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剣に封印されし女神と終を告げる勇者の物語  作者: 星時 雨黒
第3章 終焉の十日間
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第161話 血棘と水棘

 重い瞼を開くと、目の前には曇天の空が広がっていた。


「……うっ」


 幾度目かの、顔面に砂屑が当たる感触で、フィーナは目を覚ました。


「私は―――ッ、痛……」


 突然の激痛に顔をしかめる。左肩が痛い。ものすごく痛い。折れたか、あるいは脱臼している可能性もある。

 無論ダメージは肩だけではなく、脇腹、太腿にも無数の擦り傷があった。

 いったい何が……と、フィーナの記憶が蘇る。

 ガブリエルとの遭遇。戦闘。それから爆発に巻き込まれて―――。


「そうでした……皆さんはっ―――きゃ!?」


 砂煙の中から何か巨大な塊がフィーナの真横に直撃した。咄嗟に喉から漏れたフィーナの小鳥のような悲鳴は、その破砕音、否衝撃音に打ち消された。

 

「―――ガっ、うぐぁ……!!」


 飛来した物体の正体は、黒い毛皮と2本の双角を宿した悪魔(デーモン)だった。


「……バロル・バルツァーク様!?」


「くッ……目覚めたのか、永久の妹よ……」


 見ればバロルの右腕はブランと垂れており、太腿には裂傷が奔る。フィーナとは比べものにならないレベルの重症だった。

 バロルは杖代わりに槍斧を地面に突き立て立ち上がる。食いしばった歯からギリリッと音が鳴った。

 これ程の重症を負ってもまだ動けるのは、単に種族としての性能だけではない。

 鍛え上げられた肉体。豊富な戦闘経験。魔王としての矜持(プライド)

 バロルは神器(ディアラ)で自らの重力を操り、強引に身体を酷使しているのだ。


「お待ちください。すぐに治癒魔法を……!!」


 悲惨な傷跡にフィーナはすかさず治癒魔法を行使する。全快は無理にせよせめて出血だけでも、と。


「もう大丈夫だ。礼を言う」


 出血が止まるや否やバロルはそう言った。少しでも早く前線に加わるためだ。

 前線へ踏み出そうとしたバロルの足が、ふいに止まる。

 バロルは空を見上げた。

 今にも降り出しそうな曇天の空を。


「永久の妹よ、ひとつ頼みがある」


「頼み、ですか?」


「其方の氷華(まほう)で〝雨〟を止めてはくれぬか?」


「檻ではなくて、雨ですか……?」


 フィーナはバロルの言葉の意味を、正しく理解することができなかった。

 見上げた空は曇っているが、別段今この場に雨は降っていない。

 それよりも、ヴェルリムを囲う水の檻の方が余程脅威に思えるがしかし。


「そう、雨だ」


 バロルは繰り返す。

 そしてその時。曇天の空からひと粒の雫が落ちた。


「今は我が抑えているが、そのせいで(ディアラ)の能力が半減されている」


 何を言われたのか、フィーナは一瞬固まった。そしてその直後、空からこぼれ落ちた雫がフィーナのすぐ側に落下した。

 息を呑む。雫が落ちた場所に穴が開いていた。凝固した思考が、次第に溶解していく。理解し、そして戦慄した。


「まさか、今までずっと……?」


 最初にガブリエルが仕掛けた雨の奇襲。10数秒に及ぶ無慈悲な殺戮。

 フィーナは勘違いしていた。あの雨は10数秒間のみで止んだのではない。10数秒後にバロルが止めたのだ。現在進行形で。バロルが空を抑えているおかげで。雨は止んでいるのだ。

