第174話 旅に出よう。今度は二人きりで
命を代償に器を広げ、真なる神の力を借り受けることを《擬神化》と呼び、通常およそ20パーセント程度しか扱えない神器の力を大幅に開放する。
だがひとえに擬神化といえども引き出せる力には個人差が生じる。
例をあげてみよう。例えば契約を交した神との適正率だとか。身体的特徴や精神的思考が似通ってる者同士がリンクすれば引き出せる力のパーセンテージは上昇する。
他にも魔力の量や肉体の強度だったり、目的と理由だとか。擬神化時のモチベーションも関わってくる。契約してきた年月もそうだ。
でもその中でもやはり一番重要になってくるのは、神と人との関係性である。
知人程度の関係性、友人くらいの関係性、恋人以上の関係性。心の距離が近ければ近いほど、引き出せる力も親密度に比例し大きくなる。
カルラは《生命神イグニス》の力の50パーセントを引き出した。ザインは《戦神アレス》の力の60パーセントを。アリシアは《鬼神エリニス》の力の40パーセントしか引き出せなかった。
そして現在ヴィレンは、《破壊神リヴィア》の力の85パーセントを引き出している―――。
「なんだ、急に空が!?」
太陽の光が月に遮られ世界に帳が降りる。光が消え闇が満ちる世界に、人々は動揺と不安を隠せない。
「まさかこれが《グランド・クロス》……?」
そう誰かが呟いた。直後、遥か遠方に見える『ダンジョン』が傾いた。
雲にも届き得るほど高大な塔がミシミシと傾き、結果、自重に耐えきれず中心付近で真っ二つに破砕した。
スローモーションのように――――ズズゥゥンッッ。轟音をたてダンジョンが地上に落下した。
そのダンジョン上空、2つと光が宵空を駆ける。
「蒼光七瞬軌!!」
ダンジョンから距離をとるヴィレンに、アリエルの閃撃が彼の背中を追う―――と見せかけヴィレンが急旋回。自らを狙う閃光をヴィレンは真正面から対峙し、最小限身体を捻る動作のみで紙一重に躱してのける。
大地に直径10メートル近い大穴が七つ穿たれるのとほぼ同時、
「第六の終焉《大神を刻む終斬》ッ!!」
ヴィレンの刃が直線上にある尽くを微塵に斬り刻む。
以前、ザインが使用した『血華』に攻撃密度は劣るも攻撃範囲はそれを遥かに凌駕する。
視界いっぱいに広がる超広範囲殲滅攻撃。アリエルは両手を広げ瞬時に盾を構えた。
「椿の花盾〝白実〟!!」
展開する白き椿の花弁。華を操る美天使ヨフィエルの能力である。
瞬間、ズガガガガガガ―――ッと乱舞の音色奏でる斬撃の嵐がアリエルを襲った。そうそれはまさしく暴風だ。嵐のごとく吹き荒れ全てを薙ぎ倒す直線型の台風のように。
形あるものないもの等しく微塵に斬られた空間。嵐が過ぎ去った後に残ったものは、斬撃を耐え凌いだ白き花弁のみ。
はらはらと散り行く椿の盾。ヴィレンの斬撃を防ぎ耐久に限界が訪れたのだろう。
その様子をヴィレンは静観する。だが、その花弁の内にアリエルの姿はなかった。
「な―――っ!?」
言葉を失うヴィレンの背後。白銀の閃光が舞う。
「―――上腕剴攻『腕立伏我』!!」
ヴィレンの目を掻い潜り背後をとったアリエルの拳が、ヴィレンを狙い打つ。
一歩出遅れたヴィレン。
たった一歩。されど一歩。刹那の時を巡るヴィレンとアリエルの闘争では、その一歩が命取りとなる。
「う、!!」
ヴィレンの身体とアリエルの拳の隙間に、なんとかヴィレンの剣が間に合った。アリエルの拳が剣側を捉える。
「ハアアアアッ!!」
「づっう………!!」
アリエルの華奢な身体からは想像を絶する威力。まるで隕石に殴られたかのような衝撃にヴィレンが吹き飛ぶ。緑の王国の大森林に突っ込んだ。
バキバキバキッと壊音をたて倒木する木々。だがアリエルは攻撃の手を緩める気はない。頭上に手をかざす。
「天使の怒りを受け取りなさい!!」
天にかざした彼女の掌に『聖なる炎』が、白く燃ゆる炎の珠が生成された。
