第45話 大猿の猛威
「「――甲賀流忍術 陽ノ書 第弐拾玖節 上伝――"炎天牢獄"!!」」
メイラとセスティアの吹いた炎が渦を巻きながら大猿に纏わり付くようにして激しく燃え盛る。その様はまさに炎の牢獄と言っても相違ないだろう。並の者ならひとたまりもない。
――だが。突如炎の牢獄の中から巨大な獣の手が現れ、目にも止まらぬ速度で2人を掴み、そのままの勢いで握り潰した。
何ら変わらぬ顔で炎の牢獄から出てきた大猿が両手を開くと、手中に掴んだはずの2人の姿はなく、代わりに2人の着ていた上着だけがそこにあった。
「今のは危なかったんじゃない、セス?」
「お前こそ、動きが鈍くなっている」
そう言いながらリーサの隣に現れた2人の頬と足にはかすり傷が一つ。どうやら大猿の攻撃を完全には避けきれなかったらしい。単純に疲労が溜まっているということもあるが、やはり1番は奴が他のヴァナラとは訳が違うということだ。忍の最高峰である"影"。その2人の忍術をまともに喰らって火傷一つないとは、いやはやなんという皮膚の硬さだろうか。
リーサは戦いの最中に色々な策を講じてみたものの、しかし何一つとして良い結果は得られなかった。それでなくとも並外れて感が鋭いというのに、プラスして常に周囲を警戒されては不意打ちなど成功するはずがない。
いやはや、隙を作るのは骨が折れそうだ。ま、実際肋骨が2、3本折れてはいるのだが……。
リーサは大猿を見据える。奴は動かない。こちらをじっと見つめたまま、動かない。きっと、奴はリーサ達がどう動くか伺っているのだ。
まるで、"ラクアを相手にしているみたいだな"とリーサは思った。もちろん奴はラクアよりも強い。しかし、なんというか・・・・・・似ているのだ。実力は自分の方が上だというのに、こちらの攻撃を警戒しすぎるあまり、自分からは動けない。慎重すぎるというか、なんというか・・・・・・臆病なんだ、奴は――。
見えた、気がした。奴の攻略法が。
リーサはチラリと後方に視線をやる。
どうやら味方は良くやってくれているようで、残党の数は10を切っていた。しかしそれと同じくらい皆の疲労もかなり来ているようで、早めに大猿を片付けるに超したことはない。リーサは覚悟を決める。
「メイラ、セス!!」
「「――了解!」」
そう言うや否や、クナイを両手にセスティアが無音で駆け出した。
状況を把握し、自分達が今何をすればいいのか。何をしなければならないのか。皆まで言わずとも、彼女らはちゃんと自分達の役割を理解してくれている。
「甲賀流忍術 陰ノ書 第淕節 中伝――"幻影分身"」
地面を這うように駆けるセスティアの姿が2人3人と増えていき、20人近いセスティアが大猿へと迫る。迫る。迫りまくる――。
「――甲賀流忍術 陰ノ書 第碁拾七節 秘伝――"霧幻結界"」
今度はメイラを中心として霧が発生し始める。かなり濃度の濃い霧で、メイラとリーサの姿は途端に霧に飲み込まれて見えなくなり、物凄い速さで拡散する霧はそのままの勢いでセスティアもろとも大猿をも飲み込み、辺り一面が"白い闇"に覆われた。
霧を払おうと大猿が両手を大きく振るうが何も変わらない。この場所は危険だと察した大猿が即座に霧の外へと出ようとするが、そこへ3人のセスティアが大猿の首を狙いに忍びよる。だが感の鋭い奴にとっては目を瞑っていても対処できる攻撃で、それを大猿は地面に叩き落とした。その3人のセスティアは、地面に叩き落とされた途端に影のように消滅した。間を開けずに次のセスティアが順次に大猿へと迫るが、大猿は両手両足を器用に振り回し、その全てを握り潰し、叩き落とし、薙ぎ払う――。