 しかし魔王と言えど。いくら勇者と言えど。空を支配するには莫大な魔力を消費し消耗するだろう。

 そんな負荷(ハンデ)を背負いながらバロルは戦っているのだ。


「頼めるか?」


 ソレはいったいどれほどの負担なのだろう。フィーナにはわからない。ただその負担を軽減もしくは削減できれば。バロルが本来の力を、本気を出せれば………。


「やってみます……いえ。やってみせます!!」


「頼んだぞ、永久の……いや。フィーナよ」


 バロルはそう言い残し前線に駆けていった。

 その際バロルの口元が緩むのをフィーナはその目に捉えていた。


 この時フィーナは気づいていなかった。

 この戦いはバロル・バルツァーク1人が敗北した時点で終わりなのだということを。

 空に溜まった雨粒の数は数億を超える。それが一気に降り落ちれば、今度こそヴェルリムは跡形もなく滅び去るのだということを―――。





 瞳に意識を集中すれば、全てが見て読み取れる。

 右から左。左から右。

 ガブリエルが次にしようとしている身体の動きが、手に取るようにわかる。

 血管の収縮。筋肉の(しな)り。骨髄の動作。アリシアの目にはガブリエルの皮膚から下が透けて見えていた。


「はぁぁぁぁあ!!!」


 微細な変動から次の攻撃の予測を立て回避。あるいはカウンターを叩き込む。

 身体が戦い方を知っている。神器の扱い方を知っている。

アリシアの血剣がガブリエルの左腕を切り裂いた。


「くっ………!?」


 ガブリエルの肉体は、ダメージを受けた箇所が水となり分裂していた。だからこれまで一切のダメージを与えられなかった。

 普通の攻撃ではガブリエルに傷一つつけられない。

 しかし今のアリシアは別だ。神器の力を開放したアリシアの攻撃。即ち始祖の神血がガブリエルの分裂を許さない。

 

「くそっ……忌々しい鬼神の血め!!」


 ガブリエルが水槍を放つが、アリシアにはカスリもしない。廃墟を縦横無尽に駆け回るアリシアの速度は、ガブリエルを圧倒していた。


「フンッ!!」「セアッ!!」


 加えてウラドとアルキュラが、ガブリエルの攻撃を相殺する。本体に傷はつけられなくとも、その攻撃を防ぐことは可能なのだ。


「へぇ〜なかなかいい連携だね。群れなきゃ何もできない君たち、人間らしい戦い方じゃないか!!」


 ガブリエルの笑い声が戦場に響く。そのとき、アリシアの鼓膜に銀鈴の声が鳴った。


「――私はこの世の安寧を願う者」


 何事かとガブリエルが反応する。

 ウラドとアルキュラも声の方に視線を送った。

 バロルがようやくかと笑みを浮かべていた。

 そんな中、アリシアだけが動きを止めることなくガブリエルに牙を向いた。


「天地万有に宿る、大いなる力の根源よ。

 森羅万象を司る、大いなる力の理よ。

 安寧を願いし私の呼びかけに応え、全てを白く染め尽くさんとする力を与え給え」


 目で見なくともわかる。肌で感じる。魔力の高まりを。刺すような冷気を。


「世界を凍らせる『氷河』の力を――」


 高まった魔力がフィーナに収束していく。

 何が起きるのか、そんなことガブリエルに予知する術はない。けれど収束するこの莫大な魔力量は、見過ごせるはずもない。


「舐めるなよ。僕がさせると思うか!?」


「思わぬ。だからこそ手出しはさせぬ!!」


 同じく。バロル達もガブリエルの攻撃を防ぐために立ち塞がった。


「あは♪ いいよ。じゃあ纏めて吹っ飛ばしてあげるね!」


 ガブリエルは両手を高く上げ、振り下げる。


「精霊遊戯《水獄百景・瀧降とし》」


 ヴェルリムを囲む水の檻から2匹の龍が生まれた。


「「シャァァァァァァァッ!!」」


 遠吠えと同時に龍は一直線にフィーナを目指す。

 アリシアはガブリエルに向け片手を晒した。


「――肉を犯す千の血棘(フィル・エピューラ)


 瞬間。何本もの真紅の棘が、ガブリエルの身体を内から突き刺した。


「あ、ぐぅ……これ、はッ!?」


 今までダメージを負わなかったガブリエルが大きく吐血し、その動きが止まる。同時に2匹の龍も身体をしならせ動きを止めた。

 フィーナは詠唱の綴りを終わりへと加速させる。詠唱の最後に大気を凍てつかす氷鷹の名を口にした。


最上位氷極魔法(ヲル・アイスマジック)