「聖天憤怒」
見た目は掌サイズの魔球。メラメラと形の定まらない炎の球。けれどその可愛らしい見た目とは裏腹に、その魔珠には膨大な魔力が凝縮されていた。
アリエルの掌から放たれた炎の球が、大森林に衝突したかと思うと、直後。大炎柱が吹き上がる。
直径およそ1キロメートル、雲を突き抜けんとばかりに遥か上空まで昇る白の火柱は、木々や川などはもちろん、柱の内に存在する全てを等しく焼き尽くす。
規模が違う。火力が違う。大森林の一角を一瞬で焼け野原に変えた。
「―――おいおい。少しは手加減して打てよ。自然を大切にって言葉を知らねぇのか?」
どこからともなく、いや、火柱の中より炎の燃焼音に遮られながら、たしかに男の声がアリエルの耳朶に響いた。そしてすぐ、天を焦がす火柱が一瞬で消滅した。そう消失だ。消火とは違う。正しく消滅したのだ。まるで『燃えている』という事象を根本から取り除いたかのように、天変地異を天変地異で上塗りしたかのごとく、森を焼く炎が沈火した。
「第八の終焉《虚焉を喰呑む終淵》」
1人焼け跡に佇むヴィレンが、剣を肩に担いでみせる。擬神化の影響で服も一風様変わりし、黒衣に身を包んでいるのだが、その服に焦げ跡などは見当たらない。さきの炎ですら少年に火傷一つ負わせることはできない。それが今のヴィレン・ドラグレク。破壊神の力を行使する少年の実力だ。
「ええ、あなたが息絶えた後にでも『天水』で消火するつもりでしたよ?」
「そういう意味じゃねぇよ」
驚いた様子も見せず朗らかな笑みを浮かべるアリエルは、この結果を予測していたのだろうか悔し気な表情すらも外に出さない。
「ああ、なるほど。自然は大切に、ということでしたか」
軽口を交わすアリエルの右手に、またしても尋常ならざる魔力が収束していく。
「そうそう、それそれ。自然は大切に、な?」
「では、これでどうでしょうか?」
言って、アリエルは魔力弾を放った。ヴィレンのいる方向、ではなく明後日の方角に。
「いやだから、自然は大切にって今言ったばっかり――――」
やれやれと肩をすくめ、魔力弾が放たれた方角に目を向けたヴィレンの表情がピクリと固まる。それを見てアリエルの口元が緩む。
「―――およ? うちの見間違いっすかね。"アレ"こっち向かってきてないっすか?」
ヴィレンとアリエルの闘いを、五大国合同キャンプ地から固唾を飲んで観戦していたウィーがぽつりと呟いた。
「あ? 何いってんだよそんなわけ………」
ウィーの指差す方に視線を向け「………あるくね?」カルラが固まった。
途端、キャンプ地に悲鳴が巻き起こる。
このキャンプ地に集う戦士はひとえに一流だ。一流だからこそ理解してしまう。理解できないという現実を理解してしまう。
恐怖に泣き叫ぶ者。現実逃避に膝をつく者。我先にと逃げ出そうとする者。
キャンプ地は荒れた。
「皆さん落ち着きなさい!!」
エスティアの呼びかけも虚しく、混乱の渦は収まるどころかさらに加速し収集がつかない。
「落ち着いていられるか!?」「どけ!! 止まるな逃げろ!!」「あんなのどうやって止めるんだ!?」「終わりだ、もう終わりだ……!!」
魔王軍に冒険者、紅焔騎士団に魔法部隊と忍連軍。荒れる荒れる大荒れだ。大荒れの人混みに紛れてウィーがぼやく。
「やー、ありゃ無理っすね。人類にゃ止められないっす。せめてライガさんがいてくれれば……」
豪傑の勇者ライガ・ドラグレク。彼の勇者が契約する守護神の盾『アイギス』。あの絶対防御さえあれば話は変わってくるのだが、エメの能力によってダンジョンからキャンプ地に飛ばされた後、ライガはフウガ達と共に再度ダンジョンへ向かって行ってしまった。
「フィーナちゃんは俺の後ろに!!」
カルラが男をみせフィーナを背中に庇う。
「いやいや後ろも前もまとめてふっ飛ばされますって……カルラさんまさか、また使う気っすか!?」
