第173話 グランド・クロス
神話の争いに敗北し、唯一神の手によって神々が封じられし器を神器と呼ぶ。
その神器、即ち神に選ばれた者を人は勇者と呼んだ。勇者は神器に封印された神々の力の片鱗、ほんの一部を借り受け行使することができる。
とはいえ、行使できる力は精々神々本来の力の20パーセント程度でしかない。それ以上の力を勇者は扱えない。神がケチだとかそういう話じゃない。単純に勇者の身体が保たないだけだ。神々の強大すぎる力は人には些か身に余る。
もしリミッターを外し人が神の力を行使しようものなら、その器は力に耐えきれず壊れてしまうだろう。つまり死ぬ。
「身の丈に合わぬ力には、必ず代償を迫られる。それが擬神化だ」
擬神化の説明をするリヴィアの顔は暗い。
「初めに交した神々との契約を、再度結び直すことでのみリミッターを外すことができる。鍵は私の神名だ」
「神名?」
「ああ、今から教えてやる。順番というものがあるのだ急かすな」
「お、わりい」
「ああ、悪いよお前は。本当は教えたくなかったんだ」
「ごめんな」リヴィアの頭を優しく撫でる「でも、もう決めたんだ」
「本当に、仕方のないやつだお前は」
呆れたようにリヴィアは一度嘆息した。
「ならばもう一度問おう、レン。お前の魂は私のものだ。最後の時まで私とともに在ることをお前に誓えるか?」
「誓うさ。俺の魂はお前のものだ。最後のその瞬間までお前と一緒にいるよ、リヴィア」
そう、それが俺とリヴィアが交した契約。
リヴィアの額がトンと俺の胸に埋まる。
「約束だからな……バカ者」
泣きそうな声で、リヴィアはそう言った。
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神器より流れてくる力が体内を巡る。血管一本一本。細胞の一つ一つに、淀みなく熱が循環していくのがわかる。
たちまち俺を犯し支配する優越感と全能感。気分がいい。心地いい。気を抜けば溺れてしまいそうになる。底のない力の泥沼に。借り物の力の神髄に―――。
「………」
気づけばすぐそこまで、手の届く距離までミカエルの聖槍が迫っている。
右手の剣で聖槍を軽く弾いた。爆風が荒れる。粉煙が一掃される。ミカエルが吹き飛んだ。
「ああ……こいつが擬神化。破壊神の力。これがお前が見ていた景色か」
俺では決して至ることのなかった遥か高みの景色。泡沫の夢。手の届かぬ雲河さえもを突き抜けたその先の風景。比類無き山峰からの眺めは。
見上げている間はわからない。辿り着いてようやく知る。肩を並べて初めて理解する。
―――ああなんて………孤独なのだろう、と。
周りには何もない。誰もいない。一人、頂に立つ。孤独な少女。
『完全とは一種の呪いです。完璧とは一種の終わりです。完全とは即ち定められた限界なのです』
ラファエルが言っていた言葉の意味が、今なら少しわかる気がする。
望むべくもなく『最強』を与えられ『完全』を押し付けられて。そこに当人の意思はなく気持ちなど関係なしに、生まれたその瞬間から『神』という名の運命に囚われた。
頂の景色は少し寂しすぎる。女の子が一人で立つには苦しすぎる。
「これ、は………まさかここまでとは」
吹き飛ばされ距離の開いた場所で停滞するミカエル。その瞳には動揺と警戒の色が濃く滲んでいる。先ほどの一撃が効いているようだった。
「―――ですが」ミカエルは服の袖で口元の血を拭う。拭った腕とは逆の腕を空に伸ばした。
「刻は満ちました!」
直後、光が消えた。
世界を照らす陽光が、月に喰われた。日食である。
「太陽と月が重なり、宇宙に浮かぶ惑星達もがこの星を中心に十字に並ぶ。この星が世界の中心となる時すなわち《グランド・クロス》」
世界が夜に落ちる中、光源は微かに漏れる太陽の木漏れ日だけ。夜空に輝く星の煌めきよりも儚い。
「いくら天使を打倒しようとも、最後に一人残ってさえいればそれで良い」
持ち上げたミカエルの手の中に7つの光が灯る。よく見ればそれは七色の羽だった。黒。桃。橙。水。蒼。黄、そして朱。七枚の羽。七天の欠片。聖なる輝き。
「集えよ七天。死の概念を持たぬ七翼よ。一は全となり全は一に帰す。今こそ一つとなりて唯一神様の名の元に正義を執行する時です!!」
ミカエルの宣言に呼応し7つの光がミカエルの元に収束する。眩いばかりの発光が収まると、ミカエルの姿は消えそこには新たな天使の姿があった。
美しい白金の長髪。中性的な顔立ち。汚れを知らぬ純白の翼。
「第零天使《七聖》のアリエル。さぁ、終わりを始めよう。正義の元に断罪を。人の罪には粛清を!!」
変化したのは姿形だけではない。魔力の質やプレッシャー、何もかもがミカエルを上回っている。ともすればそれは神々にも匹敵する力の塊だ。
「終わりを始める? バカを言え。終わるのはお前だけだよミカエル」
俺は口の端を釣り上げた。
「俺がお前の終わりを終わらせてやる!!」
直後、黒と白とが衝突した。
ダンジョンが音を立てて爆ぜる。