄さん、六大魔法属性全てが使用された理想的な防御魔法陣の美しさ……惚れ惚れしてしまいます……!」
かなり興奮している様子のフィーナとアリシア。両方から色々話かけられるが、俺は疲労困憊だ。疲れなどどこかに吹きとんでしまったかのような2人に「どこから来るんだその元気は」とジジくさい感想を抱いていると、
「またこんな強引な方法で……少しは防御魔法陣を一から貼り直すこちらの身にもなって下さい」
コツコツと靴音を響かせながら登場したのは2人の女性。
1人は瑠璃色のローブからはみ出しそうな胸の持ち主。歳は27くらいだろうか。海色の髪に碧い瞳と、海に人の形を与たような美しい女性だ。
もう1人はフィーナとあまり歳の変わらないだろう少女。水色の髪に空色の瞳をしており、天色のローブを身に纏っている。
雰囲気的にはかなり上の身分の者達だと推測する。
「よぉ、相変わらずいい女だなぁラーフ。俺に抱かれる気にはなったか?」
師匠の軽口とは思えない軽口に、ラーフと呼ばれた女性はにこやかな笑みで応じる。
「お久しぶりですザインさん。毎回聞くんですね、それ」
「当たり前だろ? いい女を口説くためには時間とマメさが肝心なんだよ」
「そうなんですか、頑張って下さいね」
と、軽くスルーしていくラーフ。なかなかのやりてである。
「ところで、後ろのお三方は?」
ラーフの隣にいる水色の髪の少女が口を開いた。お三方、というのは間違いなく俺達のことだろう。
「俺はヴィレン。永久の勇者です」
「妹のフィーナです」
「妻のアリシアです」
「師匠のザインだ」
なんだか家族挨拶みたいになってしまったが、これで終わりならば釣りがくる。これで終わりならば、な。
「――妻だなんて、嘘はついちゃいけませんよアリシアさん?」
ほら、始まった。
「嘘じゃないよフィーナちゃん。前にも言ったけど、私はヴィレンくんに初めてを捧げたの」
いつまで引っ張るんだよソレ。
「兄さんの血を飲んだくらいで婚約者気取りですか? それなら私は兄さんと一緒にお風呂に入ったこともありますよ」
ソレは子どもの頃の話だろう。
「ふ、ふーんそうなんだ。でも、私だってこれから――」
そこから先は、後方からの盛大な水しぶきの音に掻き消された。何を言おうとしていたのか、どうせろくなことではな――
「カルラさん……」
ぼそりとフィーナの呟き声が聞こえ、ハッとして俺は即座に後方を振り返った。それと同時にフィーナの腕を掴む。フィーナの表情に、胸が痛むが仕方ない。何があろうとこの手を離せすことはできない。
"2つに割れた海がぶつかりあった衝撃"で海が荒れ狂い、島が大きく揺れる。
心臓が早くなる。体温が上昇しているが、どうしてか背中が寒い。額から汗が伝う。目が乾く。アリシアの困惑した表情。フィーナの悲痛な表情。師匠のひきつった表情。なら俺は今、どんな表情をしているのだろうか。
師匠と眼が合う。師匠は俺に頷いてみせた。「いくぞ」という意味だと理解し、俺も頷き返す。そして――。そして――、水しぶきの中から――。
「やー、死ぬかと思ったぜ」
「なんとか、ぎりぎりセーフだったっすね……」
そこにはウィーを背負ったカルラがいて。いてくれて。
頭から靴底まで濡れていて、間に合ったとは言い難いが、しかし手遅れではなかった。
「心配させやがって……」
ほっとして息をつくと、隣にいたフィーナが無言でカルラに近づいていった。それに気づいたカルラが皆の心配など他所に緊張感のない笑みで軽口を紡ぎ、
「お、心配してくれたのかなフィーナちゃ――」
水しぶきで湿った周囲に、乾いた音が響いた。
数秒の沈黙。
「……当たり前じゃないですか」
放心状態のカルラからウィーを奪い取り、フィーナはカルラから離れた場所で、今にも逝きそうなウィーを芝生に寝かせた。
「ウィーさん顔色が……!」
ウィーの不調に気づいたアリシアがフィーナの傍にかけよっていく。
「魔力欠乏症ですね。待って下さい、すぐに治癒魔法をかけますから!」
「なハハ、申し訳ないっすねぇ」
ウィーがどんなに馬鹿みたいな魔力タンクをしていようと、海という規模で魔力を4時間以上フルで使い続けたのだから、魔力が空になってもおかしくはない。
フィーナが治癒魔法の詠唱を始めようとした時、
「フィーナちゃん、だったわよね。あなたもかなり魔力を消耗してるわ。だからここは私に任せてもらえないかしら?」
ラーフがフィーナに指摘したことは的を得ていた。フィーナもそのことを自覚しており、一瞬迷った末に「わかりました。よろしくお願いします」と、その場をラーフに任せた。
「またこんな無茶して」
「したくてしたんじゃないっすよ、させられたんすよ」
いつも通り振る舞ってはいるが、痩せ我慢にすぎない。アレが本当に辛いことは俺もよく知っている。
ラーフはウィーの心臓がある辺りに右手をかざす。
「最上位・治癒魔法『天使の涙』」
フィーナですら使用することのできないヲル系の魔法。ラーフの右手から生まれし光の雫が、ウィーへと滴り落ちる。
俺はその光景を感情のない表情でぼ〜っと見つめる男の元へ足を運ぶ。
「よく生きてたな、お前」
赤く腫れた左頬を手で押さえて立ち尽くすカルラ。その肩をドンと叩いてやると、カルラは頬から離した左手を見つめながら、
「ああ、死んだと思った。俺」――と。
そっちじゃねぇ。
「やー、助かったっすよラーフさん。もう、死ぬかと思ったっす」
ウィーはそう言って身体を起こす。効果は魔力回復系の魔法だろう。その証拠に、ウィーの顔色がさっきよりも良くなっている。
「それは良かったですね」
ふふっと大人な笑みを浮かべ「ああ、そう言えば」とラーフは言葉を繋ぐ。
「自己紹介が遅れましたね。この子はティファ」
「どうも。ティファ・クルーシアです」
ティファはぺこりと頭を下げた。
「そして私はこの国を任されし『王』、ラフリス・エルファーノと申します。立ち話もなんですから、どうぞ宮殿へお越し下さい」
青の国の王【賢者】ラフリスはそう言い、にこやかに笑ってみせた。




