第167話 勇者の企み
これから俺達は、天使達との最終決戦に挑もうとしている。
ちょっと胃が痛い。
思い返せば、これまで色々な戦場を戦い抜いてきた。その度数々の強敵と剣を交えてきたつもりだ。中でも一番の大物は間違いなく第七天使サリエルだろう。しかしこれから俺達は、そのサリエル級の天使三体を同時に相手しなければならない。
はっはっは、まったく無謀なことこの上なし。
できることなら全て放り出して、好きな女と逃げ出してしまいたいところだが、それはしない。
戦うと決めたから。抗うと誓ったから。守ると、そう定めたから。
後悔だけは、したくないから―――。
決戦当日の朝は快晴だった。
俺達の戦出を祝福してくれるかのように、雲一つない青空が広がっていた。
風が心地いい。空気が美味い。
軽く伸びをしてみる。
軽く魔力を熾してみる。
うん、絶好調。
俺達はダンジョンを登る。
足を止めることなく、真っ直ぐに最上階を目指す。
侵入者を感じ取り、ダンジョンに潜む敵が襲いかかってくる、なんてことは一切なかった。
俺達人間など遅るるに足らず、迎え撃つ必要がないからだ。
ダンジョンを上がるにつれ、緊張感にみな口数が減っていく。いつもどおり陽気に振る舞っていたのは俺達だけ。
天使カマエルが守護していた階層に到着した。
今も尚残る戦傷。大地は避け壁には無数のヒビが入っている。前回と変わらない光景に、俺の胸中が少し揺らぐ。
フウガとライガが何やら神妙な面持ちで傷跡を眺めていた。
変わっている点が一つだけあった。階層の中心、丁寧に上階へと続く階段が設置されていた。
罠はないだろう。ないはずだ。ないと思いたい。
俺達は階段を登っていく。
長い長い階段を登った先に、俺達は大きな門の前にたどり着いた。
魔王城の玉座の前に設置してある門――ガブリエルとの戦闘で今はもう無き門――に似ている。恐らくは、この先に天使が俺達を待ち受けているのだろう。というかこんな盛大な門の先に何もなくては逆におかしいというものだ。
皆を代表し、1歩前へ出る。
この門を開けば、二度と後戻りはできなくなる。
後悔をしないために、手段を尽くせる場は今この瞬間しかない。
門に手を添えようとして、それから俺は、後ろを振り返った。
「………」
視界に映る仲間達の影。
何十人という精鋭が、死ぬ覚悟を以てこの場に列なっている。
家族がいる者。恋人がいる者。守るべき国民がいる者。
それぞれがそれぞれの思いを以てこの場に望んでいる。彼らの胸中に等しくある思いは、大切な者を守るために――。
俺も思いは一緒だ。
守りたい奴がいる。死なせたくない奴がいる。幸せになって欲しい奴がいる。
「兄さん?」
俺の視線に気づき、フィーナが疑問に眉を寄せる。
そんな妹に向け俺は、笑った。
そして一言。
「悪ぃ」と。
瞬間、フィーナ達の足元から足場が消えた。
「なんだこれは!?」「階段がッ!?」「誰か助け―――」
足元に広がる黒い闇が、仲間たちを次々に飲み込んでいく。穴に落ちていく。
「やられたっす……!!」初めて見せるウィーの怒顔に胸が痛んだ。
「これは……まさか!?」カラクリに身に覚えのあるエスティアが、答えを口にするよりも早く闇に消えた。
「なんだこれ!?」フウガの驚声「ヴィレンお前一人で!!」ライガの怒声。
「兄さん、兄さん――っ!!」こちらに伸びるフィーナの手が、何も掴めず空を切った。
たった3秒足らずで、仲間たちの姿がダンジョンから消失した。
シンと静まり返るダンジョンには、俺と彼女以外の人影はない。
「これで満足した?」
「ああ、ありがとな、エメ」
相変わらず表情の乏しいエメが、美しい白銀の髪を揺らす。
仲間たちを飲んだあの黒穴はエメの仕業である。こういう言い方をしてはエメが悪者扱いされると困るが、現況は全て俺の企みで、エメは協力してくれただけだ。
領域の勇者は数々の能力を備えている。
そのうちの1つ。事前にマーキングを施していた空間と現在いる空間を繋ぐゲートを作ることができるらしい。
「それで、アイツらをどこに飛ばしたんだ?」
「昨日のキャンプ地」
