第52話 海の道
次の日の朝。雨は嘘のように上がり、空は雲一つない快晴だっ――
「「――ぶえっくっしょいっ!!」」
次にスズッと鼻をすする音。
昨日雨に当たりすぎたせいで、俺とカルラは仲良く風邪をひいたのだ。熱があるのか身体はだるく、とてつもなく寒気がする。症状は発熱、目眩、咳、くしゃみ、頭痛とまごうことなき風邪である。
俺達が風邪を引き得をしたのは、応急処置という正式な名目を得たアリシアだ。リヴィアとフィーナの刺すような視線の中で、堂々と俺とカルラの首筋に歯を突き立てて、風邪の菌を抽出した(俺は少し血も飲まれた)。
そのおかげで、今では嘘のように身体が軽い。吸血鬼すんげえ便利と思った瞬間である。
✽✽
さて、準備は整った。時刻は朝の9時すぎ頃だろうか。天候は快晴。海も荒れてはいない。風邪も治ったことだし、後はいつでも出発できる。
「で、これからどうすんだよ師匠?」
師匠は遥か地平線の先を見据えながら言った。
「まぁ見てろっつの。確かこの方角でいいんだよな、ウィー」
ハウワード海岸から南東に200キロメートル。そこに青の王国があるとウィーは断言した。しかし見渡す限りあるのは海、海、海――だ。俺にはポツリとすら視認することはできなかった。
「まぢでやるんすかザインさん?」
苦笑を浮かべるウィーに、アレスが口を開く。
「ハッ、何弱気になってんだぁテメェ。王を降りた途端に玉無しになっちまったかぁオイ?」
言いながらアレスの身体が燃えはじめ、
「や、もともとついてないっすから」
ウィーの反論が終わる頃には既に、アレスはその姿を一振りの太刀へと変えていた。
「おうでれすけ共、目ん玉かっ開いてよく見とけや!」
師匠は太刀を掴んでゆっくりと鞘から抜刀していく。太陽の光を浴び、燃えるような紅い刀身が更に赤く見え・・・・・・待て。待て、待て、待て。――なぜ抜刀した?
「はぁ……」
とウィーがため息をつくが、師匠は全く気にする様子も見せず、半歩右足を前に出し太刀を背中まで振りかぶった。その刀身には魔力が溢れんばかりに込められているのを感じる。おいおいまぢか。
「天地断絶 壱ノ太刀――」
そのままスッと音も立てずに太刀を振り切る。まぢか。
「斬空――!」
「「・・・・・・」」
何も起きていない。少なくとも今は、――なんて言ってる側からソレは始まった。
「ほお」というリヴィアの感心した声に、アリシアとフィーナの息を飲む音。カルラは笑顔が引きつり、ウィーに至ってはただただため息を漏らすのみ。
端的に言うと、海が割れた。師匠の立つ砂浜から南東に真っ直ぐ、どこまでもどこまでも割れた。まぢですかよ。
正に天変地異。これが【騎士王】ザイン・ドラグレクの、【紅煉の勇者】の本気なのだ。
肌が泡立つ。鳥肌が止まらない。この6年間でかなり腕を上げたつもりでいたが、それでもまだまだ師匠には届いていないのだと改めて思い知らされた。
「――何してんだ、置いてくぞ?」
「は……? いや、置いてくって……」
見ると師匠が今できたばかりの"海の道"を走っていた。しかしこの道は急ごしらえの一時的な道に過ぎない。
幅は十数メートルしかなく、あと数十秒もすれば海は元通りの形に戻り、道は消えてなくなる。
それだと言うのに師匠は何を考えている。海を両断したことはすごいとしか言いようがないが、その意図が不明だ。
何をどうしたらたかだか数秒で200キロという長距離を縮められるというのか。例え魔力を足に集中し、全力をだして走ったとしても1時間以上は確実にかかるというのに・・・・・・。
「あ〜もうっ! 仕方ないっすねぇ……!!」
半分ヤケになりながら師匠の後に続いて海の道を走り出したウィー。自殺願望者が2人に増えたと思った矢先、ウィーが両脇に壁のように反り立つ海に向かって"何か"を投げた。
先の尖った黒い何か・・・・・・クナイだ。そう、クナイを投げたのだ。投げられたクナイは海の壁の中へと吸い込まれて消えていった。投げた理由はわからない。少なくとも俺には。
「なんだ、そういうことか」
何かを察したカルラが、2人の後に続いて走り出した。取り残された俺達は、その後ろ姿をただ見守っていることしかできなかった。
それから数秒が経過し、海は元の形に・・・・・・戻らない。いくら瞬きしようが目を擦ろうと。不思議なことに、海は2つに割れた状態を維持し続けているのだ……。
「何ぼ〜っと突っ立ってんすか。うちより遅かったら溺れ死ぬっすからね!!」
クナイだ、思い出した。そして忘れていた。【元・緑の王】ウィー・リルヘルス。彼女もまた、神に魅入られし勇者の1人なのだ。
己の魔力に触れた物を束縛し、強制的に自由を奪う【封縛の勇者】。
それがどれほどふざけた能力かと言うと、自然の摂理に逆らい停滞を続けるこの海を見てもらえれば話は早い。対象に直接触れずとも、クナイなどで間接的に魔力を接触させることさえできればこの通り、海であろうと何だろうと束縛することができる。
え、たったそれだけ? だったならば可愛いらしい能力だねでこの話はお終りにできた。
この能力の最も恐ろしいところ。
それは"神器にすら影響を及ぼすことができる"というところにある。つまり神器化の状態で能力を使われれば、擬人化はできないし終焉も発動できない。
それ故彼の勇者につけられた別名が、
勇者殺し――。