「またも何も今使わないでいつ使うってんだ。安心しろ。ウィーのことも助けてやっからよ!」
「や、だめっすカルラさん!!」
え?と状況を飲み込めないフィーナも、ウィーの慌てぶりにカルラが何か危険なことを始めようとしていると聡る。
「そうですだめです、それを使ったら私、カルラさんのことを一生許しませんからね!!」
「えあぅっ!? いやでも、それでも俺はフィーナちゃんを!!」
確実に迫る魔弾の脅威。四方八方慌てふためく戦士の驚異。もはや静めることができぬとエスティアが諦めかけたその時、
「―――うるッせェ黙りやがれェえッ!!」
「「――――っ!?」」
一人の叫びが騒ぎを塗り潰した。
静まり返る戦士の視線が一点に集中する。
皆の視線を一身に浴びる者の正体は顔に傷のある白髪の男。『盗賊』クランマスター、ウェルガー・クロウである。
「みっともねぇ醜態さらしてんじゃねェぞクソ共ォッ!?」
彼の言葉は罵声から始まった。
ガドロフ達とはジャンルの違う強面ぶり。狂気と怒気の入り混じった雰囲気に戦士達がゴクリと唾を飲み込んだ。
「おいてめェら、さっきまで死を覚悟してダンジョン登ってたんじゃねェのかァ? 死ぬ腹ァ決めて挑んでたんじゃなかったのかよ、なァおいッ!?」
彼の言葉は酷く暴力的で品がない。
怯える者が多いこの雰囲気の中、反論や異論を唱える声は上がらない。「たしかに俺達は――」「――黙れ兄貴が喋ってんだろ殺すぞ?」弟のシルバーが上げさせない。
「それがなんだァ? 戦場から遠ざかって安心でもしたかァ? 死なねェで済むと本気で思ってたのかァ?」
例えるならそれは剥き出しのバトルナイフのように。鋭利な刃が迷い無く聞く者の精神を抉り削る。
「はッ! くだらねェ!だらしねェ!みっともねェ!! 自覚しろ、思い出せ!! てめェらは何のために戦場に立ってやがる!? 泣いて叫んで命乞いするためか? 笑わせんな。そんな覚悟で戦場に来たのか? なァおいてめェに言ってんだお前に聞いてんだ!!」
気づけば戦士達みながウェルガーの言葉に耳を傾けていた。
泣き叫んでいた者も。現実逃避に膝を折っていた者も。逃げ出そうとした者も。そしてウェルガーの発言に苛立ちを覚えた者も。
「俺らの代わりに命張って戦ってるバカがいやがる。頼んでもねェのに命かけて俺らを守ろうと一人で戦ってるバカがいやがるんだ……」
「「………」」戦士達が息を呑む。
またウェルガーの狂気や怒気に気圧されたのではない。彼の言葉に感化され、感銘を受け、冷静さを取り戻した。今度こそは〝覚悟〟を決めて息を呑んだ。
「腑抜けるな。ヘタれるな。最後まで腹ァ決めて堂々としやがれってんだ」
ハッと吐き捨て、ウェルガーは魔弾を見据える。戦士達も覚悟の面持ちで魔弾を見る。すると、ピ――ッと魔弾に亀裂が入ったかと思うと、爆散。魔弾に込められた魔力が派手に爆ぜる。
「―――なんだよカッコイイじゃねぇか、ウェルガー」
爆風の中から聞こえた声は僅かに弾んでいる。
「何だかてめェに言われると腹が立つ、ヴィレン」
間一髪で魔弾を切り裂き、黒衣を羽織ったヴィレンが宙に浮いている。
「てめェこそその格好、カッコイイじゃねぇかよ」
「だろ?」
この二人の関係を指すならそれは『戦友』という単語がぴったりだろう。
死天使サリエルとの闘いを経て、ヴィレンとウェルガーの間に確かな絆がそこにある。共に死闘を乗り越えた仲だ。口にはせずとも互いに信頼し合っている。
「兄さん!!」
「レンレン!!」
その呼びかけに、ヴィレンは苦笑をもらした。
「……フィーナ、カルラ」
ヴィレンの元に駆けてくる銀と濁金の二人。
「やっぱ使ったのか。バカ野郎……おまえはほんっとにバカだ!!」
そんな罵倒を浴びた。アリエル……いやミカエルに射抜かれた傷は完治したのか。悔しそうに歯を食いしばるカルラは新鮮だった。
「兄さん……、大丈夫、なんですよね?」
