第35話 魔人の紅眼
「やっと来よったか。っす」
しわがれた声と老けた顔には全く似合わない語尾を添えて、白髪の老人はそう言った。
「・・・・・・す?」
「おぉ、すまんすまん。つい口癖が出てしまったようじゃな。儂はこの森の長をやっとる、ウィーという者じゃ」
「そうか。わりぃが長老、俺達はここの棟梁に用があるんだが。アンタの隣にいるのが緑の王様か?」
俺は老人の隣に黙って佇むエルフの女を見据えてそう言った。
「儂がその緑の王じゃが?」
「いや、アンタじゃなくて。現役の王様に用があるんだが」
老人から視線を外し、俺はもう一度エルフの女をチラリと見る。その女が背負う等身大程の大きな弓。アレは多分神器だ。確信はないが、なんとなくわかる。
「儂がその現国王じゃが?」
ふざけた様子もなく、老人は至って真面目に答えた。
なるほどなるほど。どう見てもこの80近い爺さんが現国王なわけか。なるほどな。
早く引退したほうがいいんじゃねぇの?
「よぉ、久しぶりだな」
「なんじゃ騎士王ではないか! 2年前の世界会議ぶりかのぉ?」
「もうそんなになんのか」
などと師匠と老人の会話が盛り上がりかけてきたが、長くなりそうな雰囲気。疑っていなかったと言えば嘘になるが、2人の会話から本当にこの老人が現国王といことが証明されたことになる。
「話の途中で悪いが。爺さん、今日はアンタに頼みがあって来たんだが……」
と、本題に入ろうとした時、老人が待ったをかけた。
「まてまて若いの。その前に、儂が名乗ったんじゃ。お主たちも名乗るのが礼儀じゃろう?」
「それも、そうだな」
言われてみるとその通りだった。魔王との約束の期限があるので、早めに使者の話まで進めたかったのだが。
ま、簡単に説明すればいいか。
「俺の名前はヴィレンだ。で、こっちがリヴィア。それと……」
「・・・・・・ヴィレン。もしやお主、あの破壊の勇者かの?」
「ああ。そうだが?」
そう答えると、老人はにやりと笑った、ような気がした。
「そうじゃったか、そうじゃったか。それを早く言わんか。儂は一度お主に会ってみたかったんじゃ」
「ほほう」
「儂は目が悪いんじゃ。すまんが、近くに来てもらえんかの?」
何が目的かは分からないが、相手は王様だ。嫌だと言える立場に俺はない。
「別に構わないが」
俺は老人のほうに歩きだし、数歩進んだところでやっぱりな、と。
「――ほぉ、やるのぉ。殺気は抑えたつもりじゃったんじゃがなー」
首筋に迫る老人の手刀を左手で掴みながら、
「敵陣のど真ん中で警戒を解いたりはしねぇだろ、ふつーよ?」
つか攻撃してくるって顔に書いてあったし、とまでは流石に言わなかったが。
「フォッフォッフォッ。なるほどなるほど」
老人は歳を感じさせない軽やかな動きで俺から距離をとる。警戒していなければ反応できずに首が飛んでたかもな。流石は忍の棟梁さんで。
「それなら、――これはどうじゃ?」
目の錯覚か老人の姿が2人へと、そして3人へと増え、間を開けずに3人同時に距離を詰めてきた。
1人目の拳を受け止めると、そのまま老人の姿が消えていく。2人目の手刀を避けながら3人目に蹴りを入れると、3人目もまた消えてなくなる。
「分身の術ってやつか」
「ご明察」
消えずに残った2人目の老人がそう言い、また3人に分身しようと――
「させるかよ!」
する前に一気に間合いを詰め、老人の横っ腹へと蹴りを叩き込んだ。
「――なんじゃ、と……!?」
一応加減はしたはずだが、老人の身体があまりにも軽く、後方へと吹き飛ばされ――消えた。
「――ッ!!」
後ろに気配。瞬時に魔力を右腕に集中させた直後、ズシリと重い衝撃、
「フォッフォッフォッ。まだまだ甘いのぉ!!」
からの連打猛攻。衝撃で身体が左側へと流されながらも、俺は無理矢理に体勢を立て直し、老人の殴打を防ぐ。
「見た目以上に元気だな……!!」