大海を凍て尽かす(ブロスト・ヘイル・)氷河の鷹(フィンブル)〟!!」


 世界に氷河をもたらす氷鷹が、その姿を顕現させる。


「ピュァアアアアアアアアアアアッ!」


 氷鷹が生まれた影響により、ヴェルリム中の水分が侵される。地面に残る水溜まりは氷付き、ヴェルリムに流れる川にも薄氷の膜を張る。


「なんと……」「まさか、これ程とは……」


 アルキュラとウラドが氷鷹に感嘆の声を上げた。


「……お願い、フィンブル!!」


 フィーナは身体の力が抜けるように地面にペタリと座り込む。

 身の丈に合わぬ最上位魔法使用の反動だ。魔力欠乏症(リアードローム)一歩手前の状況に、フィーナは動くことができない。

 しかしそんなフィーナの想いを読み取るかのごとく、氷鷹は一声鳴くと、その大翼を天へと踊らせた。

 誰も彼の行く手を阻む者はいない。2匹の龍を凍り付けにし、氷鷹は真っ直ぐに曇天の空へと身を投げた。

 その数秒後。曇天の空から氷花が降り注ぐ。氷鷹の冷気により、浮かぶ数億の雨粒が氷の礫となり落下する。

 今度はバロルが負傷していない左腕を空に掲げた。そしてその掌をゆっくりと握りしめる。まるで天を潰すかのように。


「《重力制御(オフセット)加算千倍(アルター・サウザンド)》」


 途端、空に浮かぶ数億個の氷礫全てが砕けた、いや潰れた。木っ端微塵に。

 肩の荷が降りたかのように、バロルはふぅと息を吐く。


「礼を言うぞ、フィーナ。これで我も全力を出せる」


 そして視線の先、ガブリエルは笑っていた。


「いてて……はは♪ エゲツないことを考えるね君」


 ガブリエルは笑っていた。その目がアリシアを捉える。袖で口元の血を拭って、それから。


「僕も君に同じことをしてあげるよ」


 ガブリエルは微笑んだ。


「精霊遊戯《水の処女(ウォーターメイデン)》」




「……え―――?」


 瞬間、アリシアの身体を()が支配した。

 そう、ソレは熱だ。止めどない熱がアリシアの身体の内から沸き上がる。膨れ上がる。

 持ち上げた右手。その掌からは青い棘が突き出していた。


「ぁ……」


 見る見るうちに、水の棘が紅く濁っていく。アリシアの血だった。

 アリシアの身体の内側から、数百本もの水の棘が突き破った。

 それは掌を。

 それは脚を。

 それは内蔵を。

 容赦なく内側から破壊した。


「あ、うっ、………ぁ」


 ゴボリと音をたてアリシアの口から大量の紅い液体が溢れでる。続けて棘が消えた。ブシュッとラムネ瓶の蓋を開けたような爽快な音とともに、アリシアの身体が紅一色に染まる。染まる。染まる――。


「あ、アリシアさん―――ッ!!?」


 フィーナの悲鳴。走ろうとするも、その身体は魔力欠乏症のせいで動かない。

 脱力し前屈みに倒れ、アリシアは沈黙した。完全に致命傷だった。


「貴様、ガブリエルゥ―――ッ!!」


 吠えたのはアルキュラだ。


「待て、アルキュラ!?」


 ウラドの静止の声を無視し、アルキュラはその手に構える細剣を握りしめ、血眼となりガブリエルに突撃した。


「おのれ、貴様だけは許さぬ!!」


「あれ〜、もしかしてだけどもしかして。あの子っておじさんの娘だったりするのかな〜? あは♪ だったらごめんね。僕が壊しちゃった♪」


「黙るがいいッ!!」


―――ブラッディー・ブラディアス―――


 アルキュラの身体が蒸気を上げた。紅い煙を発している。

 御三家それぞれに引き継がれる吸血鬼種奥義。ウラドのブラッド家に『ブラッディー・ブラディウス』が秘伝として継承されるように、アルキュラのツェペシュ家にも秘伝として『ブラゥディー・ブラディアス』が継承されていた。

 能力は身体能力の超上昇。自身の血流を速めることにより、身体能力を限界以上に引き上げることができる。

 血を代償に命を削る、ツェペシュ家の奥義。


「そんなに死に急がなくても大丈夫だよ。おじさんもすぐに同じ場所に送ってあげるから、さ♪」


 何度アルキュラが斬撃を与えようが、ガブリエルにダメージは見てとれない。

 完全に遊ばれている。

 しかしそれでも。それでもアルキュラは止まらなかった。止まれなかった。


 アルキュラ・ツェペシュの鉄の仮面が剥がれ落ちる。


 自身は吸血鬼が貴族。吸血鬼を束ねる御三家の当主。

 御三家としてアルキュラは他の吸血鬼を先導する義務がある。掟を破るなど言語道断。許されざる行為である。

 法を犯す輩を許さず。家名を汚す行為を許さず。プライドのない吸血鬼を許さない。

 例え実の息子であれ、度が過ぎた罪を犯せば殴り殺した。

 そうしていつしかアルキュラは、心を持たない吸血鬼などと呼ばれるようになった。

 その結果。彼につけられた二つ名は『残虐公』。

 掟に縛られた自身(アルキュラ)に、ふさわしい呼び名である。


「精霊遊戯《水神威(みなかむい)》」


 アルキュラの右腕が飛んだ。


「ぐぅッ――――!!」


 だがそれでもアルキュラは剣舞を止めない。獣のようにガブリエルに襲いかかる。


 掟だから。守らなければならぬ鬼の決まりだから。それを御三家が破ったとなれば、他の吸血鬼に対して示しがつかないから。

 だから。だから。だから―――。


 私は心を鬼にして、アリシアを捨てたのだ。

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