震える声が、ヴィレンに届く。
「ちゃんと生きて帰ってきてくれますよね?」
途切れそうなほどか細い声が、少女から発せられる。
「約束、しましたもんね……私を一人にしないって。約束、してくれましたもんね……?」
そんな妹の嘆きに、ヴィレンは迷うことなく、
「そうだな。俺はフィーナのそばにいるよ。ずっと、ずっと」
「――――っ、」
フィーナの顔が歪んた。今にも泣きそうな顔をしている。それを必死に我慢している。
「絶対ですよ、絶対……!」
「ああ絶対だ。兄ちゃんが約束破ったこと、今までにあったか?」
「よく夕ごはんの時間に遅れていました」
「あー、うん。それは……」
ポリポリと頬を掻き、返答に困るヴィレンの元に、白き翼が現れる。
「守りながら戦わねばならないというのは何儀なものですね」
「ほんっと嫌な奴だよ、お前」
ゆっくりと振り返るヴィレンに、アリエルは一つ微笑み、
「むしろこちらが本命。人類の殲滅こそが私の目的」
ばさっと音を奏でその純白の翼が広げられる。アリエルの手に魔力が集中し剣が形作られていく。銀の柄から伸びる美しい鋼の刀身は、静かな殺意をヒシヒシと感じさせる。
「神の力を使おうとも、あなたが『人』である以上あなたに勝ち目はありませんよ、ヴィレン」
その瞬間、ヴィレンの脳裏に一つの記憶が蘇る。幼き頃の記憶。
ははっ、とヴィレンは笑ってみせた。
「昔俺の尊敬する人が言ってた。人間っつー生き物は大切な奴のせいで弱くなる生き物だ。でも、大切な奴らのおかげで強くなれる生き物でもあるってな」
まさにその通りだとヴィレンは思った。親父の教えは間違ってなんかいない。芯底から際限なく力が溢れてくる。
「この重さの温もりを知らないお前なんかに、俺は倒されてやらねぇぞ七聖アリエル」
この問答に意味はないとアリエルは悟る。所詮ヴィレンの強がりでしかない。そう思いたいと信じる気持ちの問題。それがアリエルには理解できない。デメリットはどう転ぼうとデメリット以外の何物でもない。
これ以上の言葉は無意味。アリエルは剣を構えた。
「ならば守ってみなさい」
極低音の宣告と同時にアリエルが動いた。その動きにヴィレンも対応し剣を合わせる。神速の剣舞が繰り広げられる。
「「…………っ!!」」
戦士達は息を呑みただ二人の戦いに魅入った。
ヴィレンの斬撃が地を裂き天を別つ。剣舞の隙間に混ぜたアリエルの魔弾をヴィレンが弾く。軌道の逸れた魔弾は四方へ吹き飛び彼方に被弾。山が跡形もなく消し飛んだ。
一秒置きに地形が変わる。十秒置きに天候が荒れる。剣と剣とが交わるたびに世界が怯えた。
それはもはや神話の戦いだった。二人ともが神の領域に踏み込んでいる。もう誰もこの二人の戦いを止めることはできない。どちらかが力尽きるまで終わらない。
実力はほぼ拮抗している。ならば必然的に先に力尽きるのは―――。
「いいかげん信念を曲げ、プライドを捨てたほうがいいのでは? 力に耐えきれずあなたの身体が持ちませんよ。ほら。私が手を下さずとも、死はすぐそこまで迫っている」
アリエルの指摘は正しい。ヴィレンの身体は負荷に耐えきれずすでに『崩壊』が始まっている。命の寿命が尽きようとしている。
もってせいぜい10分が関の山だろう。ヴィレンもそれを弁えている。
理解しているからこそ、ヴィレンは終わりを加速させる。
「プライドはもう捨てたさ。リヴィアに泣きついたときにな!!」
「……愚かな」諦めの悪い男を前にため息を一つ。アリエルの魔力が膨れ上がる。
「《聖霊遊戯》聖帝干雄士」
「こいつは、まさか天使!?」
ヴィレンの周囲見渡す限りに出現する千体もの『天使』。キャンプ地にいる戦士達の表情が青ざめる。
「さぁ――、守れるものなら守ってみなさい!!」
アリエルの司令を受け千体の天使軍がヴィレンとその背後の者達へと一斉に襲いかかる。