気づくと次第に周囲の霧も薄れかけていた。そして大猿が最後のセスティアの分身を叩き潰した時、大猿の背後から声が聞こえた。それとほぼ同時に大猿の感が最大限の警鈴を鳴らしたが、既に手遅れだった。
「「――甲賀流忍術 陰ノ書 第参拾肆節 皆伝――"自奪縛由"」」
本能に従い大猿が背後の2人を叩き潰そうと腕に力を込めるが、ピクリとも動かない――いや、動かせない。
「汗で身体がベトベト。帰ったらお風呂に行きましょう、セス」
「風呂は嫌いだ。特にお前と入る風呂は」
ギリギリと音がでそうなほどの力で抗うが、しかし大猿の身体は動かない。まるで目に見えぬ何かが大猿の身体を束縛しているかのように――。
「あら、成長期なんだものおっぱいもそのうち大きくなるわよ。きっと」
「うるさい、胸の話じゃない。お前の風呂癖が嫌いなんだ」
よく見ると2人の足元。ちょうどそこには大猿の影があり、2人はその影の上に立っている。
「棟梁だって小さくて可愛いし、そんなに気にしなくても……」
「――だから違うと言っている。・・・・・・それよりも」
「ふふっ。私達が2人がかりで縛ってるっていうのに、なんて馬鹿力なのかしらね」
「まったくだ」
「リーサったら、早く次の手を打ってくれないかしら。そろそろ私達も限界なんだけど……、って言ってる側から」
「まさか・・・・・・アレを使うのか」
「の、ようね」
霧が晴れていき、中から1匹の大猿が姿を現した。すぐ近くにメイラとセスティアもいる。
その光景を目にしたリーサの脳裏に浮かんだものは1つだけ。
自奪縛由――下伝、中伝、上伝、皆伝、秘伝、奥伝、極伝の中の皆伝の部類に位置する忍術の1つで、対象の影に自分の魔力を注ぎ込み自由を奪う。
通常は1人で行う術だとリーサは記憶しているが、大猿を見る限り今にも奴は術を強引に破って動きだそうとしている。つまりそういうことだ。2人がかりでも奴は止められない。術が解けるのも時間の問題だろう。
「上出来よ、あなた達。数秒止まればそれで十分だわ」
リーサは背中の矢筒から他とは違う白色の矢を1本取り出した。
「本当は、使いたくはなかったけれど・・・・・・」
リーサの表情が不安に歪む、がすぐにリーサは覚悟を決めて矢を弓にかけ、弦を最大限まで引き絞った。リーサが矢に魔力を込めると、矢の先端が淡い銀緑色を放ち始めた。
その光景を見るまでもなく、いち早く危険を察知した大猿は全力で術を破りにかかった。大猿の感が告げている。アレは先程感じたものとは比べものにならないくらい危険なものだ、と――。
「もう、抑えきれないわね……!」
「後は頼んだ、二人共!」
2人がそう言ってすぐ、大猿が強引に術を破った。だがそれとほぼ同時に――。
「――ミストルテイン!!」
リーサから放たれた矢は一直線に大猿へと向かって飛翔する。
全力で矢を放った。今まで放った矢の中でも最速だという自信がある。角度も完璧だ。戦の舞台が森でない今、奴は己の持っている化物じみた身体能力を活かしきれない。
この戦いで奴の癖を把握し、次の動きを読み、完全に避けきれないであろう角度に放った。まず避けきることは不可能だ。この矢が大猿に刺さりさえすれば、その時点で勝利が確定する。
だがまぁ、結果を言ってしまうと矢が命中するかどうかは既に意味を成さない。例え奴が万が一化物を超えた動きで矢を避けきったとしても、だ。リーサが矢を放ち、大猿の視線が、大猿の意識が、大猿の感が、大猿の全てが白い矢へと向けられた時点でチェックメイトは揺るがない――。
リーサは微笑を浮かべ、口の中でどこにいるかも分らない少女へ向かって一言だけ。
「今よ、ラクア――」




