第160話 鮮血の勇者
完全な覚醒。完璧な目覚め。
ダメージを負った倦怠感は嘘のように消え、身体の調子は以前よりも良好だ。何よりも体内を流れる血液の循環がいつにも増して良い。
ふと、アリシアの後方からガラガラと瓦礫が崩れる音が聞こえた。
視線を送ると、熊のような巨体が瓦礫の砂埃の中から現れた。バロルだ。
アリシアの横に並びバロルは言う「まだ戦えるか?」と。
見ればバロルはアリシアと同じく満身創痍。バロルの身体は既にボロボロだった。
だが、その瞳に映る闘志だけは揺るがない。戦うことを、抗うことを、諦めてはいない。王足る者が宿す戦瞳。
「……はい。まだ戦えます」
答えるとバロルは「そうか」と続けて、
「鮮血の勇者アリシア・ツェペシュ。アルキュラの娘よ。我が頼みを聞いてはくれぬだろうか」
視線をガブリエルから離さず、努めて冷静なままバロルの口は動いた。
「その命、我にくれぬかアリシアよ」
今何と言われたのか、アリシアは冷静に理解する。
言葉の意味を。魔王の心意を。
バロルはアリシアにここで死ねと、そう言っているのだ。
それを理解した上で、アリシアは微笑んだ。
「わたしの命でよろしければ。お供致します」
これは命令ではない。頼みだとバロルは言った。ならば断ることもできたはずだ。
その選択を選ばなかったのはアリシアだ。
「恩に切る。………すまぬな」
「あなたが謝ることではありません魔王様。あなたにお願いされる前から、わたしもそのつもりでしたから」
そう言って、アリシアは今も砂埃を被ったまま気絶する銀髪の少女を見据えた。
「命をかけてでも、守りたい人がいますから」
己の最も大切な人の妹。婚約を交した今では、アリシアの妹だとも言えるだろう。
彼女を守る。命をかける理由には十分だ。これ以上の理由は必要ない。
何よりもアリシアの覚悟は決まっている。
「涙浮かべるいい雰囲気のところ悪いんだけど。早く始めようよ。どのみち僕が殺しちゃうわけだからさ♪」
ガブリエルは退屈そうに肩をすくめて見せた。その直後のことだ。
2つの鬼が戦場に舞い降りた。
「フ――ッ!!」「シ――ッ!!」
目にも止まらぬ速さで2つの刃がガブリエルの首と胴を断った、が―――。
「まったく手応えがないな。さては不死身か?」
「ふむ。先の小僧共の親玉だろうな」
吸血鬼種が誇る御三家の当主アルキュラ・ツェペシュとウラド・ブラッドである。
「なんだまだ生き残りがいたんだ。てっきりさっきので皆死んじゃったのかと思ったけど?」
ガブリエルのダメージは無。水を斬ったように両断された首と胴が再び1つとなる。
「アルキュラ、ウラド援護する! 1秒でも長く時間を稼げ!!」
言うよりも早くバロルの槍斧が風を斬り、ガブリエルに追撃をしかける。
「聞いたかアルキュラ? この我らが時間稼ぎの為の捨て駒だとよ。笑えん話だ!」
「まったく笑えん話であるなウラド。捨て駒で満足するとは、お前にしてはずいぶんと弱気なこと」
「馬鹿を言え。バロルの言葉をなゾっただけのことよ。それよりも、貴様の娘は始祖の力を引き出せるのか?」
「さてな。始祖の力を引き出そうと引き出せまいと。我らが倒してしまえばいいだけの話!」
3匹の鬼が共戦しガブリエルの身体を刻んでいく。再生の隙を与えない。再生ではないにせよ攻撃の隙を与えない。
「鬱陶しいなぁ。僕はエリニュスを殺さなきゃいけないんだからさ、邪魔をしないで欲しいんだけどなぁ!!」
「………」
激しい戦闘が眼前で繰り広げられている中、アリシアは瞼を閉じて心を沈めた。
己の中に意識を向ける。
「―――汝、器の主足る我が欲し求め願い給う」
神言は既に知っている。
「生命に等しく流れる真紅の血潮。鬼の始祖足る我が主神よ」
神名も初めから存じている。
代償も同じく。コレを使えばどうなるか、アリシアはよく知っている。
「今こそ器を器足りえんとする時成り。汝の器足るこの我に、汝が"始祖の理"を―――」
恐れはないと言えば嘘になる。怖い。恐ろしくてたまらない。本音を言えば逃げ出してしまいたい。
―――だけど。
「代償をここに。真名をここに―――」
ここで逃げれば、アリシアは後悔するだろう。一生、この瞬間のことを悔やみ続けるだろう。
―――だから。
アリシアは紡ぐのだ。言葉を。
繋げるのだ。命を。
昂る魔力を強引に押さえ込み、そして、アリシアはヴィレンの姿を思い浮かべた。
「《鮮血》を司りし汝の名は――エリニュス・フォード・ブラッドツェペシュ!!」
アリシアがエリニュスと結んだ始まりの契約。
それは―――、
『己が望むがままに生き、そして死に逝け。妾を愉しませてみせよ』
エリニュスはアリシアに、果のない自由を科したのだ。
嫁シア・ツェペシュ<擬神化>