天使一体一体の個体性能はアリエルに遠く及ばぬにせよ『七大天使』に匹敵する。並の戦士では束になっても歯が立たない。人類殲滅の要。アリエルの魔力の大半を贄とした最終手段である。
死を運ぶ天使の地獄絵図に、ヴィレンは言葉を失っていた。
戦意喪失とばかりに鞘に剣を戻すヴィレン。それをアリエルがせせら笑う。
「折れるだけでは足りぬのです。砕くだけでは生ぬるい。二度と立ち上がれぬよう、徹底的に!!」
勝利を確信し歓喜に満ち満ちるアリエル。
視線を隠し、押し黙るヴィレンの口元がニヤけた。
「そうだよな。そうくるよな。それを待ってたんだアリエル!!」
鞘と鍔とが重なる金属音。それを合図に、音にならぬ音が世界に満ちた。
「―――第四の終焉『絶命を詠いし終奏』」
それは悲鳴だろうか。それは歌声だろうか。背筋が凍るほど美しい死の舞踊曲。
「な―――っ!?」
意識が刈り取られる。明確な死を。死のイメージを。アリエルは体感した。
意識が現実に浮遊する。自らの胸を見下ろす。触れる。刺された後はない。呼吸の仕方を思い出して、それから―――
「これ、は……!?」
現状を把握したアリエルが目を開いた。
千体の天使が息絶えていた。
「バカな!?」
ありえない、そう思った。だが相手は破壊神。ありえないなんてことがありえない。アリエルの知識や常識なんてものが通用しない存在なのだから。
「―――第五の終焉」
アリエルが刈り取られた意識は一瞬。一秒にも満たない。けれどその一瞬が神々同士の戦いでは命取りとなる。
「神々を屠殺せし終撃――ッ!!」
振り上げられる天災。下方向から舞い上がる悪夢。
盾は……間に合わない!!
一瞬の判断。アリエルは剣を選んだ。
ヴィレンの攻撃にアリエルが攻撃をぶつけて相殺―――はできずに遥か天空に吹き飛ばされる。
「―――くッ!!」
アリエルは歯に噛んだ。
傷は浅く既に再生が始まっている。支障はない。
「天より来たれ〝天剣〟」
アリエルに――『七天』に授けられた神の聖剣。
「もはや手段は選んでいられませんね。星ごと砕いて終わりです」
顕現させた聖剣を逆手に、アリエルは聖剣を投擲した。
「大地を貫き星を穿て〝天裁〟!!」
それはアリエルの保持する最強にして最大の攻撃。聖剣投擲〝天裁〟。
投げられた聖剣は魔力を纏い肥大化する。
その一投は神を屠るべく託された。
その一投は星を穿つべく放たれた。
上空から墜ちてくる巨大な聖剣をその目にヴィレンは直感する。
「第二の終焉〝破壊の眷属達の終宴〟」
アレはヴィレンの本気をもって挑まねば死すと。そして同時にアレはこの場で確実に壊さなければならぬ類のものだと。
「第五眷属カーリー、第六眷属イシス!」
《魔象を断絶せし一閃》は使えない。《ヴァイオレス・ロスト》を使えば魔力で生成された聖剣は斬れるだろう。だが斬れるだけだ。聖剣は下に墜ちていく。勢いを殺さず、威力を弱めず、聖剣は星を砕くだろう。
だから何が何でも、あの聖剣はここでヴィレンが砕かなければならない。
「極撃と虚無の狂焉〝終撃と終斬ッ!〟」
超広範囲殲滅攻撃《大神を刻む終斬》と超高威力超圧縮攻撃《神々を屠殺せし終撃》の混合秘技《終撃と終斬》。ヴィレンが今使える最強の技だ。
終撃と聖剣が衝突する。
最強と最強のぶつかりあい。力と力の攻めぎあい。両者の間に守の一文字はなく、互いを喰い殺さんとばかりにぶつかりあう。
一時の均衡。
一瞬の静寂。
聖剣が終撃を敗った。
落ちてくる聖剣をヴィレンが黒剣で支える。
「―――づっ、ぁ!!」
服が飛び皮膚が裂ける。筋がはち切れ骨が悲鳴を上げている。
ヴィレンは吠えた。
「うを、おおおおおおおおおおおッ!!」
あと少し。あと少しで―――。そんなヴィレンの心を折るかのように、
ばつん―――。
「――――あ」
先に身体の方に限界が訪れた。
体勢が崩れる。力が抜けていく。聖剣に圧される。
―――ここで、負けるのか――?