少し考え「キャンプ地なら、大丈夫か」頷いた。
ダンジョンとキャンプ地の間にはかなりの距離がある。ということはつまり、どんなに急いだところで、今からじゃ絶対に間に合わない。
「じゃ、私は行くから」
エメはそう告げると、仲間たちを飲んだ黒穴――人一人が入れる小さいの――を生み出した。
「ああ。付き合わちまって悪いなエメ」
「いい。私はティアが死ななければそれで」
「そうだ」とエメは何かを思いだしたように回れ右し、俺の前までくると右手にハマった指輪の中から1つ、黒色の宝石が埋め込まれた指輪を俺に手渡してきた。
「効果は一度きり。上手く使って」
そうして今度こそお別れだ。
「私はあなたのこと、嫌いじゃなかった」
振り返らず黒穴に消えていくエメが最後「さようなら、ヴィレン」と残した気がした。
再び静まり返るダンジョンには、今度こそ俺以外の人影はない。
「リヴィア」
呟くと、腰に差していた剣が人の形に変化し俺の前に降りる。
不敵な笑みと共に、彼女は笑う。
「なんだ、心細くなったか?」
「ああ」
そう言って抱き締めた。
「ひゃ」と可愛い悲鳴。けれど抵抗はない。
今までの俺からは、想定もできない愚行。そう愚行だ。けれど今更もう、繕う必要はないだろう。
背中に腕が回される感覚。続いて優しく、それでいて強く抱擁される感覚。
あと少しこうしていよう。この時間が永遠に続けば、なんてバカみたいな妄想を続けていると、
「おやおやおや熱いねぇ〜青春だねぇ〜」
ここにいないはずの、3人目の声。
俺はこの声を知っている。
声のほうに視線を送ると、濁った金髪の少年が、階段を登ってくる。
「あー、そういや、見かけねぇと思った」
思い返せばエメが黒穴を作ったとき、この男の姿が見当たらなかった。
「カルラ」
どこか飄々とした様子で、妙に落ち着いている。
「お取り込み中悪いねぇお二人さん。いやぁ、便所探してたら置いてかれちまってさ〜?」
コイツの言っている言葉は何が嘘か本当かなんて俺にはわからない。
本当に便所を探していただけなのか、それともエメとの昨日の会話を盗み聞きされたのか。いや、理由は何だっていい。カルラがここにいるという結果は覆られない。
運が良いというか悪いというか、最後まで思い通りにならない奴だ。
俺の前までくると、カルラはぽんっと、拳で俺の胸を軽く小突いた。
「へへっ、一人で行くなんて、水臭ぇなぁレンレン」
「ははっ、一人じゃねぇよ。リヴィアとデートだ。邪魔すんな」
「そうだ。お前は帰ってフィーナと一緒にいてやれ」
「それは俺が許さん」
軽く三人で冗談を交わしあった。いつものように。
本当に思い通りにならないなと思った。
加えてこれが親友というものなのか、とも思った。
嬉しくもむず痒い。けれど温かい。これほど心強い存在は他にいない。
「んじゃ、いくか」
「ああ!」「おう!」
この門の先に待っているのは絶望だ。比喩なしに底なしの絶望が待っている。
けれど、今はその絶望が楽しみで仕方ない。
人生の集大成。17年と、短い人生だが、その時間に価値があったのか、試せることを嬉しく思う。
師匠もこんな気持ちだったのかな、なんて。
俺は門に掌を添えた。
力を込める。
「………」
力を込める。
「ん?」
力を、込める。
「は?」
けれど押せども押せども門はピクリとも動かない。
「おいおい何してんだレンレン。ふざける場面じゃねぇぞーここ?」
「さっきの雰囲気がぶち壊しだまったく」
などと背中に罵声を浴びるが、門が動く気配はこれっぽっちもない。
「いや、だって、この扉……」
格好もつかないし"ぶった斬っちまおうか"なんてどこかの戦闘狂みたいな思考が過る俺の気など知りもせずカルラが言った。
「レンレンこれ押すんじゃなくて引くのな」
「………」
この光景、この指摘に、かなりのデジャヴを感じた。
以前にもこんなことがあったような……?
「そんじゃ気を取り直して」
一つ咳払いの後呟き、俺は門を手前に引く、と同時に溢れてくる室内の光。
うん、想像以上に門は軽かった。
門の中、俺達は最後の戦闘に足を踏み入れた―――。