「フォッフォッフォッ。まだまだ若い者にゃ負けはせんよ」
へっ。言ってくれやがる。
魔力の操作が上手くできない俺にとって、体術は苦手分野である。それに対し、目の前の老人ときたら。
忍は忍術を使うと聞いてはいたが、まさか体術までも極めているとは知らんぞ。
拳一発一発が重く、早い。そして何より、身体の使い方が上手い。老人の攻撃を躱し防御することで精一杯で、攻撃に回れない。
「フォッフォッフォッ。破壊の勇者の実力がこの程度とは、まさに笑止千万じゃな!!」
言ってくれやがるこのクソジジイ。
だが、本当のことなので反論できない。事実、遊ばれているし――。
老人は調子にのって、尚も言葉を投げつける。
「これでは破壊神の底も知れるいうものじゃな。フォッフォッ、フォッ……?」
「・・・・・・」
「――ッ!!」
瞬間。空気が変わった。
大木が、森全体がザワザワと震え、青空を漂う雲が息を止めた。野生のリスは木から転げ落ち、死に物狂いで巣穴へと駆け込む。ここから少しばかり離れた森の奥地では、異変を察したモンスターたちが泣き喚いていた。
老人は即座に攻撃を中断し距離をとり、忍とエルフ3人が臨戦体勢に移行する。
「・・・・・・訂正しろよ」
ポツリと呟いた。
「儂は耳が遠くてのぉ。すまんがもう一度――」
「訂正しろって言ってんだろ?」
今度は少しばかり殺気を込めて。
「・・・・・・いったい何をじゃ? 儂は事実しか言っとらんぞ?」
今にも駆け込んできそうな様子の4人の部下を左手で制しながら、老人はそう言う。
「俺が実力不足だってことは事実だ・・・・・・が。それは俺自身の問題であって、リヴィアは関係ねぇだろ?」
次は魔力を強く込めて言ってやると、老人は俺の顔を見て、なぜだか笑った。まるで、この状況を望んでいたかのような、そんな感じがした。
「いい眼をするではないか、小僧」
老人は走り出す。地面を這うように体勢を低くしながら、紅い眼をした魔族の少年へと向かって――。
✽✽✽✽✽
体力が減ってきているせいか、老人の動きがさっきよりも幾らか遅く感じる。いや、違うな。これは多分、老人ではなく、俺の変化。なにせ身体がやけに軽い。身体の奥底から魔力が溢れだしてくるこの感じ。どうやらリミッターが外れたようだ。
人族とは異なる唯一の部分にして、魔人種が魔族たりうる唯一の証とも言えよう。
魔人種は怒りの感情が沸点を超えた時――瞳の色が変化する。
その怒りが大きれば大きい程に赤く、紅く、朱く――。
それと比例し、己の限界を超える力を得ることができる。俗に言う、火事場の馬鹿力と言うやつだ。
こいつのおかげで攻撃にも回れるようになった。が、それでもまだ老人が優勢なのには変わらない。徐々にペースを握られていく。
「ちッ!」
舌打ちをし、老人の間合いを抜けるために数歩後退しようとした時だ。急に老人の表情が焦燥に変わるのを見た。
「お、お主、それ以上は――!!」
「――あ?」
左足を地面に着地させ、次は右足と足を下げるが、そこに足場はなく。
「なっ――!?」
怒りの感情に飲まれ、周りが見えていなかった。いつの間にか俺は巨木の端まで移動していたのである。しかし気づいた時には手遅れだ。既に身体の半分以上が空中に投げ出されていて。
この高さだ。いくら魔力を全力で下半身に集中させたところで、落下時の衝撃は殺しきれない。多分、死ぬ。運が良くても両足が砕け散るだろう。
視線を戻すと、目の前に老人の腕が伸ばされていることに気づいた。それを掴もうと、俺はできる限り身体を前にだし、限界まで手を伸ばした。そして――。
「は?」
「え?」
この一瞬の間に思ったよりも老人が俺との距離を縮めてきたせいで、勢いよく突き出した俺の手は老人の手を通り過ぎてそのまま老人の胸部へと吸い込まれていき――。
むにゅっ、という効果音が出そうなほどの柔らかい感触が俺の手に伝わった。