―――これで、終わるのか……?
―――命をかけても届かないのか?
大切な奴らも守れずに、俺は……。挫折し死を覚悟しかけたそのとき、燃えるような赤い髪が視界を舞った。
『――ったく。最後まで世話の焼ける息子だぜ」
懐かしい声に打たれ、ヴィレンの瞳が大きく見開かれる。
「親、父……?」
そう。そこにいたのは今は亡き《騎士王》ザイン・ドラグレク。
ヴィレンの師であり、父たる男だ。
「親父なのか!? なんで、死んだはずじゃ……」
『なんでもかんでもねぇだろ。息子のピンチに駆けつけんのが親の役目だろうが?』
違うか?なぁ嬢ちゃん、とザインはもう一人の方に言葉を投げる。
『―――そうそう。それが嫁の務めでもあるのです』
その声に、今度こそヴィレンの心が揺れた。
そこにいたのは美しい金の髪を伸ばした少女。紅い瞳が特徴的で、白い肌をした少女。
「アリシ、ア……?」
俺は夢を見ているのか、とヴィレンは思った。
父と嫁である最愛の二人が目の前にいる。その現実が受け入れられない。
伝えたいこと。話したいこと。山ほどある。思い出が膨らむ。愛しい記憶が蘇りかける。
まさか俺はもう死んだんじゃ……なんて想像を膨らますヴィレンに、アリシアは言う。
『ごめんねヴィレンくん。思わぬ再会にお互い伝えたいことは山ほどあると思うんだけど、でもそんな時間はないみたいだから。だから』
『―――大好きだよ、ヴィレンくん!』
その一言に、アリシアの全てが詰まっていた。
ヴィレンは歯を食いしばり、言葉を飲み込んだ。
「――――ッ、ああ……俺も。俺も好きだよ、アリシア……!!」
もう恐れはなかった。
「親父、アリシア、俺に力を貸してくれ!!」
『はッ、仕方ねぇな!』
『うん、任せて!』
これほど心強い助っ人は他にいない。
こんなにもヴィレンの心を奮い立たせる存在は他にいない。
二人がそばにいてくれる。それだけでヴィレンは戦える。
『バカ息子。テメェは前だけ見て突き進め。聖剣は俺と嬢ちゃんが抑えててやる!!』
『行って、ヴィレンくんっ!!』
二人の声に背中を押されてヴィレンは飛び出した。
新たに熾す闇の魔力。聖剣を斬り裂き、ヴィレンはさらに加速する。
「うおおおおおおおおおおおッ!!」
黒の魔力とは別に、黒剣の刀身が淡い紫紺の輝きを放っていることにヴィレンは気づいている。《第七の終焉〝冥界を守護せし終影〟》。冥界より眷属を召喚する破壊神の秘技の一つ。もし仮に擬神化した影響によりガルデバランの能力の一部が改変されたとする。例えばそう、冥府より眷属ではなく使用者に縁のある死者を召喚する、とか。
なんでもいい、とヴィレンは思った。二人に会えた事実は変わらないのだから。
猛る想いを刃に乗せる。巡る思いを剣に込める。
斬れぬものはないと錯覚する程度には、今のヴィレンは無敵だった。
聖剣を断ち切り、視界にアリエルの唖然とする顔が映る。
「これで終わりだ、アリエルゥ――――ッ!!」
漆黒の刃が、無防備なアリエルの肉の内に喰い込み、肉体ごと全てを断ち切った。
擬神化で真の能力に覚醒したバイオレス・ロストの一撃は、斬撃の事象をアリエルの身体に刻みつけた。つまりアリエルに再生を許さない。
「まさか、まさか私がッ!? この私がッ!! 負けるなどあっては………!!」
淡い光が昇る。アリエルの肉体は仄かな白銀の輝きを伴い、そして、完全に消滅した。
「お許しください。唯一神、様―――………」
少なくとも今この場においては、もう二度とアリエルの肉体が復活することはなかった。
「………」
地上に降りる――余力は残っておらず、半壊したダンジョンにヴィレンは降り立った。
周りに瓦礫がゴロゴロと転がっている。
「勝った、のか……」
ぽつり、そう呟いた。
「ああ。お前の勝ちだレン」
その呟きに反応するのは、剣から擬人化したリヴィアだ。
「そうか、良かっ―――」
安堵に突然身体の力が抜けた。疲労も溜まっていたのだろう。集中の糸がぷつりときれた。
そのまま床へと倒れかけるヴィレンを、ぽふっ、とリヴィアの胸が迎え入れる。
「はは、もう、身体が動かねぇや」
「疲れただろう。少し休め」
「ああ、そうさせてもらうよ」
ヴィレンはリヴィアに支えられながら、床に寝転んだ。
「どうだ、私の膝枕の感触は?」
「最高だな。ずっとこうしてもらいたい気分だ」
「ならずっとこうしていてやろう。お前が眠るまで、ずっとな」
「そうか。そりゃあ、ありがてぇ」
ヴィレンは瞼を閉じる。眠くて仕方がない。まるで本能が活動を停止しようとしているかのように、眠りの誘いがヴィレンを誘惑する。
「寝て起きたら、一緒にどこかに行こう」
そんなことをヴィレンは口にする。
「海でもいい。山でもいい。また一緒に世界を周ろう。今度は二人きりで」
「……ああ」
リヴィアはヴィレンの額にかかる髪をわける。
「ああでもフィーナの結婚式までには戻ってきてぇな。フィーナの花嫁姿。白いドレスが似合いそうだ……カルラの花婿姿を見たら一発殴っちまいそうだけどな、はは」
「ああ、そうだな」
それから少しだけ沈黙が降りた。
「リヴィア、いるか?」
そんな問いをヴィレンが投げた。おかしいものだ。リヴィアはずっとこうしてヴィレンのことを膝枕しているというのに。
「ああ、いるよ。お前のそばに」
「……そうか、良かった。ずっと、俺のそばにいてくれ」
「ああ、約束だ。ずっとお前のそばにいてやる。だからもう休め。お前は少し、頑張りすぎだ」
「そうか……そうだな」
そう。ここにくるまで色々あった。色々なものに別れを告げてここまできた。心残りは、もう――。
「……ああ、そうだ。寝る前に、一つ言い忘れてた」
「ん、なんだ? 言ってみろ」
優しい声に、ヴィレンは甘える。口元を緩めて、彼は―――、
「俺と、結婚してくれ、リヴィア」
途端、リヴィアの顔面が大きく歪んだ。ここまでどうにか保っていた平静さが崩れていく。瞳が揺らいで潤んでいく。
「―――ッ、……ああ、結婚してやる。お前は危なっかしいからな。わたしが側で見ていてやらないと何をしでかすかわからんからな……」
リヴィアの声は震えていた。彼女がどんな顔をしているのか、もうヴィレンにはわからない。
ヴィレンは心底嬉しそうに笑って、それから、
「ああ、良かった……これで、思い残すことはもう何も―――――」
その先の言葉は、風がさらっていった。
強い風が広間に吹く。
ヴィレンだったものは、あっという間に大空へ舞う。
ぽたり、ぽたりと。軽くなったリヴィアの太ももに、もうヴィレンのいない太ももに、ひとつふたつと雫が落ちる。
「………バカ者」
再びぽつりと呟いた。
広いダンジョンに一人ぼっちになった少女は、静かに涙を流し続けた